第一の鑑定  血の涙を流す少女の肖像 2-3

 雪緒は中津川に弟子入りするまで、華族の娘として育った。

 華族とは、特権を持つ者たちの総称だ。

 四十年ほど前に江戸のお城が明け渡され、何もかもが一気に新しくなった。文明開化だの御一新だのと言われる一連の出来事である。

 江戸時代、各地を治めていた大名や公家と呼ばれた貴族は、御一新の際、領地を国に没収された。代わりに国は彼らに爵位という身分を与え、これが明治の世における新たな特権の証となった。

 雪緒の実家、井上家は、戦国時代から続く大名の家系である。さほど規模の大きい家ではなかったが、御一新の際に雪緒の曽祖父が子爵の地位を授かった。今は雪緒の父が跡を継いでいる。

 その井上家の娘として、雪緒は育った。

 中津川と出会う直前までは華族の令嬢として暮らし、女学校に通っていた。大半の子供は尋常小学校を出たあと働きに出る。それより上の女学校に通えるのは、華族と一部の富豪だけだ。そこだけを見ても、華族がいかに特別な恩恵を受けているか良く分かる。

 だが、そんな生活をすべて捨てて、雪緒は中津川のもとへ転がりこんだ。中津川の絵に惚れ込み、自分でも絵を描くために……。

「いやぁ、そういう恰好してると男の子に見えるものだねぇ。本当の雪緒くんはいいところのお嬢さんなのに」

「やめてください。先生のところへ弟子入りした日に、ぼくは昔の自分を捨てたんです」

「僕は忘れられないよ。初めて出会った日の雪緒くんは、実に典型的な『華族のお嬢さん』だった」

「あの、先生……。今この場所で、あえてぼくの実家の話をする必要あります?」

「ないけど、暇だからさ。たまには弟子との意思疎通を図っておこうと思って」

「別の話にしてください」

「また聞くけど、やっぱり実家の話は厭かい?」

「また答えますけど……とっても厭です!!」

 ――あんな家、あんな家……もう実家でもなんでもない!

 実家のことを考えると、口惜しさと悲しさと怒りが入り混じった複雑な感情が込み上げてくる。雪緒は歯を食いしばってぐっと拳を握り、足を踏ん張った。

 と、その時、部屋の扉が静かに開いた。

「待たせたな」

 二人の人物が応接間に入ってきた。紳士と、若い女性である。

 ともに洋装で、紳士は背広、女性は足首まであるドレスを着ていた。恐らく、現当主とその娘だろう。

「私はこの家の主、山本英一やまもとえいいちだ」

 背広の紳士、英一が、雪緒たちを見て軽く微笑んだ。年齢は四十代半ばと言ったところだろう。続いて、後ろにいる女性がドレスの裾を持ち上げて礼をする。

「わたしは、娘のよしです」

 よし香は深い緑色のドレスが良く似合う、大人しそうな令嬢だった。年は二十過ぎくらいだろうか。

 親子にしては、あまり似てないな、と雪緒は思った。

 英一は常に胸を張り、どこかふてぶてしい笑みを浮かべている。まるで雪緒たちを見下しているようだ。身に着けている背広も高そうなツルツルの生地で仕立ててあり、ちらちらと見える裏地は毒々しいほど赤い。

 背はさほど高くないが、背広の上からでも分かるほどに胸板が厚かった。一見優しそうな顔立ちなのに、目は獲物を狙っているかのようにぎらぎらとしている。

 一方のよし香は、一重の目に薄い唇だからだろうか、ほっそりとした身体とあいまってどこかぼんやりと大人しそうな印象を与える。だが、黒髪は艶々としていて頬はほんのりと朱く、寄り添って守ってあげたくなるような女性である。

「こんにちは。ぼく、井上雪緒と申します」

 雪緒は二人に向かって深くお辞儀をした。すると、英一が顔を綻ばせた。

「これはこれは。甲斐くんが『鑑定士の先生が来る』と言っていたが、随分と可愛らしい鑑定士だな」

「いいえ、ぼくは弟子です。絵の鑑定をするのは、こちらの中津川一臣先生です」

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