第32話 荒業(6)

 馬田は深い溜息を吐いた。刑事として様々な事件を見てきた。凄惨な過去を背負う人々にも数多く出会ってきた。彼らの何人かは犯罪者に身を落とし、何人かは被害者として、生きている人もいれば、遺体となって発見される人もいた。命を落とした人の中には、生命の危機に気付けなかった人や、気付いていても逃げることのできなかった人が含まれていた。


 穴守彩芽も自分の命をぎりぎりまで擦り減らして、もう後がなかったのだろう。だから友人に手を掛け、黒岩しのぶの心を穿ち、自分が娘として現れて、母親の喪失感を埋めた。彼女の賭けた背水の陣は、あまりにも悲しすぎる。


 馬田は両肘を膝の上に置き、前かがみになって、両手の指を組み合わせた。


「黒岩しのぶさん。穴守彩芽さんは、自分が生きるために、あなたの娘の菖蒲さんに手を掛けたのかもしれないと、そんな風に考えたことは、ありませんでしたか」


 この質問は、最早、当時未成年だった穴守彩芽の罪を暴こうとするものではない。彼女をそこまで追い込んだ、性犯罪者の罪を重くするための、証言の一つに使うのだ。


 黒岩しのぶは、穏やかに答える。


「どうして? そんなこと、あるわけないじゃない」

 口を挟もうとする馬田を、しのぶが空気だけで制する。

「自分の娘を殺した子供を、愛せる母親なんていないわ」


 馬田は口をつぐむしかなかった。何の証拠もないのに、強引に納得させるだけの力が、黒岩しのぶの言葉にはあった。

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