第26話 『 奪った命と救った命 』


 ――深夜。


「……眠れない」


 私は布団の中で深くため息を吐いた。

 数時間前はなんともなかったのに、まさか寝付く今になって人殺しの罪悪感が襲ってくるとは思いもしなかった。

 瞼を閉じれば、勇者の苦鳴――それだけじゃない、二度目の記憶、私が『ナイン』という暗殺者で、あの時に殺した者たちの最期の悲痛の叫びと表情がフラッシュバックしてくる。


「あー、これはあれだ、初めて人殺しした時の感覚だ」


 人殺しなんて何十年、何百年ぶりだろうか。何度も人生を繰り返しているから、正確な年数が分からなくなってしまっている。

『ナイン』だった頃も、こんな風に寝付けない夜があった。殺していった者たちの最期の表情が頭から離れず、酷い時には暫く睡眠障害を起こしたこともあったくらいだ。

 その時は薬か酒で無理矢理意識を落としたが、生憎魔物の世界に睡眠薬なんてものはない。


「あぁ、そうだ。薬がなくても魔法があるじゃない」


 私はベッドから上半身を起こすと、メニューバーを開いて眠れる魔法があるか探してみる。しかし、スキル獲得欄にそれといった目ぼしいものはなかった。

 仕方なくメニューバーを閉じると、私はベッドに大の字になって天井を見上げた。


「別に眠れないなら寝なければいい話なんだけど、今日はわりと歩いたし動いたから寝たいな」


 体に疲労は溜まっている。瞬きを繰り返す瞼だって重い。意識だってぼんやりしている。それなのに、眠れない。


「はぁ、社畜時代に戻った気分」


 五度目の人生、『青山里琴』だった時の記憶を思い出す。あの時は日々仕事に追われ、クソみたいに重たい瞼をこじ開けながら仕事をしていた。我ながらに頑張っていたなぁ、と自賛したくなるも、それ以上にクソ上司のクソみたいな顔が頭に思い浮かんで余計眠気を邪魔してきた。


「……ぐすっ」


 こういう時、人肌が恋しくなる。

 カレシでも、猫でも犬でもぬいぐるみでも何でもいい。何かこう、ぎゅっと抱きしめられるようなものが欲しい。

 そんなもの、『魔王』である私にはない――けれど気付いたら、私は部屋を出ていてとある部屋の扉の前に立っていた。

 ダメだとは分かっていても、体は言う事を聞かずに扉をノックする。

 数秒後に「はい」という返事が聞こえて、私は恐る恐るもその扉を開いた。

 それはまるで、怖い夢を見て親の寝室に入ってくる子供のように。


「――ミィリス?」


 扉から現れた私の存在に不思議そうに小首を傾げたのは――母、メルルアだった。

 作業机に小さな明かりを一つ付けて何か作業をしていたメルルアお母様は、その手を止めるとゆったりと立ち上がり私の下まで寄ってきた。


「どうしたのですか? こんな夜遅くに……」

 膝を折り、私の目線に合わせて尋ねる母に、私は枕を抱きしめながら言った。

「……その、寝付けなくて。だから、その……」

「――――」


 視線を右往左往させる私に、メルルアお母様は目を瞬かせた後、私が彼女の寝室にやってきた理由を悟ったように息を吐いた。


「……『魔王』である者が、そのような弱音を吐くことは許されることではありません」

「そう、ですよね」


 母の叱責に、私はぎゅっと枕を握りしめる。

 やはり、私は誰かに縋ることはできないのかと、そう理解して引き返そうとした時だった。


「――ですが、アナタは『魔王』といえどまだ幼体です。それも生まれたばかりの」

「お母様?」

「ふふ。それに私も、たまには母親らしいことをさせてちょうだい」

「――っ!」


 メルルアお母様の柔和な微笑みに、私はぱっと顔を明るくする。

 途端、手の震えはなくなり、胸には安堵がいっぱいに広がる。自分の弱さを受け入れてくれた母に、私は思わず涙をこぼしそうになった。


「ほら、共に寝るのでしょう。早くベッドに入りなさい」

「はい。お母様」


 私は涙を振り払い、小走りでベッドへ向かっていく。

 精神面では幾度となく人生を繰り返してきた超越者だというのに、母の添い寝の承諾に言い知れぬ喜びを覚えている自分がいた。

 これはまだ私が精神面において未熟だからなのか、或いは、久しぶりの寵愛を受けられるからか――どちらかといえば後者な気がする。だって、私は数十年間、ろくな愛情を注がれてこなかったのだから。


「……これが子どもの特権か」

「? 何か言いましたか、ミィリス」

「いいえ。ただちょっと、世界中の子どもが羨ましいと思って」

「アナタもまだ子どもでしょう」


 何をおかしなことを、とでも言うようにメルルアお母様が嘆息を吐く。

 それに私は微苦笑で応じながら、母のベッドに入った。

 私の後に遅れてメルルアお母様もベッドに入ると、綺麗な黒瞳が我が子を慈しむように見つめてきた。

 じっと見つめられるとなんだか気恥ずかしくなって、私はその視線から逃げるようにメルルアお母様の胸元に顔を寄せた。


「あらあら、魔王なのに甘えん坊さんですね」

「魔王だって甘えたい時があるのです」

「ふふっ、そういうところ、少しアシュトに似ています」

「お父様も、お母様にこうして甘える日があったのですか?」


 私は顔を上げながら問いかけた。それに、メルルアお母様は「えぇ」と憧憬に浸るように微笑を浮べて頷く。


「皆の前では立派な魔王を務めていたアシュトですが、私と二人の時だけはものすごく甘えん坊だったんですよ」

「……それ、ちょっと分かる気がします」


 一見刺のある薔薇のような女性に見えるメルルアお母様だが、その実は常に他者を慮り慈しみ深い人格者だ。故に、この魔界城で彼女を慕わない者はいない。優しく、朗らかで、慈愛に溢れた女性に甘えない男なんていないだろう。それに母の胸は同性である私ですら顔を押し付けたくなるほどの柔らかさだ。さては父、エロ助だったな?

 私の言葉に小首を傾げるメルルアお母様。そんな母に私は空いている隙間を埋めるようにさらに密着した。


「お母様、温かいです」

「まったく、困った子ですね」


 そういうも、声音には優しさがあった。

 それに私の密着を拒むことなく受け入れてくれるのが答えのようなものだ。

 母の体温を感じる度に、胸裏に渦巻いていた不安が一つ、一つと消えていく。


「……今日は、皆の為に頑張ってくれてありがとう、ミィリス」

「――――」


 不意に、頭を撫でられる感覚。その直後にメルルアお母様から感謝を伝えられて、私は無言のまま目を見開く。


「皆はアナタの勝利に喜んでいたけれど、アナタは浮かない顔をしていたわ。今、こうして私の下に来たのが、その訳なのでしょう」

「――――」


 ぎゅっと、返事の代わりに母を強く抱きしめた。

 人殺しは、二度目の人生でしていたから多少の慣れはあった。けれど、六度目に至るまでに空いた時間が、私に再び〝人殺し〟をしたという実感を強く心に刻んできた。

 それは思いのほか『人を怨悪する』私の心に枷になってしまって。


「間違いは誰にでもあります。けれど、私はアナタの判断を正しいと思っています。例えアナタが間違っていたと思っていても、他には違ってみえるものよ」

「――――」

「私は、ミィリスではないからその苦悩は知り得ません。その苦悩を理解し受け入れられるのはミィリスだけ」


 優しい声音で、メルルアお母様は励ましてくれる。


「私が分かるのは、アナタが勝利したことでこの地に住む魔物の命が救われたということ。もしアナタが敗北してしまったら、大勢の魔物が勇者に殺されていた」


 偶然と偶然が重なり、鬼族オーガたちは誰も欠けることなくまた日常に戻れた。

 私が今日、魔物が住んでいる集落を見学しに行かなかったら、少なくとも被害は確実に出ていた。


「誇りなさい、ミィリス。奪った命のことよりも、救った命の数を」

「――――」

「考えなさい、ミィリス。これから奪う命のことを、そして、これから救う命のことを」

「――――」

「アナタは、この魔境・ノズワースの『魔王』なのです。アナタは、アナタが理想とする『魔王』を体現していけばいい。大丈夫。皆、アナタに着いて行きますから」

「――はい。お母様」


 母の言葉に、私は静かに、けれど強く頷いた。

 ――自分の理想とする『魔王』を体現する。

 私にはまだ、自分がどんな『魔王』になりたいかは分からない。

 けれど、これだけはハッキリと分かった。


「お母様。私は、魔物みんなを守る『魔王』になりたいです。この地に住む魔物みんなの笑顔を守る『魔王』に」

「――ふふ。『魔王』らしくない答えですね」

「ダメですか?」

「いいえ。そんなことはありませんよ。先ほども言ったでしょう。アナタが理想とする『魔王』になればいいと。私たちは理想それに着いて行くだけですから」


 月光を背にして、メルルアお母様は微笑みを浮かべながら私の理想を肯定してくれた。

 母の慈愛と全幅の信頼。それを受け止めた私に、もう迷いや恐怖という感情は一切なくなっていて。


「――大好きです、お母様」


 魔物との絆。親子としての絆を結んだのだった――。

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