筋肉の行方

入河梨茶

ジュンコの場合

「何かあったらすぐ連絡しなさい」

 サナエが転校するとわかった日、リーダーはジュンコたちグループメンバーに命じた。

 ケイとミネコの件や、サナエの発狂じみた件、リーダーは何か警戒すべきことと思っているようだ。考え過ぎじゃないかと思うが、リーダーより自分が賢いなんてことはない。ジュンコは素直に従うことにした。



 その夜、ジュンコは河川敷沿いの道路を走っていた。トレーニングのための日課だ。


 ジュンコは身体能力に恵まれていた。同年代の女子で自分よりすごいと思える相手に出会ったことはない。

 けれど天狗にはなりようがなかった。家族、とりわけ四歳上の兄は常にジュンコより体格がよく、彼女をいじめてきたので。

 それをどうにかしたいと思って、五年生の時に格闘技を始めた。中学に入ったくらいから兄は何もしてこなくなった。

 格闘技をやっていくことで、自分よりすごくはないのに強い相手と出会うことが増えた。強さは力や体格だけではないと知った。

 そしてこの春、リーダーと遭遇した。

 格闘技の指導者が言う胆力の意味を初めて理解した気がした。ジュンコは彼女を崇拝する勢いで従うようになった。

 そんなリーダーに従わない奴――キャラコがいた。リーダーは敵意を示し、ジュンコは彼女の手足となってキャラコを心身ともに日々痛めつけた。格闘技の指導者が目撃したら腰を抜かしそうな行為。ジュンコ自身、自分の意志ではこんなことをするはずもない悪行。でもリーダーの指示があればせっせと励むことができた。

 クラスの空気が悪くなっているのは感じる。サナエがあそこまでメンタルをおかしくしたのはリーダーを恐れたからだろう。それでもジュンコはリーダーを信奉するのをやめる気にはならなかった。


 夜の河川敷は、街灯が等間隔に光り、人影は見当たらない。

 その街灯の一つの根元に来た時、ジュンコに異変が起きた。

 全身が熱くなり、激しいショックに動きが止まる。体じゅうの骨や筋肉が軋みながら縮んでいき、形が変わっていく。

 ほんの数秒で、ジュンコは小さいトカゲになってトレーニングウェアの中に埋もれていた。ポケットの布地越し、まるで倒れたブロック塀のようにでかく感じる物体はスマホのようだ。

 敵意。足音。

 とっさにジュンコは四本の足を素早く這わせてその場から逃げる。

 少し後、ジュンコのいた場所を足が力強く踏みつけていた。スマホが嫌な音を立てる。逃げようとした体が縫い留められている。尻尾だ、と認識すると同時、尻尾は勝手にちぎれていった。

 自由になった身で衣服から飛び出し、道路から草むらに隠れ、ジュンコは様子を窺おうとした。しかし小さなトカゲの地面近くからの視点では、巨大すぎる「敵」の正体はよくわからない……と思っていると。

「隠れてないで出てきなさいよ」

 キャラコの声がした。

 これはあいつの仕業なのかと驚く。リーダーに連絡を取らねばと思うけど、自分はトカゲになってしまっているしスマホはさっき壊された。

 ともあれ、言いなりに出ていくなんてありえない。キャラコはチビだが、トカゲになった今のジュンコにとっては巨人だ。もっと安全な場所、人間では手出しできないような狭い場所を目指そうとすると。

「もうすぐ元に戻すから。あんまり変な場所にいると身体がへし折れるかもしれないよ」

 相手の言葉に動きが止まる。

 それが事実なら、危険は避けるしかない。けれど、すぐに元に戻すならなんでこんなことをした?

 妖しい術を使える自分が圧倒的に優位だと教えるため? でも元に戻ればジュンコはキャラコをすぐに叩きのめす。こんな目に遭わされて、こいつの危険性は身に染みた。それでもリーダーから寝返るつもりはない。

「こっちへ来て姿を見せてね。でもあまり近づかないように。近すぎたら踏み潰すよ」

 ジュンコの服が残っている街灯とは一本ずれた街灯の下に立って、キャラコは用心深く周囲を窺っている。

 誰か他の人が来るタイミングで行こうとジュンコは考えた。しばし待機。

 待ちながら思いつく。

 そもそも、「元に戻す」とさも自分が優位なように言っているが、この術には時間制限があるのではないか? こんなことができて、しかも時間無制限なら、リーダーにいきなり仕掛ければいい。

 なら、何分か何十分かはわからないが、自然に術が解けるのを待てば……

「持久戦は面倒だからやめてね。まだ今夜はすることがあるんだし」

 言ってからキャラコが何か短く呪文を唱えると、ジュンコはまた何か別のものに変化させられた。トカゲよりも大きくなっていく、とのんきなことを考えていられたのもつかの間。息が苦しい。手足がない。つい、ビタンビタンとその場ではねてしまい尾びれが地面を叩く。

「ふふ、鯉ってけっこうでかいよね。すぐわかる」

 酸欠に苦しみながら声を聞くが、今夜のキャラコは妙に饒舌だ。反撃の力を得たことに酔っているのか。

 と、三度目の変化が起きて、ジュンコは呼吸が楽になるのを感じた。手足が取り戻され、本来の力を取り戻していく。

 それでもすぐには動けない。顔を上げると、一気に飛び掛かることはできない距離でキャラコがこちらを見つめていた。

「あー、裸になっちゃうのはちょっと失念してたなー。ま、いいか」

 そんなことを言ってから、さらに続ける。

「あんたみたいに体格のいい連中って、私みたいに運動苦手な奴のことって気持ちがわかんないどころか軽蔑してるんだろうね。あんたの痛めつけ方、あいつに指示されたからってだけじゃない、バカにするような雰囲気があった」

 否定はしきれない。弱いのが嫌なら鍛えればいい。それを怠る連中なんて虐げられても自己責任だと思っていた。

「私の気持ち、わからせてあげる」

 言われ、彼女が何か唱えた次の瞬間、意識がひっくり返るような感覚があった。


 気づけばジュンコは『ジュンコ』を見ていた。

 全裸の『ジュンコ』は立ち上がるとジュンコを見下ろした。今の自分は相手より背が低くなっている。その身長比は、たぶんジュンコとキャラコのようなもので。

「しばらく借りるね。その貧相な身体で、何もできずに震えていれば、その間に全部終わってるから」

 そう言うと、何か呪文めいたものを新たに唱え始めながら、全裸の『ジュンコ』はジュンコの脱げた服がある街灯を目指していった。

 ジュンコは自分の手を見下ろす。細くて小さい、力ない手。これは『キャラコ』の身体なのだろうと見当がついた。

 入れ替わらされた。相手は何を狙っている? 決まってる。リーダーに接近して危害を加えようとしているのだ。

 止めないと。

 ジュンコは『ジュンコ』に走り寄ると、なおも呪文を唱えながら無警戒に服を着ていた相手に襲い掛かった。

 体格差は大きい。それでも自分は身体を交換されたくらいで怯んで震えてしまったりはしない。

 本来の『自分』を痛めつけることに抵抗はある。だがここまでのこいつの言動から考えると、この入れ替わりはリーダーに接近できるくらいまでの時間は続くのだろう。ならこうするしかないではないか。

 ひ弱な身体も使い方次第だ。ジュンコは『ジュンコ』の手足をへし折る。その途中で、呪文が止まった。

「こんなもんか……」

 苦痛で息を荒くしながら『ジュンコ』が言った直後、ジュンコの意識がひっくり返った。


 ジュンコはキャラコに見下ろされていた。全身が痛い。手足の骨が折れている。

 だが、それだけではない。

 普段感じていた全身の活力のようなものが、ごっそり失われているのを感じた。さっき『キャラコ』になっていた時よりも、元に戻った今の方が自分の身体を頼りなく思う。

「今あんたに殴られながらあんたの身体で唱え続けていた呪文、『自分を弱体化させる魔術』でね。他の魔術と違ってこれは制限時間がかなり長くて……あの長さだと、十年以上は続くかな」

 キャラコの説明に、顔が青くなっていくのを感じた。しかしもう遅い。

「これからの学生生活、貧弱な肉体でがんばって生きていきな。今までのあんたみたいな相手にいじめられなければいいけどね」



 息は切れるし、さっきまでジュンコを殴りつけた手足が地味に痛い。さっきまで手ひどく痛めつけられた記憶も残る。

 それでも、厄介な相手をおおむね計画通りに始末できた。動物変身の魔術で動きを止めると同時に相手のスマホを破壊しておき、入れ替わりの魔術で相手を煽り襲わせ、自分は無傷で相手を排除し、ついでに今後十年間の力を奪うという形で復讐もできた。

 そのことに安堵しつつ、キャラコは自分の荷物を隠した場所へ歩いていく。ジュンコは、まあ放置しても大丈夫だろう。

 今回の一連の流れの中で一番危険なのは、入れ替わり中にこのバッグを見つけ出されること。魔術書を破壊されたりキャラコのスマホで首謀者に連絡されたりしたらかなり詰みに近かった。使うことになりそうな呪文を丸暗記してことに臨み、どうにかやり遂げた。

 あと少し。今夜中に決着はつける。

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