第3話 復顔


「生吹先生、先生が仕事を請け負うと、僕も大変っていうこと、忘れないでくださいよー」

「そうだった。どうも私は、仕事を目の前にぶら下げられると断れない」


 研究室の隅で馬田が口を尖らせる。生吹が警察からの依頼を受けた後、二人は被害者の頭蓋骨と再び対面することになり、馬田がシリコンで型を取った。古人骨では何度もやってきたことだが、殺された被害者のものとなると気後れする。


 シリコンの型が出来上がると、FPR樹脂を流し込み、頭蓋骨の模型を作った。今は樹脂が固まり、いよいよ模型が完成するという時。馬田が手を動かす傍で、生吹がその仕事ぶりを興味津々眺める。


「まったくもう。ニンジンをぶら下げられた馬ですか」

「馬は君でしょ、馬田君」

「つまらないギャグ飛ばさないでください。はい、生吹先生、頭蓋骨」


 真っ白な頭蓋骨の模型を、馬田が両手で持って生吹に差し出す。彼は元人形師。彼が職を失ったその日に生吹が拾い、今はここ、東郷国立博物館でお茶くみ係をしながら、美術的な仕事に携わっている。彼は、頭はからっぽだが、手先を使った技能においては何でも器用に習得し、職人級の仕事をする。生吹お気に入りの助手である。


「ありがとう。これがないと私は仕事にならない」


 生吹は馬田から模型を受け取り、口づけでもしそうなくらい見目麗しい顔の近くに持っていくと、白く滑らかな表面をうっとりと眺める。それから杭を打ったスタンドに頭蓋骨をセットし、水平器を当て、解剖学に基づいて骨の各所の計測を始める。手際よく頭蓋骨に印を付け、ナンバリングを済ませると、今度はペンをドリルに持ち変える。


 ドリルでパスンパスンと頭蓋に釘を打つ白衣の女。


 馬田は、半年前に初めてその光景を見た時のことを鮮明に覚えている。当時はかなりショックだったが、今は見慣れてなんとも思わない。


「生吹先生はこの人、どんな顔だと思うんです?」

「そうだなあ。今わかる限りでは、シャーロック・ホームズみたいな顔」

「じゃあ、アメリカ人なんですか?」

「今すぐロンドンに向かって謝れ」

「ああ。じゃあ、ロンドン人なんですね」

「結論から言うと日本人。だけどあまり日本人らしくない鷲鼻の男」

「どうして分かるんですか?」

「全体的にガッシリしていて眼窩上縁が大きいから男性。眉弓と眼窩との高低差から彫りが深い。鼻腔の幅が狭く、鼻骨の角度は上向き加減が強いから鼻は高いものと思われる。それでいて前鼻棘が下がり気味なのだから、よくあるのは鷲鼻だよね」

「だよねって言われても困りますけど。へえ、骨を見ただけでなんでもわかっちゃうんですね」


 生吹は得意げな顔を浮かべて言う。


「なんなら、私は、君の顔を見ると表情筋が見えるし、更にはその下の骨を思い浮かべて、君の頭蓋骨をスケッチできる」


「人の顔を勝手にストリップしないでください。僕、珈琲飲んできます」

 馬田がやや語気を強めて研究室を出て行く。 



 生吹希は、誰もいなくなった研究室で一人、灰色の粘土を手に取った。筋肉や脂肪、軟部組織の代わりとなる灰色の粘土。それをぽっかりと空いた眼窩に塗り込んで、中心に義眼を埋め込む。


 物を言わず、生吹を見つめるガラスの眼。

 生吹は見つめ返して問いかける。


 あなたは生前、どんな顔をしていたの?

 私にあなたの顔を見せて――。


 短い黙祷の後、復顔師生吹希は、骨に筋肉を問い、およそ二十種類の筋肉を、骨に従い一筋また一筋と重ねて指で馴染ませる。統計学的に算出された皮膚の厚さに合わせて、指で皮膚を整える。額、頬、顎、口、眼窩の周辺、そして最後に鼻。

 

 生吹が額を手の甲で拭う。


 そこへ休憩を終えた馬田が戻り、「おお」と小さく驚嘆した。


「本当に、生吹先生の言ってた通りの顏ですね」

「特徴だけは当たるのよ。でも、骨に粘土を乗せるまで、本当の顔は分からない。骨に筋肉を問い、統計データに皮膚を問う。復顔師はそうやって、被害者の顔を取り戻すの」


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