第3話 秘密

 誰もが多かれ少なかれ、その人格に二面性を備えている。いや、私はそうでない。という人もいるだろうが、それは気づいていないだけなのかもしれない。それはある出来事をきっかけに突然顔を出す場合もあるだろう。人は成長し、その過程で精神や考え、思考も弁証法的に変化する。

 人間の本能や生活、社会の中での欲求、欲望、〝自分だけ〟という保身、或いは、自身が抑圧された環境の中に置かれたり、そう思い込んだりするだけでも、〝出来心〟という言葉が誰にも共通してその存在を示すように、それら何れかの誘惑に呑まれた時、それは姿を現すのかもしれない。




キーン、コーン、カーン、コーン…


「はい、午前中のテスト終了」

「午後からもテストだからな」


 四月の終わり、学力考査テスト期間も今日で終わり、明日から一週間のゴールデンウィークに入る。


 教室から教師が出ていくと教室の生徒みんなが一斉にぐったりとした。


「そういやぁ、俺さ、昨日UFO見たんだ」


 教室のどこからか、教室の怠い雰囲気を切り替えるように、男子生徒の声が聞こえてきた。



中等科一年Cクラス


 学園のクラス編成は、入学・進級テストの結果で編成されていた。中等科は成績上位順にAクラスからDクラスまである。各クラス定員二十五名。中等科の一年は、その内各クラスの三~七名が中途新入生であった。それ以外は全て進級組だ。


 クラスの殆どが進級組のため、新課程に進級しても、皆顔馴染ばかりで人間関係は、スムーズに構築されていた。

 それだけに新入生は、その輪に入る人間関係づくりは、そう簡単ではなかった。



「五十棲さん、お昼一緒に行こ」


 葵 沙耶は、今年から中途新入学した通学組だった。根っから気さくで明るい性格であったため、直ぐに進級組にも他のクラスの新入生にも、早くから打ち解けていた。

 容姿端麗、金髪ロングの美人で、同じクラスからも、他クラスからも人気があった。

 その立ち振る舞いは、何処か深窓のご令嬢のような淑やかさを持ち合わせていた。実際、大手建設会社のご令嬢であった。


「あ、はい…」


 五十棲香織は、同じ新入生組で、中等科寄宿寮に入寮していた。

 五十棲は、少々内気で無口ではあるが、決して根が暗いと言うほど暗さを感じることはなかった。ただ地味で大人しかった。

 黒縁メガネが、地味で真面目という偏見を生み出していたが、実はそうではなさそうだ。


「そうだ、望月さんも、一緒にお昼行こ」


 Cクラスは、葵 沙耶の他に五十棲香織と望月 薊の女子三名が、新入生組であった。

 望月は葵と同じ通学組であったが、葵は入学してから一度も望月が送迎で通学するところを見かけたことがなかった。


「……(コクリ。」


 望月は首を縦に振り頷いた。


 望月は、腰の辺りまで伸びた黒髪ストレートヘアで、よく見るとその黒髪は、キラキラと輝いて見えた。

 しかしそれ以外の性格や特徴は、全く掴めない存在であった。目立たないというより、普段から出席しているのかさえ誰も気づかない程に、存在感がなかった。


「よし、行こ、行こう」


 葵がこのように新入生組に声をかけ、一緒に昼食をとるのは、入学してから初めてのことであった。それまで葵自身が進級組との人間関係作りで、余裕がなかったからであった。

 そんな中、五十棲と望月は、本人の性格もあり、なかなか人間関係を築くことができないでいた。

 何より消極的で、地味で、存在感がないニ人は、自然に人間関係の輪から弾かれていた。


「葵さん、お昼行こう」


 進級組グループの一人が、葵を中食に誘いに教室の戸口から声をかけた。


「ごめんなさい。これまでこの二人とは、あんまり話したことがなかったから、今日は新入生組だけでお昼行ってくるね。また誘って」


(チッ)

「あ、そう、、構わないわよ。私、じゃあ先行くから、今度またみんなで行こうね」


「葵さん、いいの? 私たちと一緒で……」


「いいの、いいの。明日香とは仲良しだから」


「……ごめんね」


「大丈夫。今度は進級組のみんなを紹介するから。みんなで一緒に行こぅ」


 そう葵は、五十棲を安心させるように気遣った。


 そして三人は、中等科食堂へと向かったのであった。




 食堂は各課程校舎の一階にあり、生徒は、一旦校舎外に出て食堂へと向かった。学園の全生徒(小学科を除く)は、この食堂で昼食をとることが決められていた。

 小学科は、昼食は各クラス内で給食をとり、寄宿生は、寄宿寮内各階の食堂で、食事をとった。


 食堂の入り口は、暗黙の了解で、各学年ごとに食堂の三つの出入り口の決められた一つから出入りが行われていた。

 食堂内はファミレスの四~五倍はある広さであった。寄宿生は、朝昼晩の三食をここでとり、メニューは昼食のみバイキングで、朝晩は二~三種類のメニューのみが提供されていた。


 昼休みのチャイムが鳴った後の食堂入り口では、多くの生徒で混雑していた。


 葵たち三人も、沢山並ぶ他の生徒と共に一学年の出入り口に並び、順番を待っていた。



「黒川さまだ!」


 二年の入り口に並ぶ生徒からザワザワと口々に声が聞こえてきた。


(王子さまだ。見たいなぁ)


 葵たちの並ぶ一年の列からは、二年の列を間に挟んだ三年の列は見えなかった。


 黒川一狼は、三年の列の最後尾に並んだ。登校時には通学門の道を開け、一狼に先を譲っていたが、昼食時は、列の順番を守っていた。これは一年の頃から一狼が、順番を譲られることを嫌ったからであった。


 一狼は、いつも一人を好み無言で順番を待った。だが自然に一狼の周りには、女子生徒たちが付かず離れずの距離で、一狼の周りを囲んでいた。



 食堂へ入るとすぐに、トレーが置かれてあり、そこから各自トレーを取り、次に食器類が並べられたテーブルから食器を選んでトレーに乗せた。

 その後食堂中央に広く取られた厨房口のカウンターに向かい、そのカウンターに置かれた沢山の種類の料理を順に好きなだけ食器に取り分けた。料理は洋風、和風と様々にあったが、それはどれも庶民的な料理メニューであった。メインのお菜となる料理は、大抵は一品ごとに皿に盛り付けられ、カウンターに置かれていた。

 人気のメニューなどは売り切れ御免で、すぐになくなってしまっていた。


(チキンの照り焼きだ。今日はこれにしよっと)


 葵は、最後の一皿のチキンの照り焼きに手を伸ばした。

 そこへもう一人同じ皿に手が伸びてきた。黒川一狼であった。


「あっ、あ……ごめんなさい。どうぞお召しください」


 葵は、その手が一狼のものであることに直ぐに気づき、そう言って顔を真っ赤にして、慌てて手を引っ込めた。


「いいよ。君が食べて。僕は他のものにするから」


「いえ、大丈夫です。私が他のものにしますから」


 葵は、一狼の思わぬ優しい言葉を掛けられ、ドギマギしながら頬を赤らめて答えた。


「気にしないで。さあ、取って」


「いえ、私は大丈夫ですから、黒川さまがお召し上がりください」


 葵は、緊張のあまりその場で固まってしまっていた。その横に五十棲も同じように固まっていた。


 一狼は、チキンの照り焼きの皿を手に取り、葵のトレーの上にそっとその皿を置いた。


「そんなに緊張しなくてもいいよ。君一年生だろ? 名前は?」


 一狼は気さくな感じで、そう言って微笑んだ。


「ありがとうございます。一年C組、葵 沙耶と申します!」


クッ、スッ。


 一狼は、緊張して直立する葵に、思わず吹き出してしまった。


「三年A組、黒川一狼。よろしくね」


「はい、よろしくお願い申し上げます!」


 一狼は、一年生の初々しさに吹き出すのを堪えながら、他のおかずを取り、三年のテーブル方向へ向かった。


 厨房口カウンターでの、一狼と葵のやり取りは、殆ど会話すらしたことのない他の生徒へも、この緊張が伝わっていた。一狼が話をしていることにも驚いたが、一狼が笑顔を見せたことにも驚いていた。

 しかしこの中には何やら不穏な気配を感じさせる女子生徒たちの目線もあった。



 葵たち三人も、一年のテーブルに座った。

 いつもは、生徒たちの会話で賑わっていたのだが、今日は皆、無言でそれぞれが食事をしていた。


「あのー、葵さん? トレーの上にチキンの照り焼きだけしか乗ってないけど? それだけで大丈夫?」


 葵のトレーにはチキンの照り焼きのお皿と空のお茶碗とサラダボールが置かれていた。葵の横に座る五十棲は、心配そうに葵のトレーの上の空の食器を見つめながら言った。


「え? 大丈夫、大丈夫。今日はこれだけで十分だから……」


 葵はやっと気を取り戻し、トレーの上のチキンの照り焼きに、少し嬉しそうにフォークとナイフを入れた。


「ところでさぁ、今まで殆ど話しかけもせず、お昼にも誘わなくて2人とも、ごめんなさいね」


「ううん。私、こういう性格だから……でも、とても嬉しかった」


 五十棲は、話しかけられれば、普通に会話ができた。どうやら根っから暗い性格という訳ではなく、消極的で、引っ込み思案なだけのようであった。


「──」


 五十棲の向かいに座る望月は、少しうつむき加減で、二度首を横に振り、最後に首を縦に頷いて、終始、目線を合わせることなくカレーライスを黙々と食べていた。


「ねえ、ねえ、葵さん。王子さまと話してどうだった?」


 五十棲を挟んで隣に座る中山亮太が、席から体を少し乗り出し、葵の顔を覗き込むように話しかけてきた。五十棲は、話の邪魔にならないように椅子の背もたれに背中をつけるように体を引いた。

 中山亮太は、同じクラスの進級・通学組である。


「え~、とっても気さくで優しかったよ」


「そうなんだ。誰かと喋ってるところとか見たことなかったから、なんか怖いイメージしかなかったよ」


「全然、そんな感じしないよ。女子の憧れだから、すごく緊張したけどね」


「へぇー、五十棲さんだっけ? 五十棲さんは横で見ていてどうだった?」


「え? あの、その……」


 五十棲は、これまで碌に話しかけられたことのない中山に、急に話しかけられびっくりして戸惑っていた。


「二人とも、チキンの照り焼きが大好きなんだなぁ。と思いました」


「ちょ、ちょっと五十棲さ~ん!」


 葵の頬は赤らんだ。


「何? それ! (クス、クス、クス)」


 中山は、会話が噛み合ってるようで噛み合ってないような五十棲を見て、笑った。


 それを機に、無言の一年のテーブルが急に和らいだ雰囲気に包まれた。

 それに合わせて葵の向かい側に座る女子や周りからあれこれと話を聞かれた。


(チッ! いい気になりやがって!)

(ちょっと王子さまに話しかけられたぐらいで、いい気になるな!)



 それから暫く、和んだ雰囲気で食事を済ませた三人は、トレーと食器を返却口に返し、食堂の外に出て校舎へ戻ろうとした。そこへまるでお決まりのように、上級生らしい女子生徒八人が、葵たち三人の周りを取り囲んだ。


「おい、一年嬢ちゃん。色々教えてやるから、顔かしな」


 取り囲んだ中の一人がそう言い葵達を校舎裏へと連れ出した。




 校舎裏にはいくつかの倉庫が建ち並び、さらにその裏へと進んだ。普段から誰も入らない場所だった。


 葵ら三人を呼び出したのは、其々、中等科二年と三年の黒川王子親衛隊だった。


「一体、何なのですか? こんなところへ連れ出して」


 葵は、気丈に先輩生徒達へ理由を問いただした。


「あ~ん、王子に気安く話しかけてんじゃねぇよ! 調子に乗るなよ!」


 黒川王子親衛隊と称するうちの一人が、ドスを効かしたような声で、葵の胸ぐらを掴んだ。


「これから暗黙のルールってやつをみっちり教育してやるからよ!」


 その時だった。胸ぐらを掴んだ手首に、もう一人別の手が現れ、その手首を掴んで女子生徒の身体を持ち上げた。


「ひっ? ひっ、ひぇ~ぇ」


 一狼に身体を持ち上げられた女子生徒が呻き声を上げた。と同時に一狼は、掴んだ手を離した。


「はい、皆さん! 何をしているのかな?」


「黒川さま!」「王子さま!」


「君たち大丈夫? …そうだね」


 一狼は、心配そうな表情で、葵達三人の顔を見た。


「大丈夫です。すみません、黒川様!」


 一狼は、葵の言葉に頷いて


「君たち僕の親衛隊らしいけど、ダメじゃん、こんなことしちゃ」


 一狼は、親衛隊の顔を見渡して言った。八人は全員項垂れるように地面を見つめながら立ち尽くした。


「はい、君たち全員、僕の言葉に注目!」


 一狼は、そう言いながら、左手を高く上げ、親衛隊八人と葵ら三人の顔を一人一人確認するように見渡した。


「君たち全員ここでの出来事は、一切忘れるように! そして親衛隊の君たちは、今後葵さんたちにちょっかいかけないように、忘れないように!」


 そして一狼は、上げた左手の指をパッチンと鳴らした。


 親衛隊の八人と葵ら三人は、ポカンとその場に立ちすくんでいた。


 一狼の姿は、いつの間にか見えなくなってしまっていた。


 暫くして親衛隊の一人が


「あれ? 君たち一年だよね。何でこんなところにいるの?」

「あれ? 私たちは何をしてたのかしら?」

「君たちこんな所に私達といたら、変に思われるから、戻ったほうがいいよ」


「あ、はい、すみません」


 葵や五十棲は、不思議そうに校舎の方へ戻って行った。



「私達、先輩たちと何であんな所にいたのかしら? 変ねぇ?」


「そうだ。まだ時間あるから五十棲さん、望月さん、校舎の屋上へ行ってみよ。スっごく気持ちいいよ」

(今日は王子さまとお話もできたし、気分爽快!)


 そう言って葵達三人は何事もなかったように校舎屋上に向かった。




「どう? 五十棲さんは、屋上に上がったこととかある?」


「いいえ、一度もありません」


「景色も良いし、風が気持ち良いでしょ。少し男子がうるさいけどね」


 葵と五十棲は、屋上の手すりから校舎表の校庭やひらけた町の景色を見ながら、大きく息を吸った。


 屋上には他に男子生徒四人がハンドテニスをしていた。


「あ、あれ! 見て、見て! あれUFOじゃね」


 その中の一人が、校舎裏手の方角の山の方を指差した。中山亮太だった


「どこ? どこ? 見えないじゃん」


「おっかしいなぁ? さっきまで山の上あたりに黒い丸いものが、浮いてたんだよ!」


「本当かよ」


「確かに見えたんだよ。昨日見たやつと同じUFOを。」


「寝ぼけてたんじゃないのか?」


「本当だってばさぁ!」


「それはもういいからさ、もう少し時間あるから、もう一ゲームだけしようぜ」


 男子生徒達は、たわいもない話で盛り上がっていた。


「あれ? 望月さんは?」


 葵は、男子生徒達の下らないやり取りを見ている間に、ふと望月がいないことに気づき五十棲に尋ねた。


「本当だ。階段登ってる時、一緒にいたかしら?」


 五十棲も、屋上中を見渡し、望月がいないことの記憶を辿った…。


「あ、そうだ。五十棲さんは、ゴールデンウィークは実家に帰るの?」


 葵も校舎裏の出来事から、ぼんやりとした記憶しかなかったため、然程気にしていない様子だった。


「私、Cクラスの中で最下位だから、寮で勉強してる」


「そっか。じゃあ、休みの間に気晴らしに一日だけどこかお出かけしようよ」


「いいの? 忙しくない?」


 五十棲は、葵からの誘いに気遣いを見せるが、内心では喜んでいた。


「いいよ。どうせ暇してるから。望月さんも誘ってさ。明日連絡するからレイン交換しよ」


「そしてゴールデンウィーク明けには、また三人で一緒にお昼しようね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る