第12話 『 ミィリスの出生秘話 』


 ――朝食後。メルルアの指示通りに部屋に訪れれば、一足先に待っていた彼女と目が合った。


「こちらへ来なさい」


 優しい声にミィリスはコクリと頷くと、静かに扉を閉めながら入室する。

 それから設置されている椅子に腰を下ろせば、初めての親子二人きりの時間が訪れた。

 話始めるのに覚悟がいるのか、メルルアは顔を俯かせて沈黙している。その間、ミィリスはじっと彼女の顔を見つめていた・

 何か意味があった訳ではない。ただ、彼女が自分の母親なんだと、理解してはいるがどうにも納得できないしこりがあって、それが眼前の令嬢を凝視させる起因となった。


 ――どうして自分は彼女の腹から生まれてこなかったのだろう。


 特別な理由があると、メルルア自身がミィリスに言ったことだ。その出生の秘密を知る為に此処へ呼ばれ、こうして母と向き合っている。


「――ごめんなさい」


 沈黙を破ったのは、メルルアの唐突な謝罪だった。

 それに意味が分からず眉根を寄せれば、メルルアはようやく顔を上げ――その顔が、悲壮に満ちていてミィリスは声を失う。

 戸惑うミィリスをメルルアは一瞥した後、謝罪の訳を語った。


「本来ならば、アナタは他の子らと同じように時間かけて、健やかに育っていくはずだった。けれど、私たちの勝手で、生まれて間もないアナタに重荷を課してしまった」


 それはまるで懺悔のようだった。

 今にも泣きそうなほどに瞳を潤ませ、声音は慟哭を堪えようと震えていた。

 どうして母は謝罪しているのか、それが分からないミィリスは必死に言葉を探す。


「――お母様。教えてください。何も知らないことには、私の何も始まりません」


 ミィリスは言葉を必死に言葉を紡ぎながら、強く握られる拳に手の平を乗せる。

 覚悟にも、安寧にも似たような温もりに、メルルアは「そうね」と首肯するとミィリスに全てを語り始めた。


「まずは、アナタの生まれたこの地から教えないといけませんね。此処は魔境・ノズワース。リドラ大森林の中にあり、多くの魔物たちが暮らす地です」

「……ノズワース」


 復唱して、飲み込む。一つ分かった。次へ、と視線で促す。


「そして、貴方が今いる場所が『魔界城』と呼ばれるノズワースを統括する城です。ミィリスにとっては家になりますね」

「随分と大きな我が家ですね」


 軽口を挟めば、いくらか張り詰められた空気が弛緩した気配がした。

 メルルアは「ふふっ」と小さな笑みを浮かべたあと、わずかに声音に明るさを取り戻して話を続けた。


「魔界城には必ず、『魔王』という他の魔物たちを統率する者がいなくてはなりません。他の魔物が生息する国――魔境も同様に」

「例外は?」

「例外はありません」


 なるほど。つまり人間でいう所の王様や大統領のような者か。国の象徴であり最高権力が必要なのは、魔物の世界も同じらしい。

 それを理解すれば「分かりました」と顎を引いて、ミィリスは再びメルルアの説明に意識を注いでいく。


「この魔界城にも、かつては魔王がいました。しかし一年前、その魔王はある勇者たちによって殺害されてしまいました――アナタの、父親に当たる方です」

「それはもしかして、あの方ですか」


 そう言って視線を移した先にあったのは、この部屋の壁に立て掛けられていた一枚の自画像だった。

 ここは母、メルルアの部屋だ。当然彼女の自画像もある。そしてメルルアの自画像の他にもう一枚――ミィリスと同じ髪の色をした、凛々しい者の自画像があった。

 ミィリスの問いかけに、メルルアは「えぇ」と首肯した。


「彼こそがこの魔界城の主……いえ、主だった者です」

「名前は?」

「名はアシュト。魔物たちがより良く生きていける世界を願っていた、優しい魔王でした」

「そう、ですか」


 母の言葉に、ミィリスは複雑な感情を抱く。

 母の言葉には、彼に対する親愛と敬意が感じられた。どのくらい共に過ごしていたのかは知らないが、声音からでも彼を未だに想う気持ちが伝わってくる。

 きっと、彼女だけでだけなく他の魔物からも慕われていたのだろう。

 会ってみたかと思う。どんな魔物だったんだろうと、言葉だけでは分からないから、会って、触れて、話したかった――しかし、それは叶わない。

 胸裏に言い知れぬ感情が渦巻く最中で、ミィリスはメルルアの謝罪の意味がなんとなく分かった気がした。


 ――父親に会わせてあげられなくてごめんなさい。


 当然、それ以外にもまだあるのだろう。

 渦巻く感情を無理矢理押し殺して、ミィリスは毅然と母を見つめた。

 それに母は一度瞼を閉じると、ミィリスと同じように覚悟を決めたような力強い瞳を向けた。


「今からが、アナタの出生に関わることです。覚悟は……聞くまでもありませんね」


 メルルアは一拍置いたあと、ついにミィリスの出生について語り始めた。


「私がアナタの存在に気付いたのは、アシュトが亡くなってすぐの頃です。腹の違和感に気付き、すぐにアナタが受胎したのだと悟りました」

「それから?」

「アナタを身籠った私は、クロームやリズたちに相談をしました。この子は必然的にこの魔界城の魔王になる。しかし、このままでは到底、他の魔境や人間たちからの脅威に対抗できる魔王にはならない、と。そこで私は、一つの方法を思いついたのです」

「それは……」


 ごくりと、生唾を飲み込んだ。そんなミィリスをメルルアはジッと見据えたまま、


「このノズワースに住む魔物たちの魔力をこの腹の子に注げないか、と」

「――――」


 その言葉を聞いた瞬間。ミィリスはなんとなく、あのガラス瓶が何の役割を果たしていたのか分かった気がした。

 瞠目するミィリスに、メルルアは凛然とした眦のまま続ける。


「最初は私にも危険が及ぶということでクロームたちからは当然猛反発されました。今ここで私まで死なれたら、ましてや腹の子にも死なれたら、確実にノズワースは他者に蹂躙されると。それだけは、私も避けなければなりませんでした。しかし、状況は刻一刻と悪化していく。明日、このノズワースに魔手が襲い掛かるかもしれない――そんな中で、私は打開策を見つけたのです」

「……それが、あのガラス瓶」


 声を震わせながら言えば、メルルアはただ静かに肯定した。


「私の体では、大勢の魔力を注ぐ器には成り得ない。ならば腹の子を特別な容器に移して、強大な魔力を注ごうと――生まれてくる子の尊厳などない方法で、私たちはアナタを育てました」

「――――」


 それは言わば、人工生命体のようなものだ。

 実験によって、当事者の意思ではなく他者の理想を体現する子となるように設定されて作られる存在――それが、ミィリスだった。

 あの容器は、ミィリスの生命装置を維持する役割の他に、メルルアが言っていた他の魔物たちの魔力を注ぐ機能も付いていたのだろう。

 それを聞きようやく、ミィリスは自分の生まれた方に納得がいった。


「アナタにも、アシュトにも顔向けできる方法ではなかったと自覚しています。母親として失格であることも。しかし……」

「それ以外、方法がなかったんですよね」

「――っ!」


 メルルアの言葉を継ぐように言えば、彼女の肩が大きく震えた。

 そして見れば、今にも罪悪感で押しつぶされてしまいそうなほど、母の手は震えていた。

 母も、そしてこの魔界城に生きる魔物たちも、苦渋の選択を取らざるを得なかったのだろう。

罪を罪と自覚していながらも、それでもその選択を取らざるを得なかったことは、ミィリスは――否、『私』はよく知っている。


 ――その苦しさは、もう何度も何度も味わっている。


 震える母の手を握りながら、ミィリスは微笑みを浮かべた。


「私は、何も憤ってはいません。だから、お母様が罪に苛まれる必要なんてないんです」

「……しかし」

「むしろ私は感謝しているくらいです」

「――ぇ」


 ミィリスの言葉に、メルルアが無理解を示すように目を大きく見開いた。

 衝撃のあまり手の震えが止まって、言葉を失って口を半開きしながらミィリスを見つめている。

 そんな母へ、ミィリスは告げた。


「私は、生まれた瞬間から私の役割が与えられていることに嬉しく思っています。私のことを思い、強くなるよう慮ってくれたことも」


 生まれた瞬間から強いって、素敵なことだと思うのだ。生物の全てが、生まれた瞬間はどうしようもなく非力で、無力だ。それが、全ての赤子に共通していえること。

 その無力な存在を守る為にいるのが親。しかし、ミィリスはその片親を既に人間に奪われてしまっている。


 ――あぁ、やっぱり人間を辞めて正解だった。


 神様の願いと自身の願い。そして、母の願いと想い。全ての想いを己の胸に重ねて――『私』はこの瞬間、魔物として、『魔王』として生きる決意を固めた。


「私は、生まれながらにして『魔王』。……皆の想いを、悲願が込められて生まれた存在なんですよね」

「――――」


 胸に手を当てれば――不思議と力が湧いてくる。まるで、何もない所から源泉が湧くような感覚だ。

 これが力かと、これが母たちの想いの結晶なんだと、ミィリスは知る。


「自分の立場も、自分の使命も理解しました。ですからお母様。そんな悲しい顔をしないでください」

「……ミィリス」

「安心してください。私は、お母様たちの想いを必ず実現させてみせます」


 言葉ではそういうけれど、本当にうまくいくかは分からない。

 けれど、自分は今、多くの期待を背負って生きている。呼吸をしている。

 それは、幾度の人生にもなかったものだ。

 だから、だろうか。その期待に頑張って応えてみたいと思ったのは。

 ミィリスは、メルルアの手を強く握りながら誓う。


「私はこの魔境・ノズワースの『魔王』。その道程を、どうか見守っていてください」


 ミィリスの誓いに、母は感情を堪え切れずに泣き出してしまった。

 咽び泣く母は、目から零れる雫を懸命に払いながら、


「えぇ。アナタの成長を、私はずっと見守っています」

「ありがとうございます。お母様」


 強く頷いてくれた母に、ミィリス――娘である『私』は微笑みを浮かべたのだった。



*****

説明補足。

本作では魔物の国を『魔境』と呼称しています。人間の国は変わらず『〇〇国』です。

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