第40話 『 忠誠という名の絆 』


 魔王城へと帰還後。私はリズに念の冒険者と遭遇した事を報告した。


 一報を受けた彼女は大丈夫かと酷く慌てていたが、幸いにも相手が冒険者だったこともあり何一つ怪我無く完勝に終わった。

 あまりに一方だったから戦闘と呼ぶよりも蹂躙と呼んだ方が合っているかもしれないが、兎にも角にも私の勝利であることに変わりない。

 それから私は一休みすべく執務室へと向かおうとする最中にリズに指示を出していた。


「リズ。引き続き警備の子たちに集落のみを警備するよう指示しておいて」

「承知しました。しかし、そうなりますとミィリス様の警備範囲が増えてしまうのではないのでしょうか」

「私のことはいいのよ。『クモイト』があればあまり体力使わず広範囲で移動できるから」


 しかし、とリズは納得がいかないように視線を落とす。


「大丈夫。心配しないで。それよりも、優先すべきは鬼族オーガたちや竜蜥蜴族リザードマンを守ること。これ以上、皆の命は奪わせない」


 決意にも似た感情を宿したそう言った。


相手は冒険者や勇者だ。狩り時と分かれば、狩人とは違い多少危険な橋を渡ってでも行動に出ようとする。そもそも魔物狩りなんて行為自体が危険な橋なのだから、彼らにとってこちらの警戒が強まることは許容範囲なのだろう。


 勇者の行動理念は知らないが、冒険者は所詮人だ。魔物狩りを職業としている彼らにとって最も避けたいのは狩りが制限されることだろう。人間の世界では【クエスト】と呼ばれるそれを制限されれば、彼らは生活ができなくなる。故に、会敵したあの二人組は多少強引に私たち魔物側の警戒網をすり抜けて今回の狩りを実行したのだろう。つくづく私に出くわしたのが彼らの運の尽きだとしか言いようがない。


 生きるためには金が必要なのが人間。冒険者はその為に狩りをする――であれば、対応は容易い。


 人間の為に、わざと〝狩場〟を用意させてあげればいいのだ。それが魔物側が仕掛けた〝狩場〟だとも知らずに、きっと彼らはほいほい釣られる。


 となると明日は忙しくなりそうだ。さて明日は何人殺すのかしらね。

 これも世の為世界の均衡を取り戻すためと己に言い聞かせつつ、私は後ろで付いてくるリズに言った。


「警備は庇護対象を最優先に。もし冒険者とか勇者が来たら速攻で逃げて私に報告するよう伝えておいて」

「――――」

「それでももし戦うしかない状況になったら可能な限りその場で持ちこたえるようにも言っておいて。この肉体にも大分慣れてきたし、何か異変があればすぐに察知できる……」

「ミィリス様」


 突然名前を呼ばれて振り向いた私――そしてすぐに息を飲んだ。

 見れば、リズはなぜか悲し気な顔をしていて。


「え、え? どうしたの、リズ」


 彼女がどうしてそんな表情をしているのか理解できず、私は困惑する。


「なんでそんな顔してるのよ?」

「も、申し訳ございません! なんでもございません!」


 そういえば、二日前も何か思い込んでいる顔をしていた。

 それを思い出した私は、みっともなく狼狽しながらリズに訊ねた。


「私、アナタに何かしちゃったかしら? あ、あまり思い当たる節はないんだけど……でもこういうのって本人が無意識に相手に負担を掛けてる可能性もあるわよね。私自身何度もそれを味わってきた身だから、リズにはそうならないよう注意はしてたけどやっぱり何か私に不手際があったのかしら」


 思い当たる節を片っ端から並べていく私。毎朝起こしに来るのが実は心労だったとか、修練場をほぼ毎日ぶっ壊しているのがストレスだったりとか、毎日付き添うのが徒労だとか……あぁダメだ。考えるとキリがない。

 頭を抱えながら苦悶する私に、リズは「いえ」と返答した。


「ミィリス様が懸念しているようなしているようなことはございません。これは、私自身が感じている疑問ですから」

「ならそれを教えてちょうだい!」


 ガバッ、と勢いよくリズの両手を掴み、そう嘆願する私。

 その疑問はリズが思っていないだけで私が関係しているかもしれない。いや、たぶん絶対私が絡んでるはず。こんな謎の自信虚しいだけだけど、なりふり構っていられない。

 私の鬼気迫る表情にわずかに怖気づいたリズは、視線を左右に動かしながら「……しかし」と躊躇いをみせた。


「お願い教えて。アナタが感じている不安を。知れば解決できるかもしれないけど、知らなかったら一生解決できない。――私に、アナタの不安を教えて」

「……ミィリス様」


 命令ではなく、懇願。強制はせず、ただじっと彼女の蒼瞳を見つめて訴え続けた。

『魔王』の秘書である矜持と不安に揺れる瞳は、しばらく沈黙を続けたあと、やがて諦観したように胸裏を明かす決意をみせた。


「このような事をお尋ねするのは大変不躾なのだとは重々理解しています。しかし、ミィリス様にお聞きしたいのです」

「なに?」

「なぜミィリス様は、我々配下を使わないのですか?」

「――ぇ?」


 リズの言葉に私は頬を固くした。

 向けられる戸惑いに揺れる瞳。そこに宿る憂いと対峙しながら、私はリズの言葉をゆっくりと飲み込んでいく。


「えっと、私的には十分皆に働いてもらってるんだけど……」

「ですが、私は一度もミィリス様と戦場を共にしたことがありません」

「――っ!」


 訴えるように告げられて、私はようやく理解した。


 たしかに、私は一度もリズを戦場へ参加させたことがなかった。他の者に関してもそうだ。警備を任せてはいるが、会敵しても戦わないようにと指示を出している。

 それは私にとっては皆を危険から護る為の判断で――けれど魔物からすればそれは、自分の存在を『弱者』と定義させる屈辱的な行為なのかもしれない。


 それを今更気付いた私に追い打ちをかけるように、リズは痛々しい声でそれまで塞いでいた感情を吐露し始めた。


「私は……確かにミィリス様の代わりとなって勇者や英雄を倒せるほどの実力はございません。ですが、貴方様の代わりにはなれずとも、盾となることくらいできます! 力不足であるとも既知しています。それでも、貴方様をもっと近くでお支えしたいのです」

「――――」


 儚く消え入りそうな胸裏の吐露を聞き終えて、私は彼女の手を握ったまま硬直していた。


 自分のしていることが、間違いだとは思ってはいない。私はリズたちを好んでいるし、大切にしたいとも思っている。魔物になってからの生活は、五度の人生のどれよりも充実していて、楽しくて、私に〝幸せ〟という感情を与えてくれた。

 だから、なのだろう。それを守りたいが為に、無意識にリズたちを戦場から遠ざけていたのだ。


 守りたい、守らなきゃ、そんな意識が知らぬ間に暴走して、独断専行をさせた。

 なんて、大馬鹿者なんだろうか。


「……申し訳ございません。このような不躾な不満を吐露してしまい」

「ううん。私のほうこそ、ごめんなさい」

「ミィリス様が謝ることでは……」

「ダメよ。『魔王』だろうと相手に悪い事をしたらちゃんと謝らないと。それに、リズに謝りたい」


 ぎゅっと冷たい手を握って、私は頭を下げる。


「ごめんねリズ。アナタを頼らなくて。言い訳するつもりはないのだけれど、私は誰かに頼ることが苦手なの」


 五度目の人生――前世で私は、信じた相手に裏切られたことが何度かあった。付き合っていた彼氏は皆他の女に寝取られた。中には最初から私をATM感覚で使っていたクソ男もいた。

 会社では仕事を任せた部下が丸切り何もせず結果先輩であった私が上司に怒られるという理不尽な目にも遭ってきた。上司も上司で、ろくに後輩の面倒をみないクソ野郎だった。

 その内に誰も信用しなくなって、誰も信用できなくなって、誰かに期待するのを止めた。


「リズを、信用してないわけじゃないの。ただ、怖いのよ」

「怖い?」

「裏切られたらどうしようとか、期待して、それに落胆する自分が嫌なの。だから、全部一人でやったほうが楽だって、それで一人で勝手してたの」

「ミィリス様は、私が裏切ると思っておられるのですか」


 リズのわずかに低くなった問いかけに、私はバッと顔を上げて「違う!」と叫ぶ。


「違うの! 私が怖いだけなの。嫌なのよ、もう誰かに傷ついて、何かに絶望するのは」


 再び、顔を俯かせる。


 辛いのは、苦しいのは、もう懲り懲りだ。誰かと関われば必ず傷つく。裏切られた時の絶望は計り知れない。胸が張り裂ける感覚。それを何度も味わってきた。味わい続けてきたから、その痛みから遠ざける方法を選んだ。誰にも頼らない、信用しないという方法を。


 惨めで情けないが、そうすることでしか自分を保ってなかった。脆く弱い心を、そんな無理矢理な方法で繋ぎとめてきた。


 今度誰かに裏切られたら自分はどうなるのだろう――そんな漠然とした不安は、それまで握っていた手が今度は握り返して包み込んでくれた。


「それならば問題ありません」

「――ぇ」


 優しく、微笑みを浮かべたリズに、私は俯いた顔を上げて息を飲む。


「私共は何があってもミィリス様を裏切ることはございません。貴方様は我らの主君。この命を預け、捧げる存在なのですから」

「――――」

「そして裏切り者がいれば、必ず我らが始末致します。主君である魔王様を裏切るなど、自殺と同等ですから」


 それは流石にやりすぎでは、と思ったが、しかしそれが魔物の生き方なのだろう。

 一度忠誠を誓った相手に、全身全霊を尽くす。それこそ、我が身果てるまで。

 そんな異常と言っていいほどの気高き忠誠心を、私は勝手に推し量り、そしてこれまでずっと否定してきたのだ――本当に、大馬鹿者だ。

 リズたちは最初から、私が生まれる前から信用し忠誠を捧げてくれたというのに。


「ありがとう。リズ」

「感謝など必要ありません。ミィリス様の従者として、配下として、改めて私共の使い方をご説明しただけでございます」

「そんな自分を物みたいに扱っちゃダメだよ。アナタは……アナタたちは、私の大切な配下・・なんだから」


 目尻から溢れそうになる涙をどうにか必死に堪えながら、


「ねぇリズ。私のお願い聞いてくれる?」

「ミィリス様の命令とあれば、全て聞く所存でございます」


 決して握りしめた手を離すことはなく、私の専属秘書は微笑みを浮かべながら首肯してくれた。

 そんな専属秘書――リズに、私は彼女の蒼瞳を力強く見つめながら言った。


「私と一緒に戦ってほしい」

「――っ!」


 それはリズが求めていた言葉であり、私が再び誰かを信用した証だった。

 私の懇願に、リズは大きく目を見開いたあと、その一言を待ちに待っていたように――、


「勿論でございます。このリズ、魔王様の手となり足となり、共に戦場を駆ける覚悟はとうにできております」

「ふふっ。なら、アナタの活躍、期待してるわよ」


 強く、深く頷いたリズと共に、私は戦場へ経つのだった――。



 ――――

4/13の更新はお休みとなります。その後は一章ラストまで投稿が続きます。たぶん。

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