第9話 『 魔王・ミィリス 』


「――はぁ」


 ゆっくりと瞬きを繰り返し、私は生を実感するように息を継ぐ。


 ――ここが六度目の世界。


 神様との契約を交わし、私は六度目の世界――バルハラと呼ばれる惑星に転生した。

 人間を辞めた私。それは一体どんな生き物になるかと暗闇の中でずっと想像していたが、視界を得て私は驚愕した。

 なんとなく、そうなのかとは思っていた。暗闇の中で誰かも分からない『声』が聞こえたし、誰かにずっと見られている気配があった。それは、言うなれば胎児の感覚に近いかもしれない。まだ姿形も映像でしか確認できない我が子に、母と父はここにいるよと語り掛けるような感覚――それを私は、目覚めるまでずっと感じていた。

 だからこうして、己の目で見てやはりかと納得する。

 視線を下げれば、何か水のようなもので濡れている自分の体を捉えた。服は当然ながら着ておらず、生まれたままの状態――しかし、そこで私は違和感を覚える。


 あれ、赤子にしては少々大きすぎるな、と。


 手足こそ短いものの、十センチは有に超えている。手や足もくっきりと形成されていて、脳が動けと念じれば意思のままに動く。

 何よりも、胸に小さな膨らみがあったのが一番の衝撃だった。

 これはまるで人間の女の子ではないか――そう思った矢先、


「うおおおおおおおおお!」


 と鼓膜を揺らすほどの大声が聞こえて、私はビクッと肩を震わせた。

 自分の現状に戸惑う思考に突如として割って入ってきたその大声にハッと意識が我に返れば、眼前の光景に目を剥く。


 ――なんだこれは?


 見れば左右、見たこともない生き物たちが涙を流しながら喜んでいた。

 肩を組む者もいれば抱き合う者もいる。そんな異常な光景に目を瞬かせていると、女性らしき者が私に駆け寄ってきた。


「ミィリス様! お体が濡れておられます。こちらの絹物を羽織ってください」

「――(こくり)」


 膝を突きながらバスローブのようなものを突き出してくる黒髪の女性。それに私は返事しようと思ったが上手く言葉が出ず、やむを得ず無言で頷いた。

 私は彼女の手からバスローブを掴むと、綺麗に畳まれたそれを広げながら腕を通した。別に普通のことなのだが、羽織る際にバスローブを翻したら周囲が感嘆の息をお溢していた。なんか恥ずかしい。いや、裸の時点でかなり恥ずかしいか。

 そんなことを思っているとカツカツと甲高い靴音が近づいて来て、やがて私の前でその音は止んだ。


 じぃ、と見つめれば、彼女も同様に私をジッと見つめる。数秒見つめ合って妙なシンパシーを感じた時、彼女はふわりと柔らかな微笑みを浮かべた。


「初めましてミィリス。気分はどう?」

「――?」


 そう問われて、私はきょろきょろと周囲を見渡した。『ミィリス』とは誰のことか、と。

 しかし彼女の問には誰も返答することもなければ、彼女の視線は私に向けられていた。

 もしかして、と自分の顔に指を指せば、彼女は「ふふ」と口に手を当てながら笑った。


「そうね。生まれたばかりだから自分のことなんて分からなくて当然よね。――貴方の名は『ミィリス』。私、メルルアの愛娘」


 言って、彼女は濡れている髪を優しく撫でてきた。なるほど。先ほどから彼女から妙なシンパシーを感じていたのは、自分と彼女が親子だからか。

 納得と手を叩けば、母――メルルアはくすくすと愉快そうに口許を綻ばせる。


「どうやらまだ上手く言葉を発せないようね」

「そのようですね。やはりまだ目覚めの時には尚早でしたか……」

「いいえ。彼女が生まれたのは、彼女自身が目覚めたいと望んだからでしょう。見たところ健康のようですし、こうしてしっかりと二足で立てています。それに何より、まずはミィリスが無事に生まれたことを喜びましょう」

「えぇ。おっしゃる通りですね」


 メルルアの耳元で金髪をオールバックにした者が何か囁いていたが、メルルアの言葉を聞いた後力強く頷いた。

 そして彼が一歩下がると、身を翻して勢いよく手を上げた。


「皆の者! 我らが主君、ミィリス様のご誕生であられる! 膝をつき頭を垂れよ!」

「「はっ!」」


 まるで獅子の咆哮のような声だった。それに周囲は一斉に応じると、彼の指示通り私に向かって頭を垂れた。

 何事⁉ と状況の整理が追い付いていない私を無視して、彼も私に振り向くとニコッと笑って頭を垂れた。

 私以外、母さえも私に頭を垂れている光景に、私はただただ唖然とするしかなかった。


「我らが主君――『魔王』ミィリス様。まずはご無事にお誕生されたことを心より感謝させていただきます」


 ま、まおう? 『まおう』ってあの『魔王』のこと?

 困惑する私を余所に、金髪の彼は歓喜に声を震わせ続ける。


「我々は貴方様に、いつかこの命尽きるまで付き従っていく所存でございます。それが我らの天命にして使命――生きる意味でございます」


 うわー、なんか飛んでもないこと誓ってるー。

 目覚めて間もない私にいきなりそんな誓いを立てられても、とは思うものの、全員から伝わってくる忠誠の気配を感じてしまえば受け止めざるを得ない。

 というより、今の私って何に転生したんだ?

 金髪の忠誠の儀を右から左に聞き流しながら、私は改めて自分が何者に転生したか考える。

 周囲を見れば、人間のようで人間ではない者たちが大勢いた。頭に角が生えている者もいれば、ゴブリンみたいな緑色の体をした者もいる。奥を見れば、童話に出てくるようなドワーフたちも見える。


 ……これって。


 もしかして、とほぼ答えに辿り着いた自分の視界に、まるで回答を裏付けるかのようにそれは視界に入ってきた。


 ……尻尾や。トランプのハート型みたいな尻尾。


 それが、自分のお尻、尾骨から生えていた。一応、本当に自分のものかと左右に動けと念じてみれば、尻尾はその通りに左右にゆらゆらと動いた。


 なんとなく――否、もう分かった気がする。


 周囲には人間ではなくおそらく〝魔物〟と呼ばれる者たち。そして自分の尻尾と、明らかに人間の出産方法とは異なる生まれ方。

 自分の生誕がもっと特別なものだというのは後で知るが――私は〝それ以外〟ない回答に思わず苦笑を浮かべた。


 六度目の人生。


 それは自分の望み通り人を辞め――どうやら『魔物』として生まれ変わったらしい。


「(……人生じゃなく、魔物道――訳して魔道って感じね)」


 こうして私――ミィリスは六度目の生を歩み始めたのだった。

 


【あとがき】

登場キャラクター紹介


ミィリス 六度目の転生を果たした主人公の名前。魔物の王となった少女は人間に復讐を誓う。

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