第19話 『 魔王様のご提案 』

 ビュン、ビュン、と風を切りながら空を舞っていると、「うえっ⁉」と素っ頓狂な声がどこからか聞こえた。


「な、ななななにをなされてるんですかミィリス様⁉」


 誰かと思って降下してみれば、そこに居たのは私の専属秘書であるリズだった。

 私はリズを捉えると、「あら」と声を上げて、


「今日も様子見にきたのねぇぇぇぇぇぇ」

「何言ってるか全然分からないです⁉」


 ブォォォォン、と空気を全身で殴りながら声を出したせいで、リズは私の言葉を上手く聞き取れなかったらしい。

 リズが聞き取れないのも無理はない。何故なら今の私は、振り子のように宙をぶらぶらと揺れて高速移動しているのだから。


「ミィリス様! 危ないですから! その遊びやめてください!」

「遊びじゃなくて実験よ~。クモイトの耐久度と弾性の実験~」

「あっ声のボリューム上げてくれたから聞こえます! ……じゃなくて⁉」


 丁度加速が収まったタイミングでリズに説明した。しかし下の方は依然騒がしく、「お止めください!」とか「あああああ⁉」とか「危なぁぁぁぁい!」と絶叫が止まない。

 仕方なくクモイトから手を離せば、一際大きな絶叫を浴びながら私はくるくると宙を舞って着地した。

 すちゃ、と静かな足音が鳴れば、私はドヤ顔でリズに尋ねた。


「どう! なかなか上手く着地できたんじゃないかしら!」

「いやホントッ危ないから止めてください⁉ 心臓が破裂するかと思いましたよ⁉」

「大袈裟ね。私のカラダなら、あの程度の衝撃でケガなんかしないわ。まぁ、試してないから分からないけど……それも試さないとね」

「絶対止めてください!」


 リズに必死に懇願されたのでその実験は中止するとして、私は今日も律儀に様子を見に来たリズに問うた。


「で、今日も様子見に来たの?」

「は、はい。これもミィリス様の専属秘書である私の務めですので」

「勤勉ねぇ。来なくていいって言ったじゃない」

「そういう訳には参りません。ミィリス様は『魔王』であれどしかしまだ生まれて三日目の【幼体】でございます。ミィリス様の安全を確保することも、私の務めでございます」


 リズの忠誠心に感嘆としながらも、私は引っ掛かる単語に眉根を寄せた。


「ねぇリズ、ヨウタイ、ってなに?」


 リズは「はい」と顎を引きながら教えてくれた。


「【幼体】とは、まだ【成体】となっていない魔物のことを指します。人間で例えるところの子ども、と言ったところでしょうか」

「へぇ、魔物にもちゃんとそういう区別があるのね」


 そういえばメニューバーに表記されていた『ミィリス』の名前の横に【幼体】と記載されていたなと思い出す。

 意味はおそらく、リズが先ほど言ったものと同じだろうと思っていたのだが、やはり予想通りだった。

 溜飲も下し、私はリズに「ありがと」とお礼を告げた後、さらに質問を投げかけた。


「ところでリズは【成体】なの?」

「はい。私は既に【成体】でございます」

「お城の者で【幼体】はどれくらい要るのかしら?」

「……城内の者で【幼体】なのは、現在ミィリス様だけでございます」

「え、城内の魔物って、たしか47体いるわよね? その全部が【成体】なの?」

「はい。そもそも、城内で【成体】を迎える者はほとんどいません。他の魔界城も、ほとんどが【成体】となった魔物、その中でもさらに優秀な上位個体のみが魔王様の下に就くことが許されています」

「はぁ。超ゴリゴリの実力主義社会って感じなのね」


 リズの説明を聞き終えて、私は呆気取られたように息を吐く。

 こうして魔物の世界を聞くと、前世の私が勤めていた会社のブラックっぷりが可愛く思えてくる。

 強者は優遇され弱者は冷遇される。結局のところそれが自然の原理で、変わらぬ不変なのかと改めて痛感する。


「いや、そう思うのは早計か」

「――?」


 植え付けられた前世の記憶を振り払うようにかぶりを振って、私は不快感に覆われていく思考を切り替えた。

 今私が生きている世界は、人間ではなく魔物の世界だ。

 そして私はまだ、魔物の世界を少しも知っていない。


「リズ、このノズワースにも、魔物は多く生息しているのよね?」

「左様でございます」

「その中で、集まって生息している魔物たちはいるのかしら?」

「はい。鬼族オーガ妖精族エルフ、ドワーフやゴブリンといった多くの魔物たちが集落を築き、同胞たちと暮らしています」


 やはり、魔物の世界にも集落を築いている者たちがいたか。

 ならば、私――魔王ミィリスのやることは一つだろう。


「リズ。明日、その魔物たちに会いに行きたい……いえ行くわ」

「え⁉ 明日ですか⁉」


 目を剥くリズに、私は既に引く気はないと訴えるように強い眦を向けた。


「私は、この魔境・ノズワースの『魔王』なんでしょう。ならばやることは一つ――ここに住む民を知らないと」


 胸を張ってそう言い切れば、リズは一瞬だけ逡巡素振りを見せながらも「畏まりました」と許諾してくれた。


「では、明日集落へ向かう移動の手配を済ませておきます」

「その必要はないわ」

「――はえ?」


 リズの進言をきっぱりと断れば、彼女は素っ頓狂な声を上げた。

 何故、と首を傾げる専属秘書に、私はニッと笑うと、


「この魔境を隅々まで知る為にも、自分の足で歩いて行くわ」


 そう言った私に、リズは信じられないとでも言いたげに頬を引きつらせるのだった。

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