午前2時の筋肉談

Planet_Rana

★午前2時の筋肉談


 私が筋トレを始めた理由は「お酒を美味しく飲むため」である。


 思えばこれまで、外に出れば喜んで走り回るくせに割と体力が無い人生であった。

 通学路を行けば好奇心と体力不足が相まって遅刻して、中高では三階や四階にある教室に辿り着くまでに息切れした。


 大学だってそうだ。昼休憩の九十分は、予鈴が鳴る度に次の講義に遅刻したりしないかと心配しながら食事を五分くらいで飲み込んで行動していたものである。

 よくよく想起してみると、その頃は階段を一階分登るだけで全力疾走したかの如く息が上がって敵わなくなり、移動の度にトイレへ駆け込み息を整えるなんて奇行をしていたのだが……これが割と気づかれないもので、学友に理由を聞かれることも卒業まで遂になかった。学科が福祉系だったこともあって、周囲は気を利かせてくれたのだろうと今は思っている。


 いきなり突拍子もなく発言したり、元気になったり沈んだりするような気分屋を「それはそれ」と放置してもらえる環境というのは私としても非常にありがたいものがあって、ぬるい湯舟にひたひたと浸かっている気分でいた。そうして、論文だったりレポート課題だったりの提出物を、放課後や空きコマを活用して、実験室を借りてデータ取りをして、それを元にかき集めた資料と一緒くたに煮詰めて煮込んで引用だらけの三千五百文字くらいにするのである。


 数人で一つを書くこともあったが、大体は一人で一つを書くことが多かった。週に何千文字もタイピングができる指の耐久力は恐らくここで培ったものだろう。


 家に帰ってパソコンを開け、朝が来る直前に仮眠をとって、行きの車で寝て一限に出席する。そんな生活だった。昼食は決まって通学路にあるコンビニの売れ残ったオニギリで、それだけは好きな物を選んで食べていた。昼食の時間は私の生活リズムにはやや合わず、午前最後の講義はひたすら腹が鳴らないように息を潜めていて、休み時間になって人のざわめきが大きくなるとほっとしたものだった。腹の鳴りようだけでもそんな調子なのに、ついでに鼻炎持ちなので調子が悪いときは最悪であった。最悪であった。


 まあ、そんなことを四年ほど考え続けて卒業したものだから、いつ腹を空かせても良いしいつ睡魔に襲われても成績と命の危険に見舞われない自宅というのは学生生活のあの空間よりは割と快適であり、たとえ人間関係の軋みを目の当たりにする時間が増えることとイコールで平行四辺形な逃げ場のない袋小路に入ったのだと頭で理解していても、なかなか抜け出せなくなってしまったわけだ。


 そういうわけで、あっという間に自宅警備員になった。


 いつの間にか、というよりは。単純に、休みたかったんだと思う。事実、耳鳴りや脅迫的な不安に襲われる回数は徐々に減っていった。

 しかしそれがどうして学生時代と勝るに劣らない無力感に定期的に見舞われるようになり、波のある強い不安への対処を漢方に頼りつつ、現在進行形で眠剤を入れなきゃしっかり眠りにつけないほど眠りが浅すぎて起きまくるような睡眠障害一歩手前のところまで行くことになったのか正直分かったものではないのだけど……ここで書くのは一番初めの方に書いた「筋肉」についての話であって序文である上記はそう大した話ではないのだ。


 無理をしてでも学んで、無理をしてでも駄目だった人なんていくらでもいる。更新のめどがなくお先真っ暗であっても衣食住があるのは恵まれている方だ。トラブルの地雷の上でタップを踏みつつ、どれもこれもすれすれのところで何とかなっている自覚があるのでよくわかる。

 これ以上の生活を私は望んだりしないし、だからこそ働くためにと睡眠を始めとした治療を受けることにした。のだが、これは筋トレに関係しない。前述したとおり私が筋トレを始めた理由は「お酒を美味しく飲むため」なのである。二十代になってお酒が飲めるようになったので、興味が出たのは必然とも言えた。


 しかし現状、私は殆ど酒を飲まない。作業用のパソコンのすぐそばに開けて三年になるワインとカルーアと日本酒があるが、どれも買ったその日にひと口ずつしか飲んでいない。減らないまま三年が過ぎた。もったいないが、処理の方法を考えなければなるまい。


 元々酔うほど飲むわけではないし量を飲むわけでもないのだが、炭酸が苦手なのでサイダー割りが飲めないということがとてもネックなのだった。できるだけ十度前後のお酒を探したとして、カルピス割りやオレンジジュース割りのようなものが炭酸無しで売っているわけもない。自分で割るのは難しい、故に既製品を探すのだが中々手に入らないのだ。

 唯一梅酒は安定して購入できるし飲めるのだが、度数は高いし量も多いし重い。誰にも文句を言いたくないと手に取ったノンアルコールは最早ジュース未満の味で、お酒には届かない。私が好きな酒の味は、アルコールゆえの味だったと知った。


 そうして安酒の味に洗礼を受けながらとっかえひっかえしてみて、やや、これは美味いぞ。と見つけた矢先に、おおよそお酒に向いていない体質なのだろうと自覚することが起きた。一杯飲むだけで手の筋に痛みが生じるという状態を認めた故だった。


 曰く根拠のない仮説を知り合いの口から「筋肉が足りないとどうやらそういうことが起こるらしい」と耳にした私は、これを機に地味に筋トレを始めることになる。


 腹筋を試みて身体が上がらず絶望し、二日で辞めた。三日坊主にすらならなかった。足上げを中心に軽い運動をするようにしてみたが、三か月目でぱたりとできなくなった。全力で毎日ラジオ体操も取り入れてみたが上手くいかなかった。部屋の床が抜ける心配もあったが、それほど結果に出なかったということもある。


 諦めかけた頃になって、家計がひっ迫する我が家に何故か家庭用ゲーム機がやってきたのはその時だった。


 そんな経緯で始めることになったゲーム×筋トレだが、こちらはぼちぼち続いている。

 睡眠手帳の記録を見る限りは毎日できるわけでもなく、数日やっては休み数日やっては休みを繰り返しているだけだが中々に続くものだ。姿勢が良くなる過程で股関節が柔らかくなり、連動して膝を壊したことだけが唯一のマイナスポイントだが、立木のポーズとスクワットにさえ気をつければどうにかなるらしいと発見してからはずっとプランクばっかりやっている。


 運動神経はないが、運動は嫌いじゃなかったらしい。

 二十歳を越えて後に新しい発見があるとは思ってもみなかった。


 色々気を配るようになって、例えば野菜と肉の量を増やして、ご飯の量は管理するようになった。


 料理の知識が増えて、何時からかしなかった味がしっかり感じられるようになった。睡眠は浅いし入眠は悪いが、昔よりはすっきり起き上がることができるようになってきた。強い不安は漢方で遠くへ打ち返し、少なくとも突然ベッドに縫い付けられるような酷い睡魔に襲われる回数は減ってきたように思う。


 そんな生活をするようになってからか知らないが、最近は以前よりはずっと真っすぐに、真正面から現実や人間関係や創作活動なんかに向き合うことができるようになってきているような気がする。自覚として遅れ気味だった精神の成長が追い付きつつあるのか、流石にどれもこれも筋トレが全てのきっかけだ、とまではいわないけれど着実にレールを曲げる手順を踏めているような気がしている。


 気がしているだけでひねくれた思考が叩きのばされたわけじゃあないし、これからも創作をしていく上でぶち当たる壁とか謎解きとかに頭をうんうんと唸らせて生きていくしかないのだろう。

 苦手なことは苦手だし、好きな物は好きだし、きっと沢山の人にお世話になる人生なのだ。今のところは上がった代謝を夜食のカップ麺で打ち消して、お腹の空きを満たして寝ることにする。


 筋肉に関して何か言えることがあるとすれば、美術解剖学で人体構造を齧った際に「人って筋肉の塊なんだなぁ」と思った程度で特に思うことは無い。人間の肉体の大半が骨と筋肉で支えられているのだからほどほどに鍛えて損はないとは思うけれど。そういうのは、個人の自由である。


 でも、そうだなあ。


 自分の腕の形が締まって、筋肉のラインが浮くようになったことで絵のデッサンに使いやすくなったことが……筋トレの成果として一番うれしかったことかもしれないな。と、鍛えて尚、結局ほとんど酒を呑む機会もなく創作を続ける夜更かしは、本日も夜中にぱたぱたとタイピングをしているのだった――なんて。この話にヤマはなく、そんなオチなのでした。


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