第56話 サキュバスの族長とクローム 


 二日ほど経ったある日、城に来客者がやってきた。


「お初にお目にかかります魔王様」

「えーと、初めまして。……そんなに畏まらなくていいですよ?」


 魔王の間にて、一応椅子に座っている私に向かって跪拝するのは、淫魔族サキュバスの群れの長、セセリア、という紫髪の女性だった。

 彼女の後ろにも数名が跪拝していて、私は困惑しながら尋ねた。


「それで、セセリアさん。今日城に来た要件は何でしょうか?」

「はい。では単刀直入に。本日は魔王様にご嘆願があって参りました」

「お願い? 私に?」


 自分に指さす私に、セセリアさんは微笑を模って首肯した。


「はい。恐れ多くも我らのご嘆願、聞いてはいただけないでしょうか」


 城に直接来るほどの重大な要件なのだろう、そう思い私は頷いた。


「ま、まぁ。私にできる範囲のことであれば聞きます」

「無礼の範疇ではないのでご安心ください」


 とセセリアさんは前置きして、その美貌にどこか愉悦を含んで告げた。


「魔王様。是非とも、私ども淫魔族サキュバスを配下として加えていただけないでしょうか」

「え?」


 セセリアさんの嘆願に、私は一瞬何を言われたのか理解できず目を瞬かせた。


「えっと、セセリアさん」

「はい。なんでございましょうか」

「あの、聞き間違いじゃなければなんですけど、今、私の配下になりたい、みたいなこと言いました?」

「その通りでございます」


 セセリアさんはにこりと笑ってあっさり頷いた。

 てっきり勇者でも退治してくれとでもお願いされると思ったから、だいぶ拍子抜けだった。

 それにしても、配下にしてくれって直接言いに来る度胸が凄いな。

 思わず感嘆としていると、セセリアさんが饒舌に直談判しに来た経緯を勝手に語り始めた。


「聞けばこのところ、魔王様は各集落に回って配下を集めていると耳にしました。ならばいずれ私どもの所にも来るだろうと、そう待ち望んでいました。……しかし! いつまで経っても私たちの住処には来てくださらない! その時私たちはこう思ったのです。「あれ、もしかして私たち、忘れられてるんじゃない?」と。故に、本日無礼を承知で参ったのはその次第でございます」

「な、なるほど」


 最後に熱い吐息をこぼしたセセリアさんに、私は呆気取られながら頷いた。

 なるほど。そういう経緯で来たのか。

 まぁ、ぶっちゃけると、完全に淫魔族サキュバスに声を掛けるのを忘れた。ぶっちゃけるとね。

 ただ一つだけ弁明もできる。


「ええと、別にセセリアさんたちの事を知らなかったわけじゃないの。ちゃんとノズワースにも淫魔族サキュバスが住んでることは知ってたのよ。でも、私はまだ一度も淫魔族サキュバスの住処に行ったことがなかったから。それなのにいきなり配下に加われって言うのは申し訳なかったというか、候補から外してたっていうか……その、だからごめんなさい」

「なるほど。それは深い配慮があったにも関わらず申し訳ございません」

「いえいえこちらこそ」


 頭を下げるセセリアさんに、私も仰々しく頭を下げた。

 魔王なのに貫禄ないなぁ、私。とほほ。

 まぁ、自嘲は後だ。

 今は配下に加わりたいと思ってくれている淫魔族サキュバスたちに集中しないと。

 私は顔を上げると、ずっと隣に立ってくれているリズに手招きした。


「どうされましたかミィリス様?」

「ねぇ、リズ的にはどうなの? 淫魔族サキュバスを配下に加えるのは」

「ミィリス様のお好きなようにされてはいかがでしょうか。彼女たちも、私の意見ではなく、ミィリス様に必要とされたいから直談判しに来られたのでしょうし」


 ぐうの音も出ない正論だ。

 この城の最高権力は私なので、私の是非で全てが決定される。

 まぁ、働き手が増えるに越したことはないし、断る理由もない。

 それに遠くからわざわざ働きたいと直談判しに来てくれたのだ。その気概を買おう。


「よし分かった。それじゃあセセリアさん……」


 配下に加わって、と言おうとした直後だった。

 ドダァァァン! と部屋の扉がけたたましく開かれて、私たちの視線が一斉に扉へと注がれる。

 大きな音にただでさえ驚愕したのに、更に驚愕させたのは乱暴に扉を開けた人物だった。


「突然の入室失礼致します! そしてお待ちくださいミィリス様!」


 唐突に魔王の間に入ってきた男――クロームに、私はいつもと様子が違う彼に瞠目した。

 冷静沈着といった言葉が似合う男は、カツカツと靴音を鳴らしながら私に向かって突き進んでくる。その余裕の一切ない顔は、淫魔族サキュバスを見るとさらに歪んだ。


「あれクローム?」

「あー、あっぱり荒れていらっしゃる」


 狼狽する私とは裏腹に、リズは何か知っているような口ぶりで頬を引きつらせる。

 私がリズに説明を求めようと袖を引っ張ろうとした時、セセリアが「まあ!」と女性特有の甲高い声音を響かせた。


「まあ!お会いしたかったですわクローム様!」

「やはりお前も来ていたかセセリア!」

「勿論。だって私、小悪魔族サキュバスの長ですもの」


 あれ、二人って知り合いだったの。

 顔馴染みらしい二人の掛け合いに目を瞬かせる私。なんだこの私だけ蚊帳の外みたいな感じは。

 呆気取られる私を余所に、セセリアはそれまでの毅然とした振る舞いから一転、嬉々とした表情を咲かせながらクロームに向かって駆け寄っていく。


「ええい再会早々抱きつくな⁉ 魔王様の前であられるぞ!」

「そんな堅いこと仰らずに。いいじゃありませんか。四年ぶりの再会ですのよ。私ずっと、もう一度クローム様に会うことを待ち望んでいましたの」

「私は一向に待ち望んでなどいない! 貴様のような淫乱女など永劫城に出入り禁止だ!」

「それは残念でしたわね。今はこうして中に入れておりますよ」

「誰だこの女を城に入れたのは⁉」


 抱きつくセセリアさんを懸命に振りほどこうしているクローム。

 そんな様子を横目に、私はリズに訊ねた。


「え、あの二人って知り合いなの?」


 リズは額に手を当てながら「はい」と肯定した。


「……実は、セセリア様は以前この城に仕えていたのです」

「えっ! そうだったの⁉」


 驚く私に、でもリズは悄然とした顔で続けた。


「しかし、とある事件がきっかけで追い出されてしまったのです」

「なになにその事件って?」


 私は横目で口論している元同僚の二人を見ながら、リズに説明を求めた。

 リズは言いづらそうに口ごもった後、


「事件というにはあまりにお粗末だったのですが……簡潔にいえば、セセリア様がクローム様に夜這いを仕掛けたんです」

「流石は淫魔族サキュバス!」

「どうやら当時のセセリア様はクローム様に好意を持たれていたそうで、頻繁にクローム様にアプローチを仕掛けていたんです。しかしクローム様はこの城にて魔王直属配下という重責を担うお方。当然セセリア様のアプローチを全て断っていました」

「ほうほう! それでそれで!」


 私がリズの話に熱中する傍らで、クロームとセセリアさんの絡みもヒートアップしていく。


「それで、我慢の限界に達したのか、それとも月に数度ある淫魔族サキュバスの発情期が訪れたのか……セセリア様は深夜、クローム様に夜這いを仕掛け、それに堪忍袋の緒が切れたクローム様がセセリア様と当時この城にいた淫魔族サキュバスをまとめて追い出したのです」

「なるほどそういうこと」


 リズからの説明を聞き終えて、私はヒートアップしている二人に視線を戻す。

 つまりあれか。セセリアさんはクロームにもう一度会いたくて城で働きたいと嘆願してきたわけか。無論その理由以外もちゃんとあると思うが。

 しかしクロームも意気地ないことをする。セセリアさん綺麗なのに。ひょっとしてアイツ童貞か? いや、童貞だったら追い返さずに素直に襲われてるか。

 ……ふむ。実に面白そうだ。


「ミィリス様? なぜにやにやしているんですか?」

「え、だってこんなに面白そうなことないじゃない」

「……よからぬことを企んでいますね確実に」

「にょほほ~」


 思い返せばこの城には欠けているものがあった。そう、恋愛ゴシップだ。

 今は魔物とはいえ性別は女。となると、恋愛話事情ゴシップの一つや二つ欲しいのが心情だ。

 クロームも生真面目すぎるだけで、べつに悪い奴ではない。恋愛なんて興味ないだけかもしれないけど、そういう者ほど異性に攻略されていく瞬間を傍観したい。

 なんて意地の悪い女かと思われるけど、私、今は『魔王』だし。性格も少しくらい捻じ曲がってた方が『魔王』らしく見えるはずだ。


「私、クローム様をこの目に焼き付けて以来ずっと男から搾取するのを我慢しているのですよ。ですから責任取ってくださいな」

「ええいそんなの知ったことか! 貴様が一人で勝手に我慢しているだけだろう!」

「酷いこと仰いますね。淫魔族サキュバスが男から精気を取れないとどうなるか知ってるくせに」

「精気を得られずとも魔力があれば生きられるだろう! 現にお前が今も生きているのが何よりの証拠だ!」

「生あっても性欲は満たされませんわ。ですから今夜、熱い夜を共に……」

「誰が貴様と夜を過ごすものか!」

「ふふ。つれないお方。でも、そういうところも私の好みですわ」

「私は貴様など微塵も好きではない!」


 早速夜のお誘いをするセセリアさん。それをクロームは全力で断っていた。

 私はそんな二人を眺めながら、これは城にいい変化をもたらしてくれるかもと期待を膨らませるのだった。

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