第49話 『 リズの安息日 』
翌日。
私、リズの目覚めは早い。日が昇るよりも早く起床し、顔を洗って着替える。
私とほぼ同時に起きるのが魔王直属配下たちだ。クロームの他、現在城にいる二名も日が昇る前に起床する。唯一、一人だけクローム様に叩き起こされてから来るのだが、まぁそれはいい。
日が昇るのと同時に給仕係や兵士たちも起き始め、給仕係は他の者たちより早めに私たちの朝食を準備する。
その間に、私たち魔王直属配下は専用部屋にて定時連絡とその他諸々の事務報告を交わしていく。
皆、本格的に日が昇る頃にはそれぞれの仕事に就いて多忙になる為、朝起きてから朝食を取るまでの時間くらいしか集まれる機会がない。それに、先代魔王アシュト様も「できればクロームやリズたちは親密な仲であってほしい」と命令ではなく嘆願された。なので、これは親密な関係を保つ為に必要な過程だとも言えた。
早朝に報告を終えて、そのまま朝食を取る。その後はそれぞれの仕事が始まっていく。
私の仕事は魔王専属秘書。仕える魔王様――ミィリス様の手となり足となって働くのが仕事なのだが、そのミィリス様が起きてこない間はこの城で働く魔物たちの様子を観ている。
怠慢な奴はいないか、皆勤勉であるか、忠義は尽くしているか、毎日目を光らせながら見回っているが、この城には何故か不届き者がいない。不思議だが、いいことだ。
労働の間に雑談や間食を取っている者もいるが、そんなことを指摘するのは鬼畜だと理解しているので気にしていない。労働にも適度な休息は必要だ。私だってティーブレイクくらいは……うん、してる。ちゃんとしてる。してると言っておこう。
彼らを様子見している間にミィリス様も起きて、それ以降は彼女に付きっ切りになる。
不備があれば即座に対応し、ミィリス様の疑問があれば完璧に回答する。彼女が誕生したばかりは森の警備には付き合えなかったのだが、今では週に四度か三度、共に警備に付いて来て欲しいと袖を引っ張られることが増えた。
そんな可愛らしくお願いしなくとも私は一生ミィリス様に付いて行いくのだが、ミィリス様はいつもそんな感じで私に命令ではなく懇願してくる。
それが不思議だと思いながらも、内心ではミィリス様に頼られることが嬉しい私はニヤけてしまいそうな頬をどうにか堪えながらミィリス様とともに森を巡回する。
それが終われば午後の食事を取るミィリス様をお見守りして――ともいかず、ミィリス様に「一緒に食べよう!」と誘われて一緒に食事を取るのが今の日課になっていた。
昼食後は各魔物の集落に顔を出し、それが終わればミィリス様は自室か執務室に籠る。その間、私は扉の前で立っているか、城の様子を確認しに行く。
私の本日の任務が終わるのはミィリス様の就寝後。彼女が部屋着姿に着替え、自室へと入っていくまでは気を抜けない。
ミィリス様が自室へと入室したのを確認した後は、私も早々に浴へと浸かりその日掻いた汗と匂いを洗い流す。念入りに体を洗うのはメスとしてのプライド……ではなく、魔王様の側近ならば常に清潔であり、身なりを整えるのは常識だからだ。
浴に浸かり終われば、私も自室へと戻り束の間の自由時間が与えられる。そこで、手記を綴ったり本を読んだり、一時間ほど時間を潰したところで眠りに就く。
そんな生活を毎日繰り返す。休みはないが、充実した日々だ。ミィリス様の傍に仕え手からそれはさらに彩を増した。
彼女の隣にいると新しいことや驚かされることが毎日のようにある。それを、日々の楽しみとして生きるのが今の生活だった――のだが、そんな生活に突然暗雲が立ち込み始めた。
というのも、
「……私はいったい、何をすればいいのだ」
早朝。体に染みついてしまった習慣をいきなり切り替えるなんて器用な真似できるはずもなく、日が昇る前から頭を抱える私。
昨日のミィリス様のご命令で、私は半ば強制的に安息日を入れられた。今日は早速その日だというのだが、やることもやりたいことも一つもなく、絶賛嘆いている最中だった。
――『これもいい機会だと思うから安息日を作りなさい。毎日仕事してると、いざという時に「あー今日は仕事したくねえー。もう無断欠勤しちゃおうかな、いいよなべつに。私いつも頑張ってるんだし。死ぬまで働きたくねえよクソが」ってなりかねないから。適度に休みを入れるのも大事。それに、貴方が休めば他の子たちも気軽に安息日を取ろうと思うかもしれないでしょ』
とこれが昨日のミィリス様の言い分。
確かに理にかなっているし、言い分も理解できる。それに、なんだかやけに言葉に重みがあった。まるで以前、実際にそういう思いをしながら働いていたような口ぶりだった。
それを不思議と思いながらも、彼女の命令に背く訳にはいかないので安息日を取り入れた訳なのだが、やはりこれといってやりたいことがない。
「それにしたって会議にも顔を出すなとは……少々やりすぎな気がするのですが」
毎日行われている魔王直属配下の定例会。しかし、今日はミィリス様の命令で絶対に顔を出すなと釘差されてしまっている。体感的にそろそろ始まる時刻なので、そわそわしっぱなしだった。
幸い、ミィリス様が事前にクローム様に事情を説明しているので、無断欠勤ということにはならない。それに昨日クローム様と顔を合わせた際、「お前が安息日を取るのは珍しいが、ミィリス様の言う通りこれもいい機会かもしれない。なに、お前が一日いない程度で回らなくなるほど今は多忙ではない。もしかしたらミィリス様もたまには一人で過ごしたいのかもしれない。兎にも角にも、皆の模範となるような充実した安息日を取ってくるがよい」と言われてしまった。
なんだ模範となる休みって。
休むことが悪い訳ではないが、自分以外が働いているとなるとどうにも虫の居所が悪い。ずっと胸がそわそわするし、もやもやする。
こうなれば働いていたほうがマシなのだが、休まないとミィリス様に怒られる。
「はぁ、考えていては埒が明かないな。……とりあえず、体でも動かすとしよう」
はぁ、とため息を吐いて、私は気分転換に外に出ることにした。
今の時刻ならば、ちょうど
そう思い、私はようやく重たい腰を上げるのだった。
*****
朝から気合の入ったいい掛け声が静謐な空気と溶け合い、私はそれに導かれるように鍛錬場へ足を運んだ。もっとも、鍛錬場とは名ばかりで、実際は城の脇にある整地されたただの広場だ。
そこへ軽装で向かうと、丁度、石剣を振りかざしている城の兵たちがいた。
「おや、リズ様ではないですか」
こちらに気付いたゴブリンの一人にリズは口許を緩めながら手を上げた。
「おはよう。朝から鍛錬に励んでいるようだな」
「無論でございます。我々も少しでも、ミィリス様のお役に立てるよう尽力しなければなりませんから」
「フッ。その心意気やよし。ミィリス様に、我々魔物の安寧の為に日々精進することだな」
「ハッ」と力強く返事したゴブリンに微笑みを向けつつ、私も立て掛けられていた石剣を握った。
「今日は私もここで鍛錬していいか?」
「それは構いませんが、リズ様が珍しいですな。稽古とは」
「実は、今相当暇を持て余していてな」
「あぁ、そういえばミィリス様が「リズは明日休みだから、ちゃんと休ませるように! 困ったことがあっても他の者に聞いて」と仰られていましたな」
どうやら自分の知らない所で根回しは住んであるらしい。だから他の兵士たちは『なんで此処にいるんだ?』と石剣を振りながら不思議そうな顔をしているのか。
「そうなんだ。ミィリス様から安息日を取るよう言われてしまって。しかし、どうにもやりたいことが思いつかず……だから、こうして此処に足を運んだ訳なんだ」
経緯を明かすのは微妙に躊躇いがあったが、話を聞いたゴブリンは「ハハッ」と快活に笑った。
「そういうことでしたら、気が済むまで同席してくれて構いません。我々もあと三十分ほどは続けていますので」
「助かる。そうだ、念の為に言っておくが、私のことは特に気にしなくていいぞ。適当にその辺で素振りをしているが、何かあったら遠慮なく聞いてきてくれ」
「しかしそれではミィリス様のご指示に背くことになるのでは?」
「そこはまぁ、あれだ。臨機応変というやつだ。多少の質問くらいならば問題あるまい」
とそこで一度言葉を区切り、私はゴブリンに耳を寄せるよう手招きして、
「……それに、安息日など取ったの初めてだから、何をすればいいのか分からないんだ」
「はは。リズ様も、大変でございますな」
私の弱音を聞いたゴブリンは、同情するような目を向けてきたのだった。
*****
一時間ほど鍛錬をして、掻いた汗を水浴びで流した後はふらふらと城を歩き回っていた。
その間、城の者たちにどんな目を向けられているのか気になって仕方がなかったが、返ってくるのは「本日はゆっくりしてください」とか「いつもご苦労様です」などといった労いの言葉だった。
それにどうにも調子が狂わされてしまって、私は悶々としながら城をふらついていた。
「あれ、リズ様何をしてるんですか?」
「……トワネット」
城内をふらついているとピング髪が特徴的な給仕、トワネットに遭遇した。この時間帯ならばミィリス様の傍にいる可能性が高かったが、どうやら今は城内の清掃中なようだ。
「トワネット。ミィリス様はもうご起床されたのか?」
「はい。今日はいつもより一時間ほど早く起きてこられましたよ。今日は色々と魔法を試すから早く起きただとか」
「となると、ミィリス様は今修練場にいるのか」
「ちなみに、この事を言ってもいいけどリズ様は絶対に向かわせるなと忠告を預かってます」
「……あの方はどこまで私の行動を予想済みなのだ」
いっそ戦慄するほどの洞察力だ。
おそらくミィリス様は私が給仕係や他の者に所在を尋ねるのを想定済みだったのだろう。そして、それを聞く相手は毎朝ミィリス様の身支度を整えているトワネットかシャルワールが高いとも推測したのだろう。全くもってその通りで、私は思わず頬を引きつらせた。
「リズ様、今日は安息日なんですよね。なら城の中をふらふらするなんて勿体ないですよ」
「しかしだな。安息日といってもやりたいことが思いつかないんだ」
「リズ様二度寝なんてしませんしね」
「睡眠は一日一度で十分だろ」
「それ、ミィリス様の前で言ったら凄い顔されますよ」
「今の発言は他言無用で頼むっ。特にミィリス様には!」
「はーい」
ぱちん、と両手を顔の前で合わせながら懇願する私に、トワネットはくすくすと笑いながら承諾してくれた。
たしかにミィリス様はよくお昼寝をするけども。けど彼女はまだ【幼体】だ。つまり子ども。子どもは寝て育つというものだ。むしろ寝るのが本分とも言う。
などと脳内で必死に言い訳を続けていれば、トワネットの背後からシャルワールが姿を現した。
彼女は「おはようございます」と私に一礼すると、
「何か、トワネットがリズ様に不備を働いてしまったでしょうか」
「むぅ。そのすぐ私が何かやっちゃったような言い方やめてくれないかなぁ。今はリズ様とただ雑談してただけだよ」
「雑談する暇があるなら手を動かしなさい。アナタ最近気を緩め過ぎよ」
「先輩に向かってお説教とは、後輩のくせに生意気だなー」
「先輩のくせに見習うべき要素が一つもないわね」
と突然喧嘩が始まった。
私は慌てて二人の間に割って入ると、シャルワールに弁明した。
「違うんだシャルワール。私がトワネットに声を掛けてしまったんだ。トワネットは真面目に働いてた」
「……リズ様がそう仰るのなら信じますけど」
「アンタ私のことどんだけ信じてないのよ⁉」
私の背後でトワネットが大仰に呆れていた。
とありあえず喧嘩は収まったようでほっと胸を撫でおろしつつ、私は元の位置に戻りながら二人に訊ねた。
「ところで、トワネットとシャルワールは安息日を取るつもりはないのか?」
私の質問に二人は面食らったように目を瞬かせたあと、お互いの顔を見合ってから答えた。
「そうですね……たしかに休みが欲しいと思ったことはありますけど、でも私たちはしっかり休息を入れていますし、特にそんな願望はないですかね」
「私もトワネットと同意見です。趣味はございますが、どれも仕事が終わりの自由時間で楽しめるものですので」
「ふむ。やはり無理に安息日を作る必要はないと思うのだがな」
「あ、もしかしてリズ様、今他の者たちのこと考えてますね。ダメですよ。今日は自分ことを優先しないと」
とトワネットに叱られてしまい、私は口をへの字に曲げた。
「とは言ってもだな。私は恥ずかしい話、趣味というものがないのだ」
「まぁ、リズ様もクローム様も日々多忙ですからね。趣味を持たないのも分かります」
私の悩みに同情してくれたシャルワール。彼女はふむ、と顎に手を置いて何かを思案している素振りをみせる。
「では、この安息日を利用して何かご趣味を作ってみてはいかがでしょうか」
「ふむ。たしかにそれは妙案かもしれないな」
なるほど。その発想はなかった。
「しかし、趣味を作るといっても、どういったものが私に適しているのか分からないんだが」
「それを見つけるのも趣味作りの一環というものでございます」
「それって本題を丸投げしてるようなものじゃないの?」
「他の者に聞いて趣味を見つけるのもよし。自分で趣味を見つけるのもよし。やり方なんていくらでもあるし、個人に見合った探し方があるでしょ」
「なんだかやけに大人びた意見だなー。後輩のくせに」
「先輩のくせに偏見しか持ち合わせてないのもどうかと思うけど」
また喧嘩が始まりそうな雰囲気が漂ったので、私は慌てて大声を上げた。
「あー! そうだな! これをいい機会に他の者たちの趣味や娯楽を聞いて回ろうとしよう! 親睦を深めるいい機会にもなるかもしれない!」
私の言葉にシャルワールは邪険を引っ込めると「リズ様の好きなようにお探しください」と微笑みを浮かべた。
それからトワネットも膨らませた頬を萎ませると、
「まぁ、せっかくの安息日なんですからあまり根を詰めすぎるのもよくないですよ。もし聞き疲れたら私たちに一休みするとお申しください。紅茶でもご用意しますので」
「助かる」
「アンタまたさぼろうとしてない?」
トワネットにジト目を向けるシャルワールに、私はこれ以上っかかるなと必死の形相で訴えったのだった。
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