第43話 『 ミィリスVSゼファード 』


「トウダン!」

「ヒョウヘキ!」


 天を穿つほどの一撃が振り下ろされ、それを枯れぬ華氷の盾が防ぐ。 

 互いに一歩も譲らず、剣と魔法の応酬は苛烈さを増していく。


「へぇ! ちゃんとした装備じゃないのに、よくやるじゃない!」

「そちからこそ、生まれたばかりの魔物のわりに桁外れの実力だ!」


 これまでの冒険者や勇者とは一線を画す実力者との戦闘に、ミィリスは興奮に舌を舐めずさる。ゼファードもまた、【幼体】とは思えないほどに魔力量にも魔力操作にも優れた『魔王』に対し畏怖を抱いた。


「ジンセンイップウ!」


 氷壁を砕かれ、一度距離を取ったミィリス。しかし、ゼファードは攻撃の手を緩めない。

 放たれた風の刃が空を切り裂きながら後退した敵の肉を抉ろうと襲う。


「ハッ。なにそれ。ブーメランでも投げ飛ばしてるの?」


 不可視の攻撃。しかしミィリスは瞳孔を鋭くしてそれを捉える。それは感覚で回避する為――ためではなく、風の一撃に込められた〝魔力〟を感知するためだ。


 ゼファードの技が真に風を纏った攻撃ならば回避は不可能ではないが難しい。しかし、この世界の攻撃には魔力が練り込まれている。それは『ジンセンイップウ』も同様。故に、ミィリスは不可視の攻撃、それに込められた魔力を捉える。


 ミィリスの肉を抉るべく放たれた六つの風刃。それを捉えれば回避は容易く、ミィリスは右足を一歩だけ引き、次に視線を低くし、さらに跳躍と体をねじりながら全ての風刃を躱してみせた。


 着地と同時に後ろの木々が抉れる音を聞きながら、ミィリスは「どう?」とでも言いたげにゼファードにドヤ顔を向けた。


「……やるな」

「ねぇ、まだまだこんなもんじゃないでしょ? 私はまだまだ動けるわよ」

「随分と、舐められたものだな」


 余裕があるミィリスとは対照的に、ゼファードは苦戦を強いられていることを痛感して苦笑い。

 それでも再び剣を握り直し、ミィリスへと突貫した。


「っ! ……さっきより速い!」

「――シッ!」


 一瞬見間違いかとも思ったが、ミィリスは直感的に自分の思考を否定した。

 先の攻防よりも、ゼファードのスピードが一段加速していることに気付く。エンハンス系の魔法を自分に掛けたのかと思案したが、しかし、それは半分正解で半分不正解だった。


 ゼファードが己に掛けた魔法は、エンハンスではなく風を身に纏わせる『フウソウ』という魔法だった。自身に攻撃力と防御力を一定期間上げる魔法とは異なりそれは、加速力を上げるというシンプルな魔法だった。


 しかし、そのシンプルさも研鑽され限界まで鍛え上げられた肉体と掛け合わせれば〝高速で移動する破壊兵器〟に化ける。


「捉えることはできても、反応はできないだろう!」

「くっ!」


 後退を余儀なくされるもゼファードのスピードがそれを上回り、ついに剣尖がミィリスに届いた。しかしミィリスも咄嗟に腕に氷を纏わせ、腕が斬られることを阻止。が、斬撃は打撃へと変わってミィリスを地面から無理矢理に引きはがした。


「うおおおおお!」

「こんのっ……馬鹿力が!」


 野球のスイングと変わらぬフォームで剣を振るうゼファードは、雄叫びを上げながらミィリスを弾き飛ばした。


 腕に受けた衝撃が骨まで到達して、ミィリスはたまらず苦鳴をこぼす。腕が折れたかと錯覚するほど痛みが襲うが、どうやら折れてはない。それでも、ビリビリと痛みが走り、痙攣していた。


「重たい鎧を着ていなくて助かったよ。もし着ていたら、これほど俊敏には動けない」

「……防御を捨てた代わりにスピードが増したってことね。よかったじゃない。一つ戦いの戦略が増えて」


 宙を舞う最中、ゼファードとミィリスは睨み合いながらそんな会話を交わす。痙攣する腕を即座に『ヒール』で治癒しながら、ミィリスは地面に着地した。


「……氷の魔法に治癒魔法まで。なかなかどうして、簡単には倒せないようだな」

「当たり前でしょ。私は『魔王』。ノズワースを守る存在なの。簡単にくたばるもんですか」

「…………」

「なに? その顔は」


 不意に訝し気に双眸を細めたゼファードに、ミィリスは眉尻を下げた。

 そんなミィリスに、ゼファードは信じられないとでも言いたげに口を開いた。


「まさか『魔王』が、自ら統治する国の魔物為に動くとは想像もしていなくてな」

「他の『魔王』のことなんて知らないけど、それの何が悪いの。私は守りたいものを守る」

「ならばその気持ちがあって、守りたいという気持ちを理解していてなぜ人を殺すんだ!」

「勘違いしないで。私は魔物。アナタたちは人間。人間には人間の道理が、魔物には魔物の道理がある。お前たちが私たちを危険因子だからと排除するように、私も人間が危険因子だから排除するだけ」


 それに、いつも仕掛けてくるのは人間たちのほうだ。


「お前たちは私腹を肥やす為に魔物を殺す。お前たち人間は、平然と他人の不幸を嘲笑い、そして愉快たのしそうに他者の心を蹂躙する。――お前たちの、全部が私は嫌いだ」

「――っ!」


 五度、人間によって傷つけられ踏みにじられた心は、既に人間への信頼を失っている。それが再び取り戻されることはないし、壊された心から際限なく溢れ出る憎悪が収まることは決してない。

 憎しみを宿す、人を拒絶する瞳を見たゼファード。しかし、それすらも『私』が抱く怒りの一端に過ぎなかった。


「私はもう、人間がどれほど許し乞おうが許さないと決めてる。どれほどの人間が泣き喚こうが、絶望しようがそんなことは私の知ったことじゃない。お前たち人間全員に刻み付けてやるんだ。私が味わってきたもの――〝絶望〟という苦しみを」


 もう『私』は、人間ではない。『魔王』として、今度は人間に恐怖を植え付ける存在と成った。

 これまでの恨み。これまでの悲しみ。これまでの怒り。これまでの憎しみ。これまでの全ての〝絶望を〟人に与える。この戦いは、その始まりでしかない。


「お前の雄姿も、お前が見逃した冒険者どもの努力も、全て無駄だ」

「――ッ⁉」

「お前たちは今日、ここで死ぬ」


 明確な殺意を帯びた言葉がミィリスから放たれたのと同時、ゼファードが地面を蹴った。


 まるで、何かを察知したような顔を歪めながらミィリスに向かって突貫し、今すぐにでも首を切ろうと剣を振るう。


 体に風を纏わせ、羽でも生えたかのように軽くなった肉体はミィリスの下まで一気に距離を縮める。


 加速する肉体はわずか二歩でミィリスに届き、彼の進んだ道には遅れて旋風が生じる。


「セァアア!」

「――――」


 巨体が一瞬の間にミィリスの懐に潜り込み、その首と体を両断しようとする。全ての動きに無駄はなく、かつ俊敏。全ての動作が瞬き一つの間に行われ、ミィリスは身動き一つ取れぬまま死亡――


「――なっ」


 一閃を振るう最中だったゼファードに戦慄が走った。何故か、それはこの瞬きすら許さぬ攻撃の最中で、確かにミィリスはゼファードに視線を向け、にたりと嘲笑ったからだ。


「あんまり私を甘く見ないでほしいわね」

「っ! 化け物が!」

「化け物じゃなく『魔王』よ」


 たしかにミィリスの首元を捉えていた剣尖。しかし、ミィリスはその一閃を超然的な視力と反射神経で回避した。余裕すら見せるその笑みに、ゼファードは対峙している相手が『魔王』ということと、さらにその域を超えた存在である可能性に戦慄した。


「あら、わざわざ蹴られにきてくれてありがとう!」

「⁉ ――カハっ⁉」


 攻撃の反動で流れる体。そこに生じた隙をミィリスは見逃さず、軽快に笑うと身を低くしながら回転した。その勢いを脚に乗せ、ゼファードの脇腹に重たい一撃を浴びせた。

 ゼファードからたまらず苦鳴がこぼれて、唾液をまき散らしながら巨体が吹っ飛ぶ。しかし肉の塊なだけあって宙に浮かぶ時間は短く、吹っ飛ばしはしたがそれほどダメージは入ってないように見えた。


「んぅん。今のはいい一発が入ったと思うんだけどなあ」

「くふっ。はぁはぁ……魔法だけでなく、フィジカルまで並外れているのか。やはり化け物!」

「それ止めて。可愛くないし不快っ」


 ケッ、と顔を顰めたあとミィリスが地面を爆ぜた。ゼファードもすぐに態勢を立て直しそれを迎撃に――とはならかった。


「もうおじさんの攻撃、当たらないから」

「カハッ⁉」

「くふふ。うん。だいぶ眼が慣れてきた・・・・・・・


 剣が振り下ろされるよりも早く、ゼファードと距離を詰めたミィリスの拳が腹に届く。防御を削りスピードに特化させたこと。それが仇となって薄い魔力の壁を貫通。肉が穿たれ、拳がめり込む。

 肺の空気が押し出され、激痛とともに唾液がこぼれる。地面に膝を着きそうになるも、ゼファードはぐっと奥歯を噛みしめるとすかさず反撃にでた。しかし――、


「クモイト」

「――っ!」


 既に反撃の気配を察知していたミィリスは、空いた片方の手から魔法『クモイト』を発動。手の平から放出された糸は離れた樹木に粘着し、そのままミィリスを強制的に戦場から離脱させる。


 振り上げた斬撃は空振りに終わり、ゼファードは悔し気に頬を固くする。その間にも、ミィリスはさらに片方の手から『クモイト』を発動し、周囲を駆け回り始めた。


「くそっ! 動きが察知できない⁉」


 樹木を遮蔽物として利用し、ゼファードに行動予測させずに縦横無尽に動き回る。無論、この芸当は桁外れの動体視力と肉体を持つミィリスだから可能であり、常人には到底不可能。そして、その超然的な移動はゼファードを翻弄した。


「アメコミのヒーローに勝るとも劣らない高速移動。それに加えて樹木を死角として利用。あははっ! 素敵な狩場が完成しちゃったわねえ!」


 狼狽するゼファードがどこからともなく聞こえる嗤い声に反応した直後だった。


「カハッ⁉」

「さっさとお前を殺して、お前が逃がした冒険者を追うとしましょう」


 捉えた背後。そこに向けて一気に『クモイト』を引き絞り、滑走する。重力を乗せた一撃がもろに背中を直撃し、ゼファードが激痛に目を剥く。背中の肉を抉り、貫通するほどの一撃にゼファードの肉体は耐えきれずよろけた。しかし、ミィリスは表情を何一つ変えることなく、反撃する余裕さえもないゼファードから再び『クモイト』を使って距離を取り、追撃を加えるべく高速で移動する。


「卑怯だって思う?」

「――ガハっ」


 どこからともなく突然現れるミィリスに警戒するが、それは無意味に等しい。左を警戒すれば反対に回り一撃を浴びせ、また距離を取る。


「正々堂々と勝負しろって思う?」

「――グブッ」


 ゼファードを翻弄する最中で、ミィリスは痛めつける敵に向けて語った。


「べつに正々堂々戦ってもいいんだけどね。でも、貴方には申し訳ないけど、勝敗は見えてるの。私は必ず勝つ。だってそうなるべくして生まれたから」


 ミィリスは母、メルルアや配下であるリズたちの願いを込められて造られた『魔王』だ。故に、たとえ敵がどれほど強敵であろうが必ず勝利しなければならない。それが義務であり、彼らを守ることに繋がるから。


「……負けられないのは、俺も同じだよ」


 ミィリスの蹂躙によって全身の骨が砕かれ、口内から血反吐を流すゼファードが喘ぐように呟いた。

 既に満身創痍、もはや握る剣すらも振りかざす気力さえもないに等しい勇者は、それでも瞳にだけは闘志を燃やし続ける。


「俺も、守らなければならない世界がある。まだ、面倒を見なきゃいけない後輩たちが、いる。……彼らの為に、私はここでくたばる訳にはいかな……ぐふっ」

「お前が守らなきゃいけない者たちが、これまで何をしてきたと思う?」


 ゼファードの魂の叫びを遮るように、ミィリスは慈悲もなく彼の腹に拳打を放った。ドボボ、と口から命の源を溢すゼファードに、ミィリスは冷酷な表情で見下す。


「お前がさっき逃がした冒険者の中に、竜蜥蜴族リザードマンたちの村を襲った奴らがいた」

「――――」

竜蜥蜴族リザードマンは突然村を襲われ、同胞や家族を理不尽に殺され、そしてその亡骸さえも弔えず奪われた。きっと武器や防具として加工されたんでしょうね」

「――――」


 ゼファードはぐったりと項垂れたまま、ミィリスの言葉に耳を傾ける。その最中にわずかに反応があったことをミィリスは見逃さなかった。


「ねぇ、教えてちょうだい。竜蜥蜴族リザードマンたちが貴方たちに何をしたの? 人間を殺した? 人間を食べた? 人間に危害を加えた? 彼らはこの森で平穏に暮らしていただけ。それなのに、どうして殺したの? 答えろよ――人間ッ‼」

「ぐ、ふっ」


 怒りに拳が震え、それを瀕死の肉体に押し込む。問いかけに応えはなく、出てくるのは血塊ばかり。足元が血の海と化していく。


「お前たちはそうやって誰かの幸せを平然と奪う。奪って笑う。そのくせなんだ。自分たちが危険な目に遭ったら理不尽だと嘆く。いい加減学んだらどうだ。それがどれほど自分勝手で我儘なのかを」


 怒り。憎しみ。悲しみ。絶望。どれもが思考を白熱させ、神経を逆撫でる。不快でたまらない。憎しみが溢れて止まらない。

 だから人間に同情なんてものはなく、そこに一切の躊躇いはない。


「――お前の言う通り、たしかに人間は我儘で。身勝手で、傲慢だよ」


 怒りに浸食されていく思考にふと、力ない声音が耳朶に届いた。


「お前が怒る理由も……当然なことだ。俺たちは、時として無意味に命を奪う。俺も昔、一匹のウルフを意味もなく殺した」

「――――」

「そのウルフには、メスのパートナーがいたんだ。メスの腹の中には、子どもがいた。それを……俺は殺してから知ったよ。俺は、メスからパートナーを、子から親を奪った。さぞかし、憎かったろうな」

「今更懺悔しようと無駄よ」

「分かってる。……懺悔なんてしても俺の……いや俺たちのした事は許されない。人間は過ちを繰り返し続ける生き物だ。今も昔も、そしてこれからも。人間は過ちを犯し続ける」


 それでも、とゼファードは血塗れになった歯を食いしばって言った。


「その過ちで、救われる命があるかもしれない――その為に、勇者俺たちはいるんだ」

「……結局。人間は愚かなままね。平和の為と嘯いて我欲を押し通す。真に平和を望むなら、己の存在を少しは自重しろ」


 所詮人と魔物。水と油の関係だ。互いの信念が交じり合うことはない。

 人と魔物が肩を組んで笑い合う日々など、所詮は幻想。フィクションだ。


「……はぁ、はぁ。まだ、倒れんぞ、俺は」

「知ってるわ。貴方の目はまだ死んでいない。だからちゃんと殺してあげる。見逃すつもりなんてないわよ」


 腹から拳を離し、踵を返すミィリス。ゼファードは既に立っていることさえもできない状態だった。それでも、決して地面に膝を屈することはなく、地面に剣を突き刺して立ち続けた。


「ここで、俺が死んでも……俺の意思は必ず次の者たち継がれる。世界の平和の為に、勇者が……英雄が、必ず、『魔王お前』を討つ……っ」


 それは負け犬の遠吠えに等しかった。しかし、ゼファードの言う通り、確かに勇者の意思は次の若者たちへ託されていた。


 聖火のごとく引き継がれていく意思。それを人々は〝希望〟というのだろう。


 ならば『魔王』は、その〝希望〟を打ち砕く〝絶望〟となろう。


 それを望むのは他の誰でもない、ミィリスなのだから。


「勇者ゼファード。貴殿のその気高き魂に敬意を表して、私の最大の魔法をお見せしよう」


 人と魔物が交わる道はない。しかし今は、勇者の奮闘と貫き通した誇りに最大の敬意を払おう。

『ゴウダツ』を使えばゼファードの魔力とスキルが手に入る。けれどそれは彼に対する冒とくだとミィリス自身が『ゴウダツ』の発動を拒んだ。


 人間に絶望し『魔王』となったミィリスにわずかに残る、人としての心。それがゼファードの信念に感化されたのかは分からない。


 理由は分からないが、ミィリスは彼に敬意を払うべきだと思った。

 ゆったりと伸びた手が、瀕死のゼファードに向けられる。


 まだ魔法は発動していないが、大気が震え始めた。まるで地震の前兆かと錯覚するほどの震えに、森にいた鳥たちがざわつき始め、一斉に羽ばたいた。この地帯にいては危険だと察知して逃げるように。


「最後に何か言い残すことはある?」

「フッ。くたばれ、クソ魔王」


 死に逝く男がみせた、最後の悪足掻き。

 その悪足掻きに、ミィリスは「死なねえよおっさん」と顔を顰めながら言い返したあと、


「――エクスプロージョン」


 ゼファードの視界を覆い尽くすほどの閃光が瞬く間に広がり、炸裂を繰り返す。

 その光量に命の終わりを悟ったゼファードは、小さく笑みをこぼしながら、


「あとは……任せたぞ。ギルラ」


 直後。森に爆発と轟音が鳴り響き、大地を震撼させた。

 爆発に飲まれていく勇者。それを見届けていたミィリスは、


「……チッ」


 最期まで勇者を貫き通した男の生き様に、不愉快そうに舌を打つのだった――。

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