第15話 守りたかったもの(6)

 馬田は供述調書を作成し、書面をデスクに置いて差し出す。


「今回の供述調書です。修正依頼がなければ、署名欄にサインしてください」

 穴守花咲の筆は重たい。

 書き終わった紙を受け取り、馬田は署名を確認する。

 間隔をあけて書かれた『穴守花咲』の四文字には、彼女の悔しさが滲んでいるようだった。



 馬田は参照していたファイルを閉じて端に寄せると、次のファイルを三冊、手元に引き寄せる。


「あの、まだ何か?」


 取り調べが終わらないことに戸惑い、馬田を覗き込むようにして穴守花咲が聞いた。


「ええ。最初にお伝えした通り、あなたには聞きたいことがたくさんあるんですよ」

「私には、他にお話しするようなことはありませんけど」

「いいえ、たくさんありますよ」

 馬田は両肘をついて手を組み合わせ、前かがみになって言う。

「たとえば――蓮華荘首切り殺人事件について、とか」

「私はその事件に何の関係も……!」

 椅子から立ち上がりそうな勢いを遮って、馬田が聞く。


「黒岩菖蒲という人物を、ご存じですか?」

 馬田を警戒しつつも、全国的に知られた犯罪者の名前を知らないふりはできない。

「蓮華荘の事件で捕まった犯人が、確か、そんな名前だったような」

「そうです。ニュースで見ましたか? 犯人の顔」

「ええ」

「蓮華荘殺人事件で逮捕された被疑者なんですが、黒岩菖蒲というのは仮の名でして、本名を穴守彩芽――といいます。彼女は、あなたのお姉さんです。穴守彩芽さんの取り調べも私の担当なのですが、まったく口を割ってくれなくて困っているんですよ。ですから、妹のあなたから話を聞いてみたい。これから蓮華荘首切り殺人事件に関する取り調べに、ご協力願えませんか?」


 そういうことか、と警戒を解き、穴守花咲の肩から力が抜ける。


「これは毎回お伝えすることなのですが、あなたには黙秘権があります。言いたくないことは言わなくて結構です。ここで話したことも話さなかったことも証拠になります。証拠はあなたにとって、有利にも不利にもなり得ます。あなたがよければ、お姉さんの話を聞かせてもらえませんか?」


 穴守花咲は、被疑者から一転、情報提供者として警察の優位に立ったと思ったらしい。馬田は、相手が答える前に背筋を伸ばしたことで、そうと知る。


「あれが姉――というのは、今聞いて、初めて知りました。家に写真はないですし、あの手紙も間接的に渡されたものなので、一度も会ったことがありませんから。そうですか。あれが私の姉……」


 穴守花咲は、ショックと戸惑いが綯い交ぜになった表情を見せる。馬田はそれが再び彼女の演技と分かっていたが、今度は止めなかった。余罪でもない事件についての取り調べ。被疑者に対して必要な口上は述べた。これは穴守花咲に対する取り調べである――

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