第17話 黒岩菖蒲(2)


「それにしても一ノ瀬さん、一人ヘルプに出してもいいなんて、結構余裕じゃないですか。捜査、順調なんすか?」


 馬田が自分のデスクに腰掛けるようにして一ノ瀬に問う。二人のデスクは背中合わせに隣同士で、こうして互いに進捗や意見を交換するのは日常の光景である。別の班同士の良好な関係が、先程のように捜査の役に立つことも珍しくなかった。


「事件が解決するまでは順調もクソもないが、被害者の三田園が消息を立つ直前の行動がだいぶ分かってきたところだ」

「へぇ。聞かせてくださいよ」


「三田園は生前、大学で考古学を学ぶ傍ら探偵サークルを立ち上げて、興信所の真似事をしていたらしい。最後の依頼は、学外の知り合いから受けたもので、依頼内容は人探し。それに絡んで、『最奥さいおうの少女』という幽霊について調べていたそうだ」


「幽霊? なんすかそれ」


「ああ。それがな、ある宿の最奥に、誰も泊まることのない『閉ざされた部屋』があって、そこに少女の幽霊が憑りついているって話だ。真夜中に苦しみ呻く声が聞こえたり、恐怖に満ちた叫び声が聞こえるなど、噂が絶えなかったが、今から約三十年前、ついにその姿が目撃された。目撃情報はそれっきりだったが、見た者の話では、黒髪を日本人形のように長く伸ばし、乱れた浴衣を着た少女で、憎悪と恨みで零れ落ちそうになった目玉から、血の涙を流していたそうだ。そして、近付こうとすると、ふっと姿が消えてしまった」


「へえ。酔っぱらいの見間違いなんじゃないんですか? すぐに廃れそうですけどね、そんな噂」

「普通はな。だが、この幽霊話は囁かれるようにして語り継がれていて、宿の集客にも一役買っているらしい」

「宿主も上手くやりますね」

「その宿ってのが、何処だと思う?」

「……穴守温泉?」

「そうだ」

 馬田が嫌そうな顔をする。

「また穴守温泉か。生吹先生が襲われて、塩野が殺されて。まさか、その幽霊の祟りだったりして」

「そんなことがあってたまるか」

同感どーかんです。でも、三田園の受けた依頼は人探しだったんでしょう? 幽霊話と何の関係があったんすかね」

「それを、これから本人に聞いてくる」

「誰に?」

穴守あなもり花咲さき。穴守温泉の経営者、穴守藤吾とうごの一人娘であり、三田園が丸山のあとに好意を寄せた相手だ。最初の聴取では、恋人ではない、好意を寄せられていただけという話だったが、依頼人と探偵の関係だったなんてことは聞いていない」

「叩けば埃っぽいですね」

 一ノ瀬は首肯して、聞き込みに使っているノートを開いた。

「二人が出会ったのが古杉ふるすぎの考古学イベント。その最終日に、三田園の銀行口座に三十万振り込まれている。恐らくこれが依頼料だろう」

「学生で三十万!? そりゃいいアルバイトだ」


 馬田は思わず一ノ瀬のノートを覗き込んだ。A5のノートにびっしりと人物の名前、関係図、聞き込みで得た情報が、男の字で書き連ねてある。


 その中に、ぐりぐりと丸で囲まれた名前があった。


「へえ。穴守花咲って、そういう字を書くんですね」



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