第38話 『 森の異変 』


 それは遡ること数日前。


「……おかしい」


 靴音を鳴らしながら枝に着地して、私は怪訝に眉をひそめる。


「勇者はおろか、冒険者も見当たらない」


 私は胸に生じた不信感を言葉にする。


「森の警備が強まっている影響もあるんだろうけど、それにしたって人数がなさすぎるわね。まさか『魔王わたし』の存在に気付いて、不要に出向くことを避けてる?」


 その可能性は大いにあった。活発化されたと聞く勇者と冒険者の魔物狩り。それもこの魔境・ノズワースに再び『魔王』が誕生したと知れば一度距離を置いてしばらく様子見をするのがセオリーだし最善だ。勇者も冒険者も、わざわざ自分の足で危険な場所に向かう性癖の歪んだ者はいないらしい。

 それならば私としては重畳なのだが、しかし何かが引っ掛かる。


「この森かなり大きいし、魔物密集率が高い城側を避けて浅い所で狩りをしてるのかも」


 私たちも人員が足りている訳ではない。だから警備の範囲は限定的に強化しているが、裏を返せばどこかの地域は警備が手薄になってしまう。

 そうならない為に私が広範囲で森を見回りたいのだが、生憎と城から離れすぎる訳にもいかない。

 私がいない間にリズたちが勇者たちに襲わるかもしれないと思うと――ゾッと背筋が震える。


「やっぱり世の中、そう上手くはいかないか」


『魔王』となっても、手が届かない所はどう足掻いても救えないらしい。

 その事実に痛感する私は奥歯を噛む。


「だめだめ。なに悲観してるんだ私。むしろこの状況を喜ぶべきでしょ」


 慌ててかぶりを振り、私は頬を叩いて弱気になった自分を一喝する。

 そう、この現状は悲観するものではないのだ。勇者と冒険者の出入りがないということは魔物が襲われていないということ。それがほんのわずかな平和だとは理解しているが、少なくとも憩いの時間であることに変わりはない。

 それに、こちらの防御もより強固にできれば、更に人間の行動も絞れる。


「まずは数日、様子見といったところかしらね」


 私は人間の街がある方角を睨みながら、魔王城へと帰還したのだった。


 ****


 魔王城へと帰還した私を出迎えてくれたのは、専属秘書であるリズだった。


「お帰りなさいませ、ミィリス様」

「わざわざ出迎えありがとう。でもずっと待機してなくてもいいのよ」

「そういう訳には参りません。私の務めはミィリス様のお傍に仕え、手となり足となること……しかし、今の私の実力ではミィリス様の足手まといになるのは明瞭。ならばせめて、この城で誰より早くミィリス様のご帰還を見届けたいのです」

「くそ大真面目か」


 リズの主張に私は思わず苦笑してしまう。相変わらず異常なほどの忠誠心だ。

 脱帽と諦観を半々に覚えながら、私はリズから差し出されたタオルを受け取って汗を拭いた。


「それで、森の様子はいかがでしたでしょうか」

「少し不気味過ぎるほど静かだったわ」

「と言いますと?」


 私の言葉に首を傾げるリズ。頭に疑問符を浮かべた彼女に、私は一拍置くと、


「勇者はおろか冒険者の姿すら見えない。こちらが警戒を強めたからというのもあるでしょうけど、少なくともこの城の付近で人影は感知できなかったわ」


 広範囲で周囲を索敵できるスキル、『センリガン』を発動しながら見回っていたのだが、それでも人の気配を感知することはなかった。

 それを伝えればリズも『それは不可解』とでも言いたげに神妙な顔つきになった。


「ミィリス様がお目覚めになられる前は、頻繁に冒険者や勇者は魔界城付近で確認されていました。それがミィリス様のお目覚め以降減少したのは、私共もなんとなくではありますが感じています」

「……やっぱり人間側に私の存在が勘付かれたっぽいな」


 そうなると私の推測が正しいことになる。リズの言及も得て、それはより確証を増した。


「となると私がむやみやたらに動くのは得策じゃないか。このまま周辺の見回りを続けていれば、いずれ確実に遭遇はするはず」


 ぶつぶつと独り言ちりながら歩く私の後ろを、リズが無言のまま付いてくる。


「……あの、ミィリス様」

「ん? どうかした?」


 きょとん、と小首を傾げる私に、リズは視線を右往左往させて、


「いえ、何でもありません。申しわけございませんお考えの最中に」

「……そう。何もないならいいんだけど」


 思考を一時中断してリズに振り返れば、彼女は何か言いかけてけれど言葉を飲み込んでしまった。

 その、一瞬垣間見えたリズの曇った表情に私は怪訝に感じたものの、リズの意思を尊重して追求するのは避けた。

 それから執務室へと向かっていく私の背を、リズは無言のまま、物憂げな表情を浮かべ続けながら付いてくるのだった。

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