第5話 忍び寄る禍事(一)
「坊ちゃん! あれ程、呉々もお気をつけくださいと言っていたのに!」
一狼が明け方に黒菱タワー自宅へ戻ると白城が玄関口で、目を吊り上げて、今にも一狼に飛びかからんばかりの剣幕であった。
「え? なに? 白城なに怒ってるのさぁ」
一狼は、眠そうな顔をして白城の剣幕に心当たりがない。といった顔つきだった。
「昨晩の首都高での危うく大型トラックに衝突寸前の出来事」
「………」
「坊ちゃんに何かあれば、私の責任だと、あれ程言ってるのに……」
「……私の責任というより、坊ちゃんに何かあった時に、私は直ぐに助けに行けないんですよ!」
全く身に覚えがないと言った表情で無言で玄関口に立つ一狼の態度が、白城の怒りの口火を切った。
「坊ちゃんのことだから、大抵のことは切り抜けられると、私は信じているんですけどね……」
「坊ちゃんが初めてバイクに乗られることをご相談くださった時に遠出はされないことと、事故には呉々も気をつけていただくことが条件というお約束をした筈ですよね!」
「あー、もう、煩い!」
一狼は、白城の小言に、流石に眠気も覚めた。
「つーか、何で昨晩のことを白城が知ってるんだ? 後でも着けてたの? …ストーカーじゃん」
「違いますって。後でも着けてたら、まだ助けにも入れるのですが…。遠く離れてたら助けられるものも助けられないってことですよ!」
「じゃあ、何で昨晩のこと知ってるのさ?」
「しょうがないなぁ。坊ちゃんが一人で出かけられる時は、いつも監視ドローンで空から警護しているんです」
「えぇっ! そうだったの?」
一狼は全くそんなことに気づいてもいなかった。
「そうなんです! 不審者による襲撃には、ドローンで、ある程度迎撃や時間稼ぎができるので、その間に私が坊ちゃんの元へ助けに急行できるのです。ですが事故などの危険には、幾ら高性能ドローンでも、出来ることにも限界がありますから。」
「それじゃ、白城が俺のところに向かっている間、ドローンは誰が操縦するるんだ? そして毎晩、俺のことを監視している白城は、一体いつ寝てるんだ?」
「ドローンはいつも槙島が操縦して監視と警護を行なっているのです。緊急時は、私の寝室の警報を鳴らして知らせてくれるのですが、昨夜は、坊ちゃんが首都高に入った時から、いつもよりスピードを出していることを異常に思い、槙島から知らせを受けていたんです」
「それで、映像を見ていたら、やっぱり案の定。バイクは時速二百キロ以上で転倒寸前、いくら人間離れした運動能力の坊ちゃんでも、流石に無事では済まないと……。久しぶりに肝を冷やしましたよ」
「まぁ、まぁ、無事で良かったじゃん」
一狼は、全く他人事のように白城を宥めた。
「でも、何か今後の対策を考えなければなりませんね」
一狼・白城「────」
一狼は、平然とした顔をしながら白城がなにを言い出すのか少し不安であった。
「そうだ! 私もメフィストのメンバーに加えてください!」
「だ、ダメだよ。そんないいオッサンが入ったら、目立ってしょうがない。何て言って他のメンバーに紹介するんだよ? ……ダメ、ダメ、ダメだ。俺の素性だって秘密にしてるんだから。不自然だろが。それに白城は、バイクに乗れるのか?」
「大丈夫ですよ。坊ちゃんのヤンキーの叔父だと言ってくれれば。それに私は有りとあらゆる乗り物の操縦については、プロですから」
「いや、却下!」
呆れた一狼は一刀両断に斬り捨てた。そう言っていい加減、玄関口で言い合うことに疲れた一狼は、ソファとテーブルしか置かれていない飾り気のないだだっ広いリビングに向かいその広いソファに腰を下ろした。
「坊ちゃんが何と言っても、それが一番いい対策です」
白城もそう言いながら一狼の後について、一狼の座る対面のソファに腰を下ろした。
「良いわけねぇだろう」
「じゃあ、坊ちゃん、今後はバイクは一切禁止です。免許も無いんですから」
「おい、白城! …貴様、俺の唯一の生きがいを奪うのか!?」
一狼は、興奮してソファテーブルに両手をついて、腰を浮かせて白城の方へ身を乗り出しながら切実に訴えた。
「坊ちゃんが小さい頃から寂しい思いをしているのは、私も十分承知していることですがね。今回ばかりはもう仕方がないことなんです。坊ちゃんの命と私の身の安全が第一ですから」
一狼は、落ち着きを取り戻して、再びソファに腰を下ろした。
「白城の身の安全ってどう言うことさ?」
「い、いや、間違いました。私は傭兵時代に奥様に大変な御恩を受けた身なので、その御恩を仇で返すような事はできないと言うことです」
白城は、改まった深妙な面持ちで説明した。
「何だ? それ? よくわかんねぇけど。大丈夫だよ。そんなことにはならないから」
「困ったなぁ。坊ちゃんを説得することなんて出来ないし………」
そこへ執事、メイドの専用口から執事の槙島が入って来た。
執事とメイドの居住スペースは一狼と同じ最上階で、一狼の玄関口とはそれぞれ別に玄関口があった。そして一狼宅の内部専用口で執事、メイド達と繋がっていた。ただし白城の部屋に限って、一狼宅のリビングを挟んで向かい側に部屋があった。
「失礼します」
「おう、槙島。まだ寝てなかったのか?」
槙島は、ソファに座る一狼と白城のところへ少し早歩きで向かい、テーブルの横に来ると気を付けの姿勢で立ち止まった。
「はい。実は昨晩の坊ちゃんを助けてくれた黒いバイクの少女のことなんですが……」
「そうだ。坊ちゃん、あれは誰だったんですか? メフィストは、女人禁制じゃあ、なかったんですか?」
「帝都連合全体集会の時はそうなんだけど、統括グループだけだから、俺が許可したんだよ」
気恥ずかしそうに一狼は答えた。
「あれから彼方此方のデータベースを探って見たのですが、該当データが全く見当たらないのです。車体には、ナンバープレートもなく、車種についても全くヒットせず、マスクをしてましたが、顔写真によるデータも解析も出来ませんでした」
槙島は、一呼吸置いて調査報告をした。
「そうか、…で、坊ちゃんはご存知なんですか?」
「いや、名前はシスルとだけしか知らない。まだ二回しか会ったことがない。連絡先を聞いても、用がある時はシスルから連絡するって言われたんだけど、俺に番号を伝えた訳でもなく、聞かれた訳でもないんだが、、何だかそれ以上のことが聞けなかった。そういう雰囲気だったんだ」
白城は、一狼の話に少し不思議そうな顔をしながら
「名前しか知らない!? しかも二回しか会ったことのないお嬢ちゃんと一緒に走ってたんですか? ……そうか、一回目はあの峠の時ですか。坊ちゃん、相当お気に召したんですねぇ」
白城は、一狼を冷やかし気味に嫌味を言った。
「そんなんじゃ、ねぇよ。しかも峠の時も見てたのか」
一狼は、そんな白城の言葉に薄っすらと頬を赤らめた。
「あれ? 坊ちゃんが心情を顔に出すのも珍しいですね。小さい頃を思い出しますよ」
白城は、微笑ましそうに、一狼の顔を見た。一狼は、そんなニヤけた白城の顔を見てそっぽを向いた。
「もう一度シスルの名前で調べては見ますが、恐らく何も出てこないと思われます」
槙島はどうにも会話を切り出すタイミングが難しかった。
「ああ、よろしく頼むよ。夕方にまた打ち合わせしよう。槙島も少し休めよ。今夜も監視だからな」
「はい、大丈夫です。後の調べ物は、メイド達にやらせますので。その間に私は少し休ませていただきます」
「よろしく。それとメイドさん達にもよろしく伝えといて」
「ありがとうございます。それでは、失礼いたします」
そう言って槙島は、専用口へ向かって退出した。
「執事の槙島やメイドさん達って、そんなことしてたんだ」
一狼は、人知れず苦労をかけていたことに少し申し訳なく感じていた。
「そうですよ。坊ちゃんももう少し槙島やメイド達にも関心を持ってやってください」
「苦労をかけてたんだなぁ……」
「そうだ。坊ちゃん、ちょっと待っててくださいね」
そう言って白城は槙島の出て行った専用口から退出した。そして直ぐに同じ扉から白城が入って来た。
「坊ちゃん、これ」
と言って一狼に、スマホを手渡し、ソファに腰を下ろした。
「なに、これ? 俺ちゃんと持ってるよ」
「違うんです。今後もあのお嬢ちゃんと一緒に走るなら、それを何とか言ってあのお嬢ちゃんに渡してください。ご存知のように、その携帯は特別な物で、登録ではなく、予め設定された番号以外への着信、発信は出来ない仕組みになっています。そう、坊ちゃんの携帯と同じです。そしてG P Sも組み込まれているので、その携帯を持っているだけで、何処にいるか位置情報が掴めます。これで謎のシスルっていうお嬢ちゃんの居所やその他の素性など、詳しい情報を掴めるかも知れません。これは、坊ちゃんの不測の事態に対処出来るようにしておく為にも必要なことなんです」
「えぇ~、そんなの俺嫌だよ。彼女でもないし、友達って言ってもなぁ」
「坊ちゃん、ダメですよ。何処の誰とも知れないあのお嬢ちゃんは、坊ちゃんが転倒しそうになり、バイクが横滑りを始めた時、それまで並んで走っていた筈なのに、一瞬にして百メートル前方の大型トラックの横に現れ、片手でそのトラックを押し戻したんですよ……」
「片手で押し戻すぐらいのことは、そんなの俺でも出来るよ」
「そこじゃあないんです。問題は、二台が二百キロ以上のスピードで走る坊ちゃんの位置から、百メートル先へ一瞬にしてジャンプし、その僅か数秒の間にそれをやってのけた事なんですよ」
「────」
「幾ら監視ドローンの映像を繰り返し観ても、それを更に詳しく映像解析しても、その瞬間どう移動したのかが全く映ってないんです」
「そんな…。…オカルトじゃぁ、あるまいし」
「坊ちゃんがこのままバイクに乗り続けたいのなら、必ずその携帯を渡してください」
「え、じゃ、このままバイクに乗っても良いってことなんだな。やったー! ありがとう!」
バイクを取り上げられるのではないかと心配していた一狼は、白城の心配を他所にいつにない喜びの表情を見せていた。
「仕方がないなぁ。坊ちゃんを説得することはできないからなぁ」
白城の目には、普段から思っていることを顔に出さない一狼の喜んだり、悲しんだり、怒ったりする。そんな表情が普通の子供のように見え、それは人間離れした一狼が白城に身近な存在であることを感じられ、一狼との親近感が持てる時だった。
「それにしても妙ですね? 坊ちゃんの携帯番号も聞かないのに、坊ちゃんにどうやってシスルのお嬢ちゃんは、連絡してくるんでしょうか? それに例え番号聞いた? 知っていた? にしてもシスルちゃんの番号が坊ちゃんの携帯に設定されない限り、坊ちゃんの方で着信通話が出来ないのに…」
正午 市内のとあるイタリアンレストランにて
「お昼、こんな所に無理に連れて来ちゃったけど、二人とも本当にイタリアンで良かった?」
葵は、中等科通学門に五十棲と望月の二人を迎えに行った後、午前中ずっとショッピングで二人を連れ回していた。
しかし五十棲と望月にとっては、友達と何処かへ出かけること自体が初めてのことで、葵のリードは気負いすることがなかった。二人は葵に連れられるがままに、いろいろな店を回ったが、二人もまた買い物を楽しんだ。二人には、それがとても楽しかった。そのお陰で二人は大分葵とも会話がスムーズにできるようになっていた。
「うん。イタリアン大好き」
「うん。私も」
「何でも好きなものを注文してね。私が奢るから」
「そんなの大丈夫だよ。ちゃんと払うから。気にしないで」
「ごめんね。いきなり私の買い物ばかりに付きわせちゃって」
「うんん、そんなことないよ。私たちも色々とお買い物できたし、とっても楽しかったよ。ねえ、望月さん」
望月は、頷きながら買い物袋から小さな紙包を取り出し、それを葵の前に恥ずかしそうに差し出した。
「葵さんに、どうぞ」
「え、なに?」
「二人から葵さんへのお友達記念のプレゼント。今日は誘って貰って、とっても楽しかったから、さっきのお店で二人で買ったの。」
五十棲は、そう言って望月のぎこちなさをフォローした。
「えー、ありがとう。中開けても良い。」
葵は、返事を聞く前に紙包を開け始めた。
「どうぞ、どうぞ」
「うわー、うふふ。とっても可愛い」
紙包の中身は、愛らしい小さな子豚のストラップだった。
「私たちも同じものを買ったの」
「そうなんだ。三人お揃いだね。ありがとう。でも、こんなことしなくてもとっくに皆んなお友達だよ。ね1」
「葵さん…とっても嬉しい。」
五十棲は、何処からか込み上げてくるものを抑えながら、それでも隠せない満面の笑みが、五十棲の嬉しさを表した。
望月も顔を上げて、葵に微笑んだ。
「三人で三匹の子豚さんだね」
三人は、顔を見合わせて、クスクスと笑った。
「何だか望月さんの顔を初めてはっきりと見たような気がする。変ねぇ」
「私も」
普段から影が薄い望月の顔は、葵も五十棲も正直はっきりと見たことがなかった。
再び三人は、クスクスと笑い出した。
友達を作るのには、何のお膳立ても必要がないのだ。それは何かのちょっとしたきっかけ、ちょっとした思いやりや声をかける勇気だけなのかもしれない。
しかし本人の性格やそれ迄の環境に慣れ親しんだ心は、そのちょっとした事が何より大きく感じられるのだった。
すっかり打ち解けて、楽しく食事を終えた三人は、レストランを出てカフェへと向かった。
五十棲は、寄宿寮での嫌がらせで受けた嫌な思いは一気に吹き飛んでいた。三人が本当に友達になれたという思いの喜びが、五十棲のこれから進もうとする道が明るく開けたように感じられていた。
望月一人がまだ少し会話をするのが、苦手なようではあったが、三人はカフェに入って、更に会話が弾んだ。
「それでさぁ、五十棲さんの下の名前教えて?ごめんね、覚えてなくて」
「……香織です」
急に五十棲の顔が暗くなった。五十棲は、昨夜の食堂でのことを思い出した。それでも五十棲は折角、打ち解けた場の雰囲気を壊さないようにと無理に笑顔を作って見せた。
葵は、五十棲の様子に違和感を覚えながら
「望月さんも、ごめん。教えて」
「薊です」
「そっかー。皆んな可愛らしい名前じゃん。じゃあさぁ、これから三人は、下の名前で呼び合うことにしない? 良いでしょ。私は沙耶。ね」
「さっ、香織ちゃん。私を名前を呼んで!」
「さ、沙耶ちゃん」
「ほら、薊ちゃんも!」
「…沙耶ちゃん」
「やったー」
五十棲も、望月も、明るい葵に導かれるように心から笑い合った。
「ねぇ、薊ちゃんにまだ聞いてないことがあったんだけど。薊ちゃんは、スマホ持ってないの?」
「…友達いないし、特に困らないから、持ってない。」
「そうなの。今時、皆んな持ってるよ。そしてこれからは、三人友達になったんだから、薊ちゃんも、親に頼んで買って貰ったら?」
「……う、ん。」
望月は、少し寂しそうに答えた。
「親に携帯持つの、反対されてるの?」
「私、父さんも、母さんも亡くなって、お爺ちゃんとお婆ちゃんだけだから」
葵は、まずいことを聞いちゃったと少し焦りながら
「薊ちゃん、ごめん。深く聞いちゃって。無理しなくても大丈夫だからね。」
「うん、うん、平気。小さい時のことだから、私、全然覚えてないの。それに携帯ぐらい買ってもらえるから。私が友達いないから、要らないって断ってたの」
「本当にごめんね。変なこと聞いて。でも薊ちゃんもこうして三人友達になれたんだから、携帯買って貰ったら。そして携帯買って貰ったら一番に私たちに番号教えてね」
「…うん。そうする。」
望月は嬉しそうに答えた。実は望月も携帯で友達と連絡し合うことは密かに憧れていたことだった。
葵は、そんな嬉しそうな望月の顔を見ながら話をしていると。ふと五十棲の方を見ると、顔を青くして俯いているその表情に先程も感じた違和感と同じものを感じていた。
「香織ちゃん、どうしたの? 何か気分でも悪いの?」
葵は五十棲の身体を労わるように、優しく問いかけた。
「うん。大丈夫。少し胸がムカムカして気分が悪くなっちゃって。」
「大丈夫かしら。さっきから少し苦しそうだったもんね。トイレ一緒に行く?」
「うん。大丈夫。直ぐ楽になると思うから。」
カフェの中では五十棲は、店内側に望月と並んで座り、その対面の窓側に葵が一人で座っていた。そして葵が望月に携帯電話の話をしている時に後ろの窓から丁度通りがかった木原の姿が見えたのだった。
窓から見える店内の五十棲に気づいた木原は、そのまま通り過ぎることなく、その窓から少し外側に離れたところで立ち止まり、五十棲を睨みつけたのであった。
その時の木原の鬼のような形相に五十棲は怯えてしまっていたのだ。
葵から五十棲の身体を労わる声をかけられた時、五十棲がもう一度窓の外に目をやると、もうそこには木原の姿はなかった。
「色々と気を使わせちゃったから、疲れたのかも知れないわね。大事を取って今日はこれで帰りましょうか?」
「沙耶ちゃん、ごめんなさい。薊ちゃんもごめんなさい」
「香織ちゃん、大丈夫?」
望月も心配そうに五十棲を労った。
「いいよ、良いよ。また今度三人で一緒にお出掛けしようね」
葵はそう言って家に電話をかけ、迎えの車を手配した。
木原は、通りを挟んだ向かいの歩道から、カフェから出てくる三人に気付かれることなく、ただじっと見ていた。
三人は、葵の手配で迎えに来た車に乗り込んで帰路についた。
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