第30話 荒業(4)

 馬田は、黒岩しのぶの病室前まで来て、携帯の電源を切った。彼女の病棟は、精神病棟から内科病棟へと移されていた。完全個室で、いくつかの医療機器が置いてある。


「黒岩さん、こんにちは。捜査一課の馬田です」


 ベッドの上で体を起こして本を読んでいた黒岩しのぶは、老眼鏡を外して、馬田を見る。彼女が本を置いた棚には、ガラスの花瓶が置いてあり、濃い緑の葉をつけた紅い花が生けてあった。


「刑事さんは、お見舞いに花も持ってきては下さらないのね」

 名家育ちのお嬢様は、皮肉にさえ気品とプライドを感じさせる。

「規則にうるさい職場でして、申し訳ありません」


「お医者様から聞いているかしら。私、膵臓癌なんですって。どこかに転移していて切除はできないそうよ。余命はあとひと月あるかないか……。昨日、貴方が塩野の死を知らせに来たと思ったら、今度は私よ? まるで塩野に呼ばれているみたい。貴方もそう思わない?」


 笑えない冗談に、ははと笑い、ベッド脇の丸椅子に、座ってもいいですかと断りを入れる。どうぞと言われ、腰かけると、馬田はしのぶの話の続きを聴いた。


「この花、誰が生けたのか、不思議に思ったのではなくて? 私にはもう見舞う人なんていないのに」

「綺麗ですね。誰が生けてくれたんですか?」

「看護師さんよ。外の庭に咲いているんですって。山茶花」


 瑞々しく咲く花は、余命いくばくもない老女の生気を吸い取るかのようで、綺麗だが、どこか不気味な感じがした。


「うちにも咲いていたわ。昔、塩野と暮らした家の庭。あの世であの人に会ったら、私、たくさん話さなければならないことがあるのよ。うまく話せるか自信がないわ。怒られそうなんだもの」

「話す練習なら、いつでも付き合いますよ」

「刑事さんが言うと、悪い冗談にしか聞こえないわね」

「話す内容によっては洒落になりませんからね」

「本当にそう思うわ」

「塩野さんに会ったら、まずはどんな話をしたいですか?」

「そうねえ。たくさんありすぎるわね」

「たとえば、今の黒岩菖蒲さんが、本当は穴守彩芽さんだということ、とか?」

「刑事さん。もうそこまで調べてしまったの?」

「刑事ですから」


 馬田はDNA鑑定結果を封筒から引き出して見せ、再び封筒に納める。しのぶは観念したかのように嘆息し、自分を戒めるようにつぶやいた。


「私はまた、自分の子を守れなかったのね。駄目な母親……」


「黒岩しのぶさん。あなたが穴守彩芽さんを娘として迎えた日のことを、聞かせてもらえませんか」


 黒岩しのぶは、これが最後というように、二十五年前のあの日のことを語って聞かせた。

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