第1章――2 【 魔境・ノズワース 】

第11話 『 二日目の始まり 』


 コンコン、と扉を叩く音がして、ミィリスは「くかっ?」と素っ頓狂な声を上げながら意識を覚醒させた。


「――魔王様。朝でございます」


 扉越しから聞こえる声にミィリスは重い瞼を擦ると、もうそんな時間かと布団を剥いで上半身を起こす。


「恐れながら、ご入室させていただきます」


 随分と畏まった入り方だな、と思いながらも、ミィリスは「あい」と生返事した。おそらく、その寝ぼけた声は扉越しの彼女には届いていない。

 ほどなくして扉が開かれて部屋に入って来たのは、黒髪の女性――ではなく、黒髪の魔物だった。

 名前は、たしかそう、リズだった。ミィリスの専属秘書の、吸血鬼族ヴァンパイアだ。

 リズは髪がぼさぼさでまだ半分寝ているミィリスを捉えると、凛々しい顔に柔らかな微笑を浮かべた。


「申し訳ございません。まだ眠られておりましたか」

「……いや、ううん……うん」


 こくこくと首を動かすミィリス。覚醒途中の意識がリズの言葉を上手く処理しきれず、曖昧な返答を繰り返させる。

 そんなミィリスにリズは親近感が湧いたような情を瞳に宿しながら、ゆっくりとベッドに近づいてきた。


昨日さくじつお目覚めになられたばかりです。まだ疲労も溜まっておられましょう。もう少し休眠を取られますか?」

「いえ……色々と確認したいことも、あるし……起きるわ……くぅ」

「あはは。半分寝ておられますね」


 これでも意識は八割ほど覚醒しているのだが、思考が『二度寝したい』と誘惑してくる。

 それにどうにか抗いながら、ミィリスは重たい瞼を擦った。

 ぱちぱち、とようやく紅瞳が鮮明に色を映すと、ミィリスは眼前、こちらに柔らかな微笑みを浮かべるリズを捉えた。


「ええと……リズ、よね」

「はい。魔王様専属秘書のリズでございます」


 彼女はミィリスの確認に顎を引くと、膝をついて頭を垂れた。


「それ、やめて欲しいのだけど」

「そういう訳にはいきません。これは魔王様への敬意の証。我々にとっては義務のようなものでございます」

「ならせめて、魔王様って呼ぶの止めてくれる?」


 正直、ミィリスは未だに自分が『魔王』であると把握できいていない。当然といえば当然だ。なにせ、ミィリスは昨日生まれたばかりなのだから。それに五度の人生が人間だったことも含めて、その呼び方がしっくりきていない。

 しかし、リズはこれにも首を横に振った。


「それも、止める訳にはいきません。ミィリス様は我々にとって、『魔王』以外の何者でもございません。故に、他の言葉では魔王様を形容することができないです」


 このリズという専属秘書。中々に頑固だった。

 忠誠心が異常に高いが故に、自身の考え――魔物としての本能とでも言えばいいか、それに良くも悪くも従順だった。

 ならば、とミィリスは彼女の意思の逆手を取る。


「ならこれからは、私のことを魔王様ではなくミィリスと呼びなさい」

「……しかし」

「魔王命令よ」


 顔を上げて抗議しようとするリズにミィリスは圧を込めながら命令した。すると彼女は頬を引きつらせ、葛藤の末に「畏まりした」と顎を引いた。


「ではこれより、ミィリス様と呼ばせていただきます」

「うん。お願いね。そっちの方が分かりやすくて助かるわ」

「――?」


 リズがどういう意味かと頭に疑問符を浮かべるが、彼女は特に関係がない。これはミィリスがただ呼ばれたことに気付くために必要な工程で、魔王と呼ばれるより名前で呼ばれた方が反応し易いからだ。特に名前を変えて五度も人生を送って来たから、頭の中はグチャグチャだった。

 今の自分は『ミィリス』と呼ばれる魔物。それを自分に根付かせる意味も含めて、リズには名前で呼んでもらうことにした。


「そうだ。他の人……じゃなかった、他の者にも、私を名前で呼ぶよう言っておいてくれるかしら。魔王命令ね」


 また抗議しかけたリズだが、それを言下に脅迫を付け足して口を封じさせた。うむ、魔王という立場は実に便利だ。

『魔王』と呼ばれているのだから相当身分は高いのだろうとは思ってはいたが、抗議をその単語一つで封じてしまうのだから想像以上に凶悪な立場だ。

 リズとの会話で完全に覚醒した意識で自分の立場をひしひしと実感しつつあるミィリスは、ぐっと背中を伸ばすと深く息を吐いた。

 それから、日差しの差し込む窓を見て、


「――さて、一日を始めるとしましょうか」


 魔王、ミィリスとしての二日目が始まった。



*****




 ぼさぼさの赤髪を梳いてもらい、化粧を施す。パジャマから深紅のドレスに袖を通せば、まさしく『絶世の美少女』と呼ぶに相応しい存在がこの世に舞い降りた。


「とてもお美しいです! ま……ミィリス様!」


 着替えの最中も専属秘書であるリズが付き添っていて、華やかなドレスを纏ったミィリスを見て彼女は感嘆と涙を流していた。

 そこまでか、と呆れつつも、ミィリス自身も目を疑う可愛さに内心苦笑していた。

 ストレートもいいがツインテールも似合いそうだな、と鏡を見ながら思案していると、着替え室にミィリスの母、メルルアが入室してきた。

 彼女は着替え終えたミィリスを見ると、まぁ、と声を弾ませた。


「とてもよく似合っているわ、ミィリス」

「ありがとうございます。お母様」


 なんとなく様を付けた方がいい気がしてそう呼べば、メルルアは嬉しそうに双眸を細めた。

 鏡に映る自分とメルルアを交互に見れば、彼女に似た面影が自分にあってやはり親子なんだなと実感する。

 しかしそうなると不思議なことが一つあって、どうして自分はメルルアの子宮ではなく透明なガラス瓶の中にいたのだろうと疑問が生まれる。

 それが一番の謎だが、ミィリスの疑問をメルルアが知るはずもなく尋ねてきた。


「昨日はよく眠れたかしら?」

「はい。ぐっすりと眠れました」


「それはよかった。目覚めるのに体力を使ったでしょうし、結局昨日はあのまま宴に参加させてしまったから心配だったの」

「私はただ座っていただけで、特に何もしてませんから」


 事実、昨日はミィリスの生誕祭が開かれたが、主役であるミィリスはただ上座に座っているだけだった。メルルアも他の魔物(おそらくこの城の従業員みたいな者たち)とずっと話し合っていたから、あまり一緒にいることはなかった。

 昨日からずっとミィリスにくっ付いていたのは、今も隣にいるリズだ。

 母親よりも長く行動を共にしている秘書とは如何に、と思案していると、ミィリスをジッと凝視しているメルルアに体が反射的に一歩引き下がった。


「あの、お母様、ジッと見つめてどうしたんですか?」


 するとメルルアは「ごめんさい」と我に返ったようにかぶりを振って、


「昨日は全く声を聴けなかったものだから、少し不安だったの。でも、一日経って落ち着いたのかしら、普通に会話できていることが嬉しくて、つい」

「あー、なるほど」


 たしかにメルルアの言う通り、昨日はあまり喋らなかった。というより、上手く声が出なかったが近いか。

 意識も思考も、体もスムーズに動かせなかったが、中々声を出すことが難しかった。「あ、あ……あ」ぐらいしか出せず、眠る間際に辛うじてリズに『……へ、や』と伝えられたくらいだ。

 それも今日には何事もなかったように、こうして普通に喋れるようになった――成長速度が速すぎて、軽く恐怖する程に。


「ミィリスには生まれる前から無理をさせてしまったから、もしかしたらその弊害が起きたかと心配したの」

「生まれる前……ひょっとして、あの瓶のことですか?」


 メルルアの言葉に思い当たる節が一つだけあり、直感的に彼女の憂いに結び付いた。

 その問いにメルルアは真剣な顔でこくりと頷くと、肩に手を乗せて言った。


「ミィリス。貴方に、話したいことがあります――直食の後、私の部屋に来てください」


 真剣な声音。真っ直ぐにミィリスを見つめる同じ色をした瞳は、決意と憂いを帯びていて。


「分かりました」


 私は、おそらくその話が自分の全てを知るものと悟ってこくりと頷いた。

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