第26話 穴守温泉(8)


 馬田の通報で所轄から警官が一名臨場し、今夜の事件は傷害事件としてファイルされた。


 部屋に再び静寂が戻ったのは午後十時過ぎ。


 馬田は和室のテーブルに腕を枕に敷いて眠ってしまっていた。生吹は、彼を起こすのもテーブルで寝かせておくのも、どちらも不憫に思い、とりあえず自分の布団から離れた場所に布団を一組敷いておいた。こうしておけば彼が目を覚ました時にすぐに布団に移れる。


 そのあとは、電気を消すのを躊躇って、明るいままの部屋で自分の布団に入った。


 疲れているはずなのにまったく眠れずに丑の刻を迎える。誰かに本気で息の根を止められそうになったことが確実に影響していた。


 警察にも話したが、あの手は女の手だった。どうしてそう思ったのか分からない。指の骨なんて、男女でたいした違いはないのに。手が特別小さかったわけでもない。それなのになぜか、女だということだけは確信があった。


 犯人は女性で、自分に恨みを持ち、自分が倒れたことを知っていた人物――と生吹は結論付ける。そして衝動的な犯行だ。計画的な犯行なら武器の一つくらい用意する。健康な相手を武器もなしに襲うのは、あまりにもリスクが高すぎる。全力で抵抗されたら、とてもじゃないが殺すどころではない。身バレするのが自明の理。


 しかし問題は、生吹には誰かに殺されるいわれがないということだった。ここは長瀞。今日来たばかりのこの土地で、人に恨みを買うようなことをした覚えがない。


 いや、それは自分から見て恨まれる筋合いがないというだけの話だ。ここで重要なのは、犯人から見てどう思うかということ。そう考えれば、思い当たることが一つ。馬田とここにいる事実だ。


 生吹の脳裏に、『待ってます』と微笑む丸山の顔が浮かぶ。


 『待ってます』


 『待ってます』


 『待ってます』

 

 もし、自分の最初の推理が当たっていたとしたら――丸山が馬田に会いにここへ来ていたとしたら、馬田に抱きかかえられ運ばれる自分の姿を見たとたら――どう思うだろうか。自分と馬田がカップルで、宿を共にするような仲に見えたとしたら。


 嫉妬にかられ、馬田のいない隙を狙って邪魔者を消しに――。


  十分あり得る。


 むしろ、それ以外に自分が誰に恨みを買ったというのか。


 犯人は丸山以外に考えられない。



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