第4話 『 私は転生者 / 四・五度目の記憶 』


 ――四度目。私は〝日本〟という世界で生まれ、ごく平凡な家庭に生まれた。父と母、そして私の三人家族で、そこそこ裕福な環境で育った。


 しかし、どんなに家庭がよくても世間はそうはいかない。


 人――子どもというのは不思議なもので、前は仲良かった友達が突然牙を剥く。それはまだ道徳心の芽生えていない無邪気な心が引き起こす病なようなもので、その病に私はターゲットにされた。

 中学二年生の初夏。私の上靴が隠された。最初はただの嫌がらせだと思っていたが、段々とそれはエスカレートしていき、群れを成した強者まがいは私を日毎に追い詰めていく。

 女というものは表立たず裏で画策&実行するのが得意なようで、教師や周囲に気付かれないように私を玩具にして遊ぶ。


 髪を掻きむしり、腹を殴り、トイレの水を上からぶっかける――それの何が楽しいのか、それの何が愉快なのか、その心理を理解することすら無意味で、無価値で無理解だ。


 周囲は私がイジメられていると知りながら、見て見ぬ振りをしてイジメという事実に蓋をする。教師も、どうやら異常が起きていると察してはいたようだが、面倒ごとには関わりたくないのか報復が怖いのか知らぬ振りしていた。

 そんな世界がただ憎くて、悲しくて、辛くて――私は部屋に引きこもった果てに首を吊って自殺することを決めた。

 最後に書き記した家族宛の手紙を机に残して先にあの世へ立つ私はなんて親不孝ものなんだろうか、と手紙に文字を綴りながら大粒の涙をこぼした。

 紙にシミになったそれを見て初めて彼らは後悔するのだろう。一生消えぬ傷を背負っていく〝生かす〟ことに――私は死の間際に笑みを浮かべた。


 ――?


 どうして笑ったのか、天井に吊るしたロープに首を掛けながら疑問を己にぶつける。

 弱者なりの最後の足掻きに笑ったのか。

 死を目の前にして楽になれると笑ったのか。

 死した私に傷を背負う彼らをいつかの彼らのように嘲笑ったのか。

 そのどれもが当てはまっているようで、けれど何かが違う気がする。

 初めて〝死〟を経験するのに、何故か心は不安に駆られていない。心臓の鼓動がいやに落ち着いている。自分でも不気味なくらいに――『死』を受け入れている。

 近づく濃密な『死』の香り。その香りを――私は何度も嗅いだことがある。


 ――あぁ、思い出した。


 首が締まり、死へのカウントダウンが始まる。

 痛いのはもう嫌だからとせめて苦しい方を選んだ首吊り自殺が、死を直前にして記憶を蘇らせる。


 冬の日の死を。

 復讐に駆られた死を。

 希望を絶望に塗り替えられた死を。


 そして、これは四度目の。


 ――心を蹂躙された死だ。


 

 ****




 五度目。


 再び日本に生まれた私は、イジメなど遭うことなく順調に大人になっていた。好きな人と付き合ってデートしたり、愛し合ったり、些細なすれ違いが続いて別れたり、それを酒の肴にして友達と過ごして――そんな青春を送っていた。


 青春は、そこまで。


 大学を出て新社会人となった私――そこからが、鬱屈とした日々の始まりだった。

 どうやら私が就職した会社は過酷な労働環境――つまりブラック企業だったらしい。

 サービス残業は当たり前。始発前まで仕事をし、禿げた爺からの尻や無意味なボディータッチに愛想笑いを浮かべて耐える日々が続く。

 初めは希望を抱いて挑んでいた仕事も、次第にこれに何の意味があるのかと疑問が止まなくなる。


 朝早く出社して、夜遅くまでパソコンの前に張り付いて、クソ上司からセクハラを受けて――たまの休みの日は寝るだけの惰性な日々。


 キラキラと輝く学生たちと、楽しそうに同僚と話す自分と然程年齢の変わらないOLを見て虚しさと羨望が胸に渦巻いた。

 要するに私は、こうなるまで夢しか見てこなかったのだ。

 それなりに『優秀』だった私は親からも教師からも怒られることなく成長し、いつからか自分は〝優秀〟なんだと己惚れていた。本当は『平凡』で、現実を見てこなかったお子ちゃまなんだと――そう、心が摩耗し果ててようやく気付く。

 気づき、それでも現実は変わらず残酷で、あと何年、何十年こうして残酷な日々に耐えなければならないのだろうと考えて、私は気が付けば死を選んでいた。

 私は生まれて初めて――否、命は一つしかないのだから初めてで当然か――自殺を決めた。

 もう心が疲れ果てているせいか『死』を選ぶことにさほど躊躇というものはなく、遺書の代わりに会社から受けたセクハラとパワハラをノートに書き残した。

 最後に『お父さん。お母さん。ごめんなさい』と書いた時、私は唇を強くかんだ。どうしてか涙は出ず、悔しさだけが死んだ胸に残る。


 さぁ、死のう。


 心は死んでいるせいか、『死』を目前にしても酷く――それこそ不気味なほどに静かだった。あまりに落ち着いていて、自分でも思わず笑ってしまった。

 そういえば笑うのもいつぶりだろうか。『死』を前にして笑うとは、どうやら自分は相当心が病んでしまったようだ。

 救いの手は差し伸べられなかったまま、私は世界に絶望して死ぬ。

 否。世界ではなく、『人』に絶望して死んでいく。


 ――もし、生まれ変われるとしたら、今度は『人』ではなく別の何かとして生まれ変わりたい。


 テーブルに乗り、ロープに首を掛けながら私はそう思う。


 もう『人』になるのは懲り懲りだ。『人』として生きるから人に関わらなければいけず、人に『見下され』人に『利用され』人に『絶望され』人に『蹂躙され』人に『壊され』人に『殺される』

 人に踊らされるのは、もう嫌だ。


 ――――。


 次々と蘇ってくる覚えのない記憶は、その全てに人が絶望して死んでいく『私』がいた、

 死を直前にして走馬灯のように蘇る覚えのない記憶に触れて――そして『私』は辿りつく。


「――ははっ」


『私』は、何度も一つの人格として世界を歩き渡っているのだと。


 全ての記憶は生まれ変わる度に蓋をされ、蓋された記憶は『死』を引き金にして開かれる。


 一度目の『冷たい冬の日の死』が。

 二度目の『愛する者を奪われた死』が。

 三度目の『希望を絶望に塗り替えられた死』が。

 四度目の『心を壊された死』が。


 どうりで、死ぬことに抵抗がないわけだ。私は一度しかない死を、姿形を変えて何度も体験しているのだから。

 その度に心は壊され、希望は絶望に染まり、夢は現実に塗りつぶされる。


 全ては『人』として生まれてしまったから。

 恨むなら、『人』として生まれた自分を恨め。

 次はせめて、『人』ではなく違う何かに。


 そうすればもう、『私』の長い悲惨な旅は終わるだろうから。


 死を直前にそんな淡い希望を抱きながら、『私』は死に向かう。

 段々と、意識が薄れていく。

 徐々に遠のいていく意識の最中。暗闇に誘われる私に――一筋の光が見えた。

 五度目の死の刹那。その光はまるで死ぬ『私』を導くように、語り掛けた。


『――その願い叶えてあげる!』


 どこからともなく聞こえる声。それに、『私』は笑みを浮かべながら死んだ。

 

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