第2話 『 私は転生者 / 二度目の世界 』
――二度目の人生も悲惨だった。
私は孤児院で育てられていた。育てられていた、という表現は些か生温いか。その実態は名前すらない子どもたちを金の儲けの道具にして、ギャングやマフィアに売ってさらに道具として消耗させるという、腐れ切った裏社会の人身売買施設だった。
名前もなければ人権もないので、施設の人間からの暴行は日常茶飯事だった。中にはドラッグや怪しい薬液の実験に利用されて、下半身不随やそのまま死んでいった子どもたちもいた。
血を見るなんてことはもはや日常で、毎日怯えながら生きていた。
そんなある日、私は不幸中の幸い――否、幸福などは最初から存在しない世界でマフィアに買われた。いくらで買われたかは覚えてない。
マフィアのボスから『ナイン』――九番目の暗殺者だからナイン――という名を与えられ、私はマフィアで道具として生きる道を余儀なくされた。
暗殺者として生きるからには殺しに関する技術と知識が必要だと、買われたその日にボスから言われ、翌日から本格的な『暗殺者』としての技術を叩きこまれた。決して教えられた訳でも、教えてくださいと乞うた訳じゃない。それをしなければ役立たずと殺されるから、選択肢はなかっただけ。
私に暗殺の基礎を施した男は、数式や人物名、問題を一つでも間違えれば平気で女の顔を殴るようなイカれた男だった。孤児院で勉強など何一つ教えてもらっていないのだから問題の解き方なんて知らないのは当たり前なのに、どうしてこんなのもできないのかと呆れながら毎日私を殴る、蹴る、殴る。泣けば五月蠅いと腹を思いっ切り蹴られた。
家庭教師と呼ぶには最低すぎる男の教育は、私が一人前の暗殺者になるまで続いた。
****
勉強が最低限出来る頃には体術や武器の使い方も学ばされた。
戦闘訓練も勉学を教えていた男のようで、容赦なく私の腹に革靴をめり込ませてきた。
床に吐瀉物を吐く私を男は見下しながら、「続けるぞ」と無理矢理立たせて、ようやく青あざがなくなってきた顔面に新しい青あざを作った。
段々と顔に青アザが無くなった頃か、私が彼に対して尊敬の念を抱くようになったのは。
数式も人物名も間違えることなく正解するようになり、対人訓練もだいぶこなせてきた私は、弱者から強者へ成長したことに実感したのだ。
それを成し得たのは、皮肉にも暴力家教育係だった男が毎日私を見てくれたからで――。
****
私の教育係である男は、粗暴だがマフィアの中では利口で、加えて戦闘技術にも長けていた。故に他のマフィア仲間からも兄貴と慕われていた。
そんな彼がどうして買われた道具まがいの私の育成に専念していたのかというと、実は彼はとある抗争の最中に足を撃たれてしまったらしい。それ以来右足が麻痺して満足に歩くことができなくなってしまったそうだ。
仕事も満足にこなせなくなって自殺しようか悩んでいた所をボスが見かねて、丁度私の前任が死んでしまったことも相俟って私の教育係になったらしい。
その話を男から聞いた時、私は初めて彼に感謝した。
私を強くしてくれて〝ありがとう〟と。
彼に対する憤りや嫌悪感、憎悪はその時既に、敬愛に代わっていた。
そしてその日の夜に、彼は『女として最も相手に懐に近づき易い術を叩きこんでやる』と、ベッドの上で私のその術を叩き込み始めた。
なんて最低なバージンの奪い方だろうと思ったけど、初めてを奪われるのが彼でよかったとも思った。
女は男の警戒を最も搔い潜りやすい生き物だと、ベッドの上でタバコを吸いながら私に語ってくれた。
厳しい訓練の後に、激しい夜の営み。男の欲情をそそる喘ぎ方や感じているフリも、全て彼から教わった。彼が私を最も快楽に溺れさせる男だと、私は遅れて知ることになる。
三度目の冬が明けて、私はボスから始めて仕事をもらった。
いってきます、と彼に挨拶を告げて、彼に教わった全てを以て仕事に挑んだ。
豪華なドレスに身を包み、ターゲットに近づき、酒で鈍った思考に蜜のように甘い言葉でターゲットを誘惑。初めて会ってこれから殺す男に、貪るように抱かれた。ターゲットの粗末なそれでは到底彼には敵わず感じることはなかったけれど、彼から教わった〝男をより欲情させる喘ぎ方〟のおかげで不審がられることはなかった。彼が言った通り、大抵の男は自分だけが満足できればそれでいいようで、私に注意を払う余裕はないようだった。
酒と快楽を貪り続けた結果眠ってしまったターゲットを、私は裸のままナイフを握りそして心臓に突き刺した。
生まれて初めて人を殺したというのに動揺はなく、それどころか彼に成長した自分を報告できる喜びの方が勝った。
初めての仕事から月日は流れて、私も少しずつ暗殺者として板がついてきた。
ターゲットを誘惑しては体を好きなように蹂躙され、気が済んだ所を殺す日々。
その全てに処女を奪われた夜のような刺激と電撃にも似た快感はなく、なんとも歯痒かった。
たまに仕事がない日に彼を誘うけれど、『もう自分はお前の教育係じゃない』とずっと断られてしまった。
――本当は貴方とがいいのに。
――もっと貴方と一緒にいたいのに。
そう想う気持ちは、空回るばかりで。
****
――月光が差し込む空間で、私は頭から血を流しながら眼前に犬歯を剥きだしていた。
目の前で、大切な人――私の教育係だった彼が、首を吊らされながら宙に揺れている。
既に息がなく、絶命しているのは誰から見ても明白だ。
結論から言えば、彼は私を誘き出すためのエサとして使われた。
誰が情報を漏洩したかは分からない。私の内情を敵に調べ上げられただけかもしれない――そんなことはどうでもよく、私はただ目の前のターゲット、復讐すべき相手にナイフを構える。
殺すッ‼
殺気は只ならぬ程溢れている。しかし彼を殺した男は悠然と笑っていた。
当然だろう。既に私の負けは明白。目の前の男にしか意識が向いていないだけで、既に私は敵に囲まれている。
『これまでのツケを支払う時が来たんだよ。ナンバーナイン』と男は笑いながら言った。
ツケ、とはつまり、これまで数多くのターゲットを誘惑し殺してきたことを、だろうか。
だとしたらそれは間違いだ。私だって、殺したくて殺した訳じゃない。
殺すしか生きる方法がなかっただけで、本当は普通に生きたかった。
こんな血生臭い世界じゃなく、愛すべき人とただ、平穏に、生きたかった。
殺すッ!
視界には何度も、焼き付けたくもないのに焼き付いてくる彼の死体が映る。
その度に胸の奥底から怒りが際限なく湧いて来て、勝手に涙が溢れ出してくる。
私の愛した彼はもう帰らない。そしてもうじき、私も帰らぬ人になる。
その前に、せめて愛しの人の命を奪った、アイツだけは。
しかし、私は無力だった。
一歩。踏み出した瞬間。動いた殺気を感知した男たちが一斉に私に引き金を引いた。
四方八方から螺旋を描く銃弾が肉を穿ち、穿たれた肉から血飛沫が飛び出る。
膝から崩れ落ちて、手の持ったナイフがカランカランと音を立てて落ちていく。
途切れていく意識の最中で、私は何度も謝る。
貴方を愛してごめんなさい。
貴方を愛さなければ、貴方が死ぬことなんてなかった。
後悔と慟哭、絶望と懺悔が混濁する最後の思考に――とても、とても寒い冬の日を思い出す。
それは、この世界では〝体験〟していない知らない記憶。
それを思い出した時、私は自分の人生が〝二度目〟だと気付きながら死んだ。
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