第27話 穴守温泉(9)


「や、それはないですよ。絶対丸山さんじゃないです」


 テーブルに並ぶ旅館の朝食に目を輝かせ、割り箸をパキリと割りながらキッパリと馬田が否定する。生吹いぶきは昨日の出来事にも関わらず、今朝はいつものクールな表情を取り戻し、馬田まだが美食に舌鼓をうつのを眺めて尋ねる。


「何故? 私には殺される理由がそれくらいしか思いつかない」

「それはどうでしょうね~」

 刺身に醤油をつけすぎなのはまだいいとして、発言がひっかかる。

「どういう意味かな」

「だってほら、昨日のあの刑事さん」

「昨日の刑事?」

「なんて名前でしたっけ? 昨日、発掘事務所に来た、鉄の女って感じの」

「ああ……」

 生吹は骨片発見の通報を受けて臨場した成川なるかわという女刑事を思い出した。

「生吹先生にやりこめられて、もうすんごい、目がキィィィ――――ッて。言葉には出さなくても『なんって生意気な女なの!?』って言ってましたよ?」

 確かにそんな顔をしていたような記憶がある。

 だがしかし、

「刑事に生意気言う奴をその度に殺してたら、今頃刑務所はスッカラカンだよ。犯罪者なんてロクな口効く奴の方が少ないんだから」

「ああ、それ間違いないですね。そんなことより、生吹先生も食べましょうよ。まだ割り箸割れてないじゃないですか。旅館に来て食事を楽しまないなんて罰金ですよ?」

「罰金……。じゃあ、食べる」

 素直に割り箸を割った生吹を見て馬田がふふと笑う。

「何?」

「いや、どうぞ食べてください」

「先に言って」

「大したことじゃないですよ。生吹先生って、罰金って言葉に弱いんだなと思って。昨日も川下りの時そうでしたけど」

「誰だって、罰金は嫌でしょう?」

「そりゃそうでしょうけど。生吹先生は、なんで丸山さんが犯人だと思うんですか?」


「さっき説明した通り、あの手の骨は女のものだった。そして、殺意を覚える程の嫉妬を買ったとしたら彼女以外に思い当たらない。君はマイナスの感情と無縁そうだから、嫉妬心の恐ろしさをよく知らないだろうけど」

「そんなあ、僕だって嫉妬の怖さくらい知ってますよ」

「どうせ表面を舐める程度じゃないの?」

「そ、そうかもしれないですけど。でも、丸山さんじゃないです」

「譲らないね」


 生吹は箸を持ったまま頬杖をついた。

 馬田が丸山を庇うのが不服だ。


「君はさっき、昨日彼女と会ったと言ってたじゃないか。結局、私の当初の推理は合っていた。恋の力というのは恐ろしい。あんなに気弱そうだった彼女を動かしてそこまでさせるんだから。そして、彼女は君に会いにここへ来て、君と私の様子を見て激情し、私を襲った。筋が通ってる。どこもおかしくない」

「えーと、だからその……」

「まだ彼女を庇うのか? 告白されて付き合うことになったとか?」

「それはないですけど」

「これ以上庇うなら、彼女でないという根拠の一つくらい示したら?」

「根拠……」

 その瞬間、馬田の瞳がスイと斜め上に吊られるのを、生吹は見逃さなかった。


「何か隠してる」

「な、何も隠してないですよ」

「嘘だ」


 生吹は箸を空中でパチンと合わせ、そこにある嘘をつまんだ。


「浅学な君に教えてやろう。人は記憶を参照する時、一瞬、斜め上を見るんだ。隠しても無駄。吐きなさい」


 馬田は嘆息して箸を置く。


「これは、僕のことじゃないんで、本人の許可なく僕の口から言いたくないんですけど、殺人未遂の犯人で彼女が捕まったら分かることだと思うので、特別に言います」


 急に真剣な表情に切り替わり、今度は生吹が馬田に気圧される。


「生吹先生、犯人は女って言いましたよね」


 そこまで言って黙る馬田。生吹をまっすぐ見つめる。それだけで察してくれと言わんばかりだ。


「そういうことか。だから昨日、女湯でいくら彼女を待っていても会わなかったんだ」

「っていうことなんで、生吹先生を襲った犯人が女なら、丸山さんは絶対、犯人じゃないんです」

「分かった。言いたくないことを言わせてごめん。この際、全部謝る。昨日、揶揄ったことも」


 丸山蓮華は生物学的に男。

 犯人である可能性を否定する、これ以上ない根拠だ。

 じゃあ誰が。


「そうなると、昨日接触した女で残るのは穴守さんしかいなくなる。でも、彼女とは挨拶程度しか交わしてない。挨拶して殺されるなら、私はとっくのとうにこの世にいないよ」


「それも間違いないですね」


長瀞出張はいくつかの謎を残して、一旦、その幕を閉じた。



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