第8話 対面(前編)

五月三日 午後一時 中等科寄宿寮


『五月六日の土曜の夕食の件だけど、手が空いたら電話して』


(沙耶ちゃんだ)


 五十棲は、午前中に携帯の機種交換をして帰ってきた後、何とか食堂の昼食時間に間に合い、食事を済ませて寮の部屋に戻ってきた。そこで自分の机の席に座り、一息すると葵からのレインに気づいた。五十棲は折り返し葵に電話した。


プルプルプル…


【あ、香織ちゃん、ありがとう】


「こんにちわ。レイン今気がついたの…」


【いいよ。それでね、この前言ってた土曜日の夕食の件だけど、いつものように通学門の前に家の車で迎えに行くから】


「あ、沙耶ちゃん、こちらから連絡しようと思ってたんだけどね。午前中機種交換にショップへ行ったんだけど、そこで携帯を買いに来た薊ちゃんと会ったの。それで土曜の件を薊ちゃんに言ったら、ぜひ行きたいと言ってたのね。言ってはいけなかったかしら?」


【そんなことないよ。でも連絡取れて良かった。それじゃ薊ちゃんも一緒に行けるんだね】


「うん。薊ちゃん、すごく喜んでた。それでね。後で沙耶ちゃんのところに薊ちゃんの番号とアドレス送っとくから」


【うん。ありがとう。よろしくね。それじゃ、土曜の件は、私から薊ちゃんに詳しく連絡しとくわ。でも突然電話したら驚くかしら?】


「大丈夫だと思うわ。沙耶ちゃんに薊ちゃんの電話番号とアドレス教えるね。って言っといたから」


【そう。では私から連絡しとくね。それと場所は都内のホテルランバスのフレンチ・ダイニング“スカイランバス”と言う五十一階、最上階の展望レストラン。ドレスコードは特に決められてないけど、その日は貸切らしいから、前一緒に出かけた時の服装で全然大丈夫だからね】


「うわぁ、いいなぁ。私展望レストラン初めて行くの。それは楽しみだわ」


【良かったわ。喜んでもらえて】


「沙耶ちゃん、ありがとう」


【では、土曜の午後四時半にお迎えに行くわね。レストランの開店は午後六時から。八時頃にはお食事も終わると思うので、それから帰っても寮の門限までには十分間に合うと思うわ。だから帰りのことも安心して】


「はい。分かりました。よろしくお願いします」


【それでは、土曜日にまたね。バイバイ】


「沙耶ちゃん、バイバイ」




五月五日 ドライブイン昭和


《五月一日に無事保護された藤堂小百合ちゃん(八)の救出と容疑者の逮捕に協力した妙行市在住の館林銀次郎さん(十六)と山崎翔太郎さん(十六)の二人が、本日、五月五日のこどもの日に、妙行警察署より感謝状が授与されました》



「おお! 出てる、出てる。」


「遂にテレビにも出ましたよ!」


 山崎翔太郎は、テレビを見ながら少し浮かれ気味で呟いていた。


「そんなに浮かれてらんねぇぞ」


「何でですか? いいじゃないっすか」


「デビルスターの件もあるし……。新聞に載って顔まで晒したんだから、翔もよく用心しとけよ!」


 館林銀次郎は、浮かれながらテレビに釘付けになる翔に一抹の不安を感じていた。


「大丈夫っす。各分隊にも取締役から通達してますし、何かあれば、いつでも俺んとこに連絡入ってきますから」


「いや、何かあってからでは遅いんだけどな……。それと黒狼に用意してもらったヘルメット、ちゃんと被れよ。これで俺と黒狼と翔の三人がいつでも運転中でも、連絡が取れることになるからな」


 銀は翔の敵を侮っている様子にやはり不安を感じずにはいられなかった。


「へぇい! ……あ、そいえば第三分隊の特攻隊長が連絡取れないって、ユッキーが言ってましたけど。関係ないとは思いますけど、よく連絡が取れなくなることがあるそうだそうで」


「そいつは、少し気になるな……」


 黒狼は、翔が何でもないと思っている一言に、関心を見せた。


「今日のパレードの前の全体集会でデビルスターに注意することや薬物禁止について、全員に念を押しておこうとは思うが、その前にユッキーと第三分隊総長から詳しく話を聞いておきたいから、集まり次第俺のとこに連れてきてくれ」


「オッケー、分かった」


「黒狼、何か気になることでも?」


 銀は、黒狼が関心を見せたことが気がかりになった。


「そうだなぁ。第三分隊の前身の黒蛇會は、暴力団との繋がりや他にあまりいい噂を聞かなかったからな」


「それは連合傘下に入るとき、除名など人員整理をして解消した筈だと思うが……」


「うんー。……傘下に入ってから急成長していることも、少々気になっていたんだ」


 銀も黒狼からそれを言われると少し考え込んだ。そんな銀と黒狼の会話を聞きながら翔は二人の役に立てることを考えながら、第三分隊取締のユッキーが翔に近いことと第三分隊の管轄である埼玉が翔にとっても地元であることが役に立てることではないかと思いついた。


「黒狼、俺が別の線から調べときましょうか?」


「そうだな、翔。ユッキーともよく打合せて、第三分隊総長の柴崎には、知られないように調べてくれるか?」


「了解っす!」


 今日は帝都連合〝匁呎州都メフィスト〟の全体集会とゴールデンウィーク最後のパレードの日であった。

 集合時間は深夜零時、場所はドライブイン昭和に関東一円の連合傘下の全分隊バイクおよそ三百台が集合する。



 時間は未だ午後十一時であったが、統括グループのほぼ全員がイートインに揃っていた。


「うっす!」


 イートイン正面入口から林 幸雄『ユッキー』(十七)が、入ってきた。


「やぁ、ユッキー、柴崎も来てるか?」


 イートイン内は、すでに軽食販売は営業終了していたが、イートイン施設内は、統括グループ以外は店内利用が禁止されていた。


「ああ、第三分隊全員と一緒に来たからな」


「翔から少し聞いたんだが、特攻隊長と連絡が取れないらしいな」


「そうなんだが、柴崎から聞いたところ、これまでもよく連絡が取れなくなることがあるらしいんすよ」


「そうか。俺も直接話を聞いてみたいから、中へ通してくれ。それと柴崎のいないところで、翔とよく打ち合わせをしておいてくれ」


「分かりやした。直ぐ連れてきやす」


 そう言ってユッキーは、イートインを出て行った。

 黒狼、銀、翔の三人は、イートイン中央のテーブルに、入り口正面に向かって並んで座っていた。他のメンバーはそれぞれ左右のテーブルの好きなところに座っていた。


「うっす!」

「連れてきやした」


 暫くしてユッキーが柴崎を連れて入り口から入ってきた。柴崎は、挨拶して頭を下げたままの状態だった。


「どうぞ掛けてくれ」


 黒狼が声をかけるとそれに応じてユッキーが、黒狼らが座る三人の正面に入口を背中にして座った。


「おい! 柴崎! お前も座れ!」


 柴崎は、少し膝が笑っているようにも見える。


「どううしたんだ? 何ビビってやがんだ。いいから座れよ」


「うっす! 失礼します!」


 そう言って柴崎は、手を膝に当てて、背筋を伸ばして腰掛けた。


「柴崎、まぁ、そんなに緊張するな。いつものようにしてたら良いから。お前に特攻隊長のことを聞きたいだけだから」


 黒狼は、穏やかな表情で、柴崎の緊張をほぐすように言った。

 柴崎は、黙ったまま黒狼を見ていた。


「それで連絡が取れないと言うのは、どう言う状況なのか説明してくれ」


「はい、三日の晩に今度の集会とパレードについて携帯に連絡しようとしたのですが、呼び出し音は鳴るのですが、出ませんでした。それから何度か電話しても、メールしても返事がない状況です。…これまでもこう言うことは何度かあったのですが、今日になっても連絡取れずに、何の返信もないです。過去に1週間連絡が取れないこともあったんですが、集会やパレードのことは、連絡する以前から、恐らく五月五日にあるだろう。と長良とは、話していたんですけど…」


「最後にその話をしたのはいつなんだ?」


「五月一日です」


「そうか。もし何かあったとしたらそれ以降ってことだな」


「黒狼、ごめん。俺がもっと詳しく話を聞いてれば…」


 そう言ってユッキーは肩を落とした。そして翔もまた深く考えていなかったことに頭を下げて黒狼や銀に顔を向けられなかった。


「何もなければ良いんだが…。それで柴崎、お前んとこに暴力団や麻薬に絡んでる奴とかは、もういないんだよな」


「…はい、黒蛇會の時は何名かいましたが、連合参加の時にそいつらは除名しました。それから新しく入った奴らもその辺は大丈夫です」


 柴崎は、顔色一つ変えずに黒狼の問いに答えた。


「お前んとこは、確か四輪部隊も加わったんだよな。年下のお前が纏めらるのか?」


 銀がそう問いかけたとき、柴崎は、少しの間黙り込んでしまった。そして


「あいつらは、殆ど第三分隊とは行動してないんですよ。…つまり、うちが連合参加した後に、名前貸ししてるだけで、バイクの隊員らとは殆ど関係がありません」


 柴崎は、少し気まずそうに答えた。


「?…おい、柴崎、お前らと四輪の何台かが地元を流してたって聞いたことがあるぞ」


 ユッキーが、隣の柴崎を見ながら意外なことを口にする柴崎に少し驚いたようにそう言った。


「い、いや、此間は四輪部隊の奴が、よその奴に名前貸しではないことを知らせる為に頼まれて仕方なくなんです」


 柴崎は、ユッキーに知られていたことに戸惑いを隠せなかった。


「そうか、まあ、いいや。…第三分隊は、バイクだけで五十名いるんだから四輪部隊は、切れ! いいか!」


 黒狼は無表情に冷たくそう言い捨てた。

 柴崎は、また黙り込んでしまった。


「どうしたんだ! 返事しろや!」


 ユッキーは柴崎を少し睨みながらそう言った。


「はい、…わかりました」


 柴崎は、少し俯き加減にそう答えた。


「黒狼、月曜までには四輪部隊を切ってちゃんと報告入れます!」


 ユッキーは、柴崎のフォローをし、黒狼にそう申し出た。


「ユッキー、その時は俺んとこに連絡くれ! 黒狼と直接連絡取れるから」


 翔も責任を感じながら少しでも役立てるように、ユッキーにそう言った。


「はい」


「ところで柴崎、デビルスターには、くれぐれも気をつけてな。それとメンバー内にも、デビルスターだけでなく、暴力団関係や薬物に関わっていないか、よく網を張っておいてくれ! いいな!」


 黒狼は、そう言って念を押した。

 柴崎は、少し俯いた姿勢で承知する返事をした。


「些細なことでも気づいたら直ぐにユッキーに報告してくれ。…よし、もういいぞ。分隊に戻ってやってくれ」


「はい、失礼します」


 そう言って柴崎は正面玄関から出て行った。


「ユッキー、どう思う?」


 黒狼は柴崎の様子に不信を感じていた。


「そっすね。何だか様子が変だったような…」


「そうか。翔との打ち合わせだが、集会の前にと言ってたが、パレードが解散して此処へ戻ってきた時にしてくれないか? それまで柴崎や第三分隊の連中には、打ち合わせのことは知られないようにな」


「ああ、了解っす」


「よっし! 全体集会だ! 統括グループ、外に出るぞ!」


 黒狼がそう言うと、統括グループ全員が立ち上がって、帝都連合〝匁呎州都メフィスト〟約三百名が並ぶイートインの外に出た。



 約三百名を前にイートインの出入口の三段の階段の段上で、建物を背にして黒狼、銀、翔の三人が並んで立った。そしてその下に統括グループの他のメンバーが左右を挟むように向かって並び立った。


「これより帝都連合〝匁呎州都メフィスト〟全体集会を始める!」


 銀が大きな声でそう言うと黒狼は、中央に出て立った。




五月六日午後五時三十分 黒菱スカイタワー地下一階駐車場


「やはり少し渋滞したわね。早めに出ておいて良かったわ。さぁ、行きましょ」


 運転手が後部ドアを開けると沙耶、薊、香織の順で車から降りてきた。


「こっちよ」


 沙耶を先頭に三人は、ホテルランバス専用のシャトルエレベーターに向かった。

 エレベーターに入ると周りはガラス張りであったが、壁に遮られていた。ボーイがボタンを押すと次第にエレベーターは登り始め、暫くするとガラス張りに未だ明るい街の姿が現れた。そして最上階へと登って行った。


 エレベーターを降りると右手にレストラン専用のロビーが広がり、左手直ぐにレストラン入口があった。

 エレベーターを出ると葵の父親が経営する会社の従業員たちが出迎えた。


「お嬢様、いらっしゃいませ」


「ありがとう。お父様は、もう来られてますか?」


 沙耶がそう答えるとその従業員にロビーへと案内された。

 ロビーは、日本庭園を思わせるような装飾に囲まれ、中央に複数のロビーソファが置かれていた。そこには既に何名かの招待客が座っていた。


「沙耶、間に合ったね」


 そう声をかけたのは、スーツ姿の沙耶の父、葵 宗一(五十三)と半歩後ろに並んで立つ、母の葵サーシャ(四十八)だった。沙耶の両親は、ロビー入口付近で、招待客の出迎えをしていた。


「沙耶、学園のお友達ね。ご紹介してくださらない」


 シックなロング丈のパーティードレスを着たサーシャは、沙耶にそう言って一歩前に出た。


「お母様、二人とも私と同じクラスのこちらが五十棲香織さん、そしてこちらも同じく望月 薊さん。二人ともとっても仲良しなの」


 香織と薊は、突然の沙耶の両親の出迎えと紹介に緊張していたが、沙耶の少し後ろにいた五十棲は、一歩前に出てサーシャに挨拶をした。


「沙耶さんには、いつも仲良くしていただいております。今日はご招待頂き、ありがとうございます」


「ありがとうございます」


 薊は、ただでさえ口下手の上、緊張して一言挨拶をし、ペコリと会釈する程度であった。


「二人ともとっても可愛らしいお方ね。今日は沙耶の誕生会に来て頂いて、ありがとうございます。美味しいお料理も沢山出ますから、是非、楽しんでいってくださいね」


 香織と薊は、驚いた。沙耶から誕生会のことを聞いていなかったからである。二人は、サーシャの言葉を聞いて沙耶の顔を見た。


「ごめんなさい。誕生会のこと。言うと気を使わせちゃうので、言ってなかったの」


「沙耶ちゃん、お誕生日おめでとう」

「おめでとう」


 二人は心から沙耶を祝った。


「あら、そうだったの。今日は三人だけのテーブルだから、気兼ねなく過ごして頂戴ね。開店まで未だ時間があるからロビーでもう少々待っててくださいね」


 そう言われて三人はロビーソファに座った。


「沙耶ちゃん、お誕生日のこと今聞いたので、お誕生日プレゼントを何も用意していないの。休み明けまでに用意して学園で渡すから、遅れてごめんなさい」


「香織ちゃん、いいのよ。そう言うと思ったから私が黙ってただけなの。気にしないで」


「でも、プレゼントは何か必ず用意するわ」


「私ね。お父様が会社の接待のために何かと堅苦しい行事を行うから、結構窮屈だったの。でも二人とお友達になれてすごく自然にいられる自分が嬉しいの」


「えー、でも沙耶ちゃんだったら、他のクラスメイトとか仲のいいお友達がたくさんいるじゃない」


「実は私、結構無理してるんだ。進級組とか新入組とか、これまでの友達の輪に中々入りづらいじゃない。最初の頃は何とか早くと思ってたけど、今は二人とお友達になれて気が楽になったの。もっと早くお友達になっていれば良かったわ」


「沙耶ちゃんにそう言ってもらえると嬉しいわ。…実は、…私………」


 五十棲が最後に何か言いかけた時、ロビー入口で黒いスーツを着た男性四人とパーティードレスを着た女性四人に沙耶の両親が深々と頭を下げていた。


「あれは…黒川様だわ!」


 沙耶は、ロビー入口のザワつきに気づいて思わず声を上げた。


 そして沙耶の両親、宗一とサーシャの案内で、その一行と一緒にこちらにやってきた。


「さあ、どうぞ。こちらでもう少々お待ちください」


 宗一がそう言って席に案内すると一狼が沙耶達の座る席へと近づいてきた。沙耶は、一狼を見て咄嗟に立ち上がった。


「あ、やっぱり葵さんだ! そうか、葵建設のお嬢さんだったんですね。お誕生日、おめでとう。内の学園の葵さんだとは思わなかったので、プレゼント用意してなかったけど、ごめんね。また埋め合わせするよ」


 一狼は、そう言って沙耶の前に立った。沙耶は、一狼の言葉に声を詰まらせてしまった。


「何だ、沙耶、黒川様のお坊ちゃまとお知り合いになってたのか…」


 一狼と沙耶に気づいた宗一がすかさず近寄り、嬉しそうに言った。


「はい、お父様」


 そこへ黒川菱一とローズがやってきた。


「黒川社長、こちらが家の娘の沙耶と申します。よろしくお願いいたします。ご子息様とご学友のようでして……」


「そうですか。それはそれは、沙耶さん、お誕生日、おめでとうございます」


「あ、ありがとうございます」


 沙耶は何が何やら、憧れの一狼には、プレゼントのことを気にかけさせてしまい。そのご両親にご挨拶をきちんとしなければと思い。少しあたふたとしかけていた。


「あら、一狼、学園にお友達がいたのね」


 ローズはそのことに意外に思い、関心を引いた。菱一もローズが関心を寄せたことに気づいた。


「そうか、今までお友達を紹介されたことなど一度も無かったものな。是非、お父さんとお母さんに紹介してくれないか?」


「はい、父さん。こちらが同じ学園の中等科一年の葵 沙耶さん。そして…え…と」


 一狼が沙耶を紹介するのを見て香織と薊も立ち上がった。


「私と同じクラスの五十棲香織さんとこちらが望月 薊さんです」


 沙耶は、一狼が詰まりかけた様子を見て、それを自然に違和感を抱かさせることなく、香織と薊の紹介をした。


「一狼の父の菱一です。息子とこれからも仲良くしてやってください。よろしくお願いします」


 沙耶は、一狼の両親に深くお辞儀をし、それを見て香織と薊もお辞儀をした。


「私は一狼の母、ローズです。沙耶さん、お誕生日、おめでとうございます。そして皆さん、これからも一狼と仲良くしてやってくださいね」


 ローズは、そう言って沙耶、香織、薊と順に顔を見た。そして薊の前に少し近づき薊に声を掛けた。


「あなた、何処かでお目にかかったような気がするわ。えーっと?」


 ローズが薊にそう話しかけると。


「あ、の…私は、初めてお目に掛かります」


 薊は、詰まりながら答えた。


「あら? そう…お名前は薊さんでしたよね。ご両親のお名前は、何て仰るのかしら、教えていただけますか?」


 沙耶と香織は、ローズの言葉に気まずさを感じ、思わず眉を顰めてしまっていることを気づかれまいと、困ってしまっていた。


「はい、両親は亡くなってるのですが、父は健と言います。母は萩です」


 ローズは、薊の母親の名前を聞いて僅かに目を見開いた。そして薊の顔を見ながら、


「ごめんなさい。悪いことを聞いてしまいましたね。ご不快にお取りにならないでくださいね。どうかこの後も楽しく過ごしてください」


「はい、差し障りございません。お気遣いありがとうございます」


 薊は、いつの間にか詰まることなく、自然に会話ができていた。母親の記憶は殆どない筈の薊にとって、ローズの佇まいや優しい声と語り口調は、母親を思い出すような思いであった。

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