第24話 『 初陣 』
「地上で会敵するのは危険だし、木の上を通っていきましょう」
一昨日自身の運動能力を把握したミィリスは、常人ではありえない選択肢を取る。本来であれば不可能な所業も、この肉体は容易にそれを実現させた。
地面を軽快に蹴り上げ飛翔したミィリス。なるべく丈夫な木の枝を足場にして着地すると、そのまま次の木の枝へと飛んだ。
「はは。まるで忍者ね」
木の上を自在に飛び回る忍をイメージしながら、ミィリスは進んでいく。
「さて勇者はどの辺にいるかしら」
身体能力、動体視力に優れているだけでなく、ミィリスの肉体は聴覚や感覚にも優れていた。
まさしく完全無欠。あらゆる事象に対応しうる能力を備える自分に、ミィリスは思わずチートかよと苦笑した。
木の枝を次々と移りながら、ミィリスは聴覚を、視覚を研ぎ澄ませていく。その時、ミィリスの意思で開くはずのメニューバーが勝手に開いた。
「あら、スキルが発動中になってる」
視界の端で開かれたメニューバーを見てみれば、スキル『センリガン』が発動していた。
「センリガン……千里眼って意味かしら。なるほど、どうりで見えない場所も把握できるわけね」
地上を駆けるほどの速さで木の上を移動しているはずなのに、周囲の状況を鮮明に把握できていることに違和感があった。が、それがスキルによる効能ならば合点がいく。
まるで脳内に3Dマップでも開かれているような感覚だ。把握できる範囲は、ざっと半径三十メートルほどか。
レーダー探知機にでもなったような気分になりながら、ミィリスはこれならば勇者に気付かれず近づけると舌舐めずりした。
「向こうが手慣れの場合は、たぶんそういう訳にもいかないんでしょうけど」
こちらが知っているのは向かってきている相手が勇者ということだけ。もしかしたら勇者ではなく冒険者かもしれないし、或いは勇者より格上の英雄かもしれない。
生まれて四日目の自分に英雄を倒せるかは分からないで、できればルーキーかミドルの勇者が相手だと嬉しい。
いずれせよ会敵し対峙することに変わりはなく、ミィリスは脳内で作戦を練りながら『センリガン』で周囲を警戒する。
「――――」
さらに数十メートル進んだところで、ミィリスは移動を止めてその場で気配を殺した。
「(……引っ掛かったな)」
『センリガン』の範囲内に一つ、強大な魔力を持つ何かが入ってきた。
それが少しずつ、ミィリスの下へと近づいてくる。
「(こっちには気付いてないようね)」
うまく気配を殺せているかは微妙だが、二度目の記憶――暗殺者『ナイン』だった頃の記憶を蘇らせて息を殺す。
「(暗殺者やっててよかったー)」
クソみたいな人生でも役に立つこともあるんだなと実感しながら、ミィリスは『センリガン』で対象の補足を、獣並みの視力で遂にそれを捉えた。
数メートル先。それはいた。
「……あれは、たぶん勇者だな」
そう直感的に分かったのは、三度目の記憶――冒険者『シャルロット』の記憶にあった男冒険者とそれの格好が似ていたからだった。
上質な革靴とグローブ。所々これまでの戦いよって擦れた防具。特に目を惹いたのは、腰に装着してある〝剣〟だった。
魔物を狩るのに最適な装備を施して歩くのは、もう勇者以外にはいないだろう。
「目的は魔物対峙か……それとも私の首を討ち取りにきたか」
どちらも可能性はある。ただ、おそらくあの勇者の目的は前者だと思われる。理由は二つ、一つは単独でいること。そしてもう一つは、装備がやや軽装であること。
魔王を討ち取りにきたならば、もう少し装備を整えて挑んでくるはずだ。そうなると、ミィリスの判断は正しかったことになる。
自分が勇者の相手をして、リズに
「――ふぅ」
段々と、確実に近づいてくる勇者にミィリスは息を整えていく。
依然ミィリスの存在は勇者に気付かれていない。木の上を通って近づくことも間違いではなかった――あとは、勝負に出るだけ。
「よっ」
「――っ⁉」
木の葉が揺れる音と同時、ミィリスは勇者の前に着地した。
予想通り、ミィリスがこうして眼前に現れるまで全く気付いていなかった勇者は露骨に驚愕していた。
「っだ、誰だ貴様は⁉ いったいどこから――」
「ここから先へ立ち入ることは許さない。大人しく引き下がりなさい」
勇者の動揺に構うことなく単刀直入に忠告すれば、勇者は「は? は?」と状況の飲み込めなさに戸惑うばかりだった。
「もう一度言ってあげる。大人しく帰りなさい」
「……迷子、ではなさそうだな。キミ、もしかして魔族か?」
「はいと答えたら、どうするつもり?」
「なに、どうすることもしない。見たところキミはまだ子どもだ。生憎子どもは例え魔物であっても殺さない主義でね。――用があるのは、【成体】の魔物だけだよ」
どうやら話は通じるようだが、しかし主張の譲らない揺るがぬ意志を勇者から感じた。
「なぜ【成体】を狙うのかしら?」
「それは当然、彼らが危険因子だからに他ならない。放っておくと人間を襲う。ならばこそ、先じて駆除しなくてはならない」
「なるほど」
「――っ⁉」
勇者の意見を聞き終えた、その直後だった。地面を爆ぜたミィリスが勇者の首を獲るべく爪を鋭利にして襲ったのだ。
その一撃は瞬きの一瞬。しかし、勇者は間一髪のところでそれを避けた。
「いきなり何をする⁉」
「流石は勇者。伊達にその冠を被っている訳ではなさそうね」
わずかに調整がずれて、体が空中を流れる。重力に引っ張られるように後退しながら着地し、土煙が舞う中でミィリスは勇者に賞賛をくれた。
「ああくそっ! 何なんだお前は⁉」
「名乗りたくないわよ。覚えられると困るし」
既に勇者を殺す覚悟は決まったが、万が一にでも逃亡された事を考慮すれば不用意に名前を教えるのは危険だ。『魔王』であることが知られれば、彼らは確実に軍を成して侵攻してくる。そうなってはひとたまりもない。
ひたすら動揺の色を濃くする勇者は、既に戦闘態勢を取っているミィリスに交渉は無意味と悟ったのだろう。彼も腰に収めた剣を引き抜き、構えた。
「その身のこなし、とてもただの【幼体】ではないな。
「殺す相手のことを考えるなんて思考の無駄よ」
暗殺者時代にそれを体に叩きこまれた。文字通り、殴る蹴るといった暴力を以て。
『ナイン』という暗殺者だった頃の記憶が、今のミィリスを恐ろしいほどに冷静にさせている。
殺す、ということに、何ら恐怖もなければ躊躇もない。
「【幼体】だからって手加減すると死ぬわよ」
「先の動きでお前が
ミィリスを人類の脅威となると直感した勇者は、もう既に動揺はなく狩人になっていた。口調も『キミ』から『お前』に変わったことで、完全にミィリスを〝駆除すべき外敵〟と判断したのだろう。その思考の切り替えの速さにミィリスは不本意だが脱帽した。
力強い眦に世界の安寧――否、人類の安寧を宿し、勇者は足に力を籠める。
「――ハッ!」
裂帛のような呼気と同時、勇者が爆ぜる。人類の脅威を確実に獲るべく振りかざされた剣の一閃がミィリスを襲う。
「なかなかいい動きをするわね」
「――これを避けるのか⁉」
一閃。正にそう呼ぶに相応しい一撃が奔るも、しかしミィリスは容易にそれを躱した。
勇者が剣を振り切るよりも早く体を低くしていたミィリスは、そのままガラ空きの胴体に拳打を浴びせた。
「――カフッ‼」
もろに一撃が入り、たまらず勇者は苦鳴を上げる。飛び出た唾液が宙を舞いながら、勇者の体が吹っ飛んだ。
「今のはいい一撃だった思うけど、やっぱりこの程度じゃ倒れないわよね。鍛え上げられた肉体と鋼の鎧が合わさって凄まじい防御力を魅せたのかしら」
おそらくそれだけではないだろう。彼もまた、魔力を持つ人間だ。故に、その魔力を防御にも回しているはずだ。
鍛え上げられた強靭な肉体に鋼の鎧、そして魔力の鎧の三重層――崩すには打って付けの
「やっぱ実践が一番経験値を得られるわよね。そういう意味も含めて、リズを避難に回させたのは正解だったわ」
タン、タン、その場で軽くジャンプしながら、体が温まってきたことを実感する。その間、地面を転がっていた勇者が剣を地面に突き刺しながら立ち上がっていた。
「……この桁外れた力。やはりただの魔物ではない。なぜ、こんな上位種が此処にっ」
「村見学してましたっ」
勇者の疑問に答えながら、ミィリスは再び戦闘態勢を取る。緊張というものは何故かなく、冷静な思考が『せっかくなら色々と試そう』と実験を催促してきた。
それにミィリス本人も同意。相手は勇者だが、しかし勇者だからこそ試す価値があった。
ミィリスはこの二日間の実験を思い返しながら、実践に挑み始めた。
「――クモイト!」
発動したのはミィリスが現在最も気に入っている魔法だった。手から顕現するクモの糸は勇者を捕縛するべく空中で螺旋を編み飛んでいく。
それを勇者は避けることなく真っ二つに斬ろうと剣を掲げた。一度空振りに終わった一閃は、しかしミィリスではなく『クモイト』であれば容易に両断できると振りかざされる。
「――なぁ⁉」
振り切った剣。しかしそれは『クモイト』を両断することなく、粘着した糸が剣と地面をくっ付けてしまった。
ありえない、とでも言いたげに驚愕する勇者に、ミィリスは不敵な笑みを浮かべながら教える。
「どう? 私の『クモイト』、粘着力が凄いでしょ」
「凄いなんてものじゃっ……くそっ⁉ どうして剥がれない⁉」
リズに教えられて知ったことなのだが、どうやらミィリスの『クモイト』はそれを使う魔物・ジャンプスパイダーよりも遥かに強度が増しているらしい。本来はエサ取り用か外敵に襲われた時に使用するもので、決してバンジージャンプを出来るような強度ではないそうだ。
つまり、ミィリスが放った『クモイト』を、ジャンプスパイダーと同じ『クモイト』と解釈して両断しようとした勇者はまんまとミィリスの策中に嵌ったという訳だ。
「ふむ。使えば使うほど便利な魔法ね。騙し討ちもできるし捕縛もできる。空中を高速で移動できるのも利点……あれ、これだけで私やっていけそう⁉」
なんとも使い勝手のいい魔法を見つけてしまって、ミィリスは思わず興奮してしまう。
自身の身体能力に幅広い用途に長ける『クモイト』は相性抜群だった。
「ふざっけるな!」
「あら」
便利な魔法に夢中になっていると、いつの間にか地面と接着して使い物にならなくなった剣を捨てて殴りかかろうとしてきた勇者の存在に気付いた。既に拳が顔面にめり込む距離だったが、ミィリスは一切動じることはなかった。
拳が顔面に衝突する、わずか一秒の時間。その刹那に回避は不可能と思われたが、やはり『魔王』の体は半端ではなかった。
勇者の存在に気付き、拳が届く刹那。それを認識した体は即座に回避行動を取っていた。
瞳孔が縮まり、極限まで感覚を研ぎ澄ませる。まるで時間が遅くなったような感覚の中で、ミィリスは頬を穿たんとする拳を最小限の
「――っ⁉ ……なんだとっ⁉」
「あらら。最初で最後の攻撃のチャンス、終わっちゃったわね」
確実に当てられるはずだった攻撃すら躱され、瞠目する勇者にミィリスは嘲る。
そして攻撃の動作から戻れない勇者の腹に、重い一撃を浴びせた。拳よりも威力の高い、膝蹴りという重撃を。
「ぐはあっ⁉」
その豪快な一撃が、鋼の鎧を砕いて衝撃を体の内側まで届かせる。先ほどよりも盛大に唾液を吐く勇者はミィリスの一撃に空中に浮き上がり、身動きできぬまま地面に倒れ落ちた。
「……貴方、本当に勇者?」
「――っ⁉」
なんとも粗末な戦いに、ミィリスはつい尋ねてしまった。その問いに勇者は侮辱されたように顔を歪める。
攻撃は容易く躱され、あまつさえその弱さに勇者であることすらも否定された勇者は、ただただ屈辱の味に奥歯を強く噛み占めることしかできなかった。
「……これなら私が手を下さなくともリズだけでどうにかなったんじゃないかしら」
そんな勇者にはもはや目もくれず、ミィリスは自分の取った選択が間違いだったかもしれないと後悔を始めていた。
「できることならもうちょっと自分の実力を知りたかったんだけどなぁ。仕方ない。あまり長引かせてリズを心配させる訳にはいかないし、ちゃっちゃと終わらせて戻りましょ」
「……お前は、いったい……」
「え、私?」
蚊の鳴くような、死に際の虫のような声で尋ねる勇者に、ミィリスは顎に一指し指を置いて思案する。
「んー、そうね。無謀にも私に挑んだその勇気に免じて私が誰か教えてあげるわ」
「――――」
地に這いつくばる勇者に向かって、ミィリスは己の胸に手を当てながら堂々と告げた。
「私はミィリス。この魔境・ノズワースを統べる――『魔王』よ」
「――っ⁉」
『魔王』、その単語を聞いた瞬間、勇者の目が大きく見開いた。それはまるで無理解を示すような、けれど敵の圧倒的な力に納得がいくようにも見えて。
まぁ、そんなことはどうでもよくて。
「さよなら勇者さん。今日はただ魔物退治に来ただけなのに、『魔王』に出くわしちゃって運がなかったわね」
でも、引き返せと忠告はしたし、それを破ったのは勇者の方だ。相手が何者か知らなかったとはいえ、彼の過失であることに他ない。
「せめて楽に殺してあげ――ん?」
最後は派手に火葬してやろうと『ファイア』を発動する直前、再び『センリガン』を使った時のようにメニューバーが自動的に開いた。
しかし今度はあの時とは違い、ミィリスに選択を求めてきた。
「……スキル『ゴウダツ』を使用しますか?」
見覚えがあるスキル名に眉根を寄せるミィリス。
「前は使ってみても何も起きなかったスキルだったわよね。それがどうしてこのタイミングで発動を促してきたのかしら」
考えられるのはただ一つ。こういう状況になったから使えるスキルということ。
そしてミィリスの選択肢もただ一つ。使えるなら使ってみよう、だった。
「――スキル『ゴウダツ』、発動」
促されるままに『ゴウダツ』を発動する――しかし、その効果はやはり現れることはなかった。
「……なによ思わせぶりなことして! 結局ポンコツスキルじゃない⁉」
その場で地団太を踏みながら不発したスキルに文句を吐くミィリス。
二度と使うかこんなスキル⁉ と爆発した怒りが足先に這いつくばる勇者に触れた――瞬間だった。
「ぐあああああああ⁉」
「うひぃ⁉」
突然勇者が絶叫を上げ始めたのだ。いったい何故、と困惑するミィリス――不意にその体に力が沸き上がった。
「は、え? なにこれなにこれ⁉」
まるで全身が賦活するような感覚に、動揺が止まらない。そして、勇者の絶叫も止まらない。それがまるでシンクロしているみたいに見えて。
「『ゴウダツ』って、やっぱりあの『強奪』のことか……」
強奪。その意味は暴力行為によって他者の物を強引に奪うこと。この状況はそれに一致していた。
勇者を暴力によって叩き伏せ、抵抗できなくなった状態で発動したスキル――正しく『ゴウダツ』と呼ぶに相応しい。
そして奪っている力はおそらく〝魔力〟だ。全身に力が漲るような感覚が、それを物語らせる。
「――カッ……は……」
発動した『ゴウダツ』。その終わりは絶叫を終えた勇者の断末魔だった。
「これは、勝ったってことでいいのかな?」
ピクリとも動かなくなった勇者を見下しながら、ミィリスは自問自答する。
なんとも呆気ない戦いの行く末に、勝利の愉悦も人殺しした実感も置いてけぼりになってしまって――
「と、とりあえず初勝利ばんざーい」
『魔王』としての初勝利は、なんとも言えない感動で幕を閉じたのだった。
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