第12話 薬学と治癒魔法

 ユニファと姉妹の様子を外から窓越しに覗き込んでいると、隣にいたボンのすすり泣く声が聞こえた。


「うぅッ、ふ、ぐぅうう……!」

「ボン、なぜ泣く?」

「す、すびばせっ……! ニンゲンだった妻は、薬師として街の住人たちのために身を粉にして薬を作っていました。感染病を恐れることなく、患者と向き合い、そして……。そんな妻の利他的な姿に、娘たちがどうしようもなく重なるのです……! う゛うぅっ……!」


 病魔によってその命を散らした奥方への大きすぎる愛情が、彼を狂わせたのか。

 魔力を持たないニンゲンのさがを憎み、メンタルハーブを吸って攻撃的になった心が差別を振り翳した。実の娘にも、等しく。


 大きすぎる業を背負った肉厚な肩が力なく縮こまる。


 彼の悪行を並べ立て、父上の獄炎で浄化すればそれで済むのか?

 黒竜信仰だけで正常に成り立つ国家なら、そもそもこんな非道は起こらないんじゃないのか?


 胸の内に渦巻いた疑念は、俺にある決心をさせた。


「懺悔をするのは後だ、ボン・ツグワーズ。街の長として、彼女たちの献身に報いる働きをしてみせろ」

「……! は、はい゛ぃっ!!」


 くしゃくしゃになった目尻からさらに大粒の涙を流し始めたものだから、やれやれと肩をすくめる。

 シグル病を発症した者たちの病床の確保に、差別志向の払拭。やることは山積みだ。


「それから……文鳥フミドリを1羽用意してくれないか?」




 * * *




 イズモとてんやわんやして緩んだ空気を引き締めるように、咳払いを一つ。

 師匠の威厳も何もあったもんじゃないわよ、全く。


「それで、シルデにできることだけど」


 ポシェットから取り出したのは、アーミヤの葉。

 アダンテに来る途中で摘んでおいた困ったさんが、こんな所で役に立つなんて。


「月光に魔力が宿っているのは知ってる?」

「えっと……」

「黒竜の御長女セレーネ様が十二神の一柱である月神ツクヨナへ捧げた月白鱗げっぱくりんから放たれているのでしょう?」


 言い淀んだ妹を姉がしっかりサポートした。

 良い姉妹ね、本当に。


「そう。アーミヤの葉自体に効能はないけど、月光を取り込む性質上、葉そのものに僅かに魔力が宿ってるの。だから時のまじないをかけるための媒介として、色々な薬に調合されるわ」


 品質維持が難しい液体薬ポーションや塗り薬には特に必須の上級薬草。

 これが魔力を持たないニンゲンと治癒魔法を繋ぐ糸口になる。


「その性質を利用すれば、ニンゲンにも治癒魔法を使うことができる」

「本当ですか!?」


 嬉しさが花開くように、キルデの美しい顔に光が差す。 

 でも、事はそう簡単には進まない。


「問題は錠剤や薬茶にして人体に害がない範囲で服用させたら、体内にほとんど魔力が残らないってこと。僅かな魔力を媒介にするなら、それこそ黒竜セレーネ様並みの魔法技術が必要よ。白癒びゃくゆの巫女シルデ、あなたにそれを習得する覚悟はある?」


 私とスークスもこの方法を普及させようと研究を重ねたけど、治癒魔法のコントロールの難しさもあって、実現には至っていない。


 スークスが言うには、治癒魔法は外科医術と似ている。

 患者の体内を流れる魔力を、悪い部位を切ったり傷口を修復したりする道具のように操る感覚らしい。

 だから患者の魔力が多ければ、術師の魔力操作が未熟でもある程度の効果は得られる。逆に少なければ術師の技量が物を言うのだとか。


 この方法には、髪の毛の中を綺麗にくり抜いてもう一本髪の毛を通すような、そんな常軌を逸した集中力と繊細さが求められる。


 セレーネ様の名を聞いて、シルデの表情は一気に強張った。

 そんな彼女を安心させるように力強く手を握ったのは、キルデだ。


「服用方法を改良して体内に残る魔力を増やすことができれば、まだ可能性はある。そうですよね、ユニファ師匠せんせい?」

「よく気づいたわね、キルデ。二人には私の研究を引き継いで、この施術方法を完成させてほしいの。どう、やってみる?」


 薬学と治癒魔法は、長らく相対的な位置付けにあった。


 効能は微量で緩やかだけど、調合次第では患者や病を問わない薬学。

 絶大な効果と即効性を誇るも、術師自体が希少で患者も限定される治癒魔法。


 薬師と治癒魔法師の軋轢なんて、並べ出したらキリがない。

 両者の根底にある志は同じはずなのに。


 でもキルデとシルデなら――。


 そんな私の期待に応えるように、姉妹は顔を見合わせて微笑んだ。


「やります。私の力を、お姉様と一緒に街の人々に届けます。種族を問わず、誰も見捨てることがない……そんな本物の奇跡を起こしてみせます!」


 キルデの薬学と、シルデの治癒魔法。

 美しい姉妹に与えられた力が別たれていたのは、きっと必然だったのね。


「なら、これは私からの餞別よ」


 窮屈な帽子を脱いで頭を振る。

 やっぱり帽子は苦手。紙袋のあの絶妙な空間が角にフィットして丁度良いのよね。


 つるりと光る金の巻角を見て呆ける姉妹に微笑んで、唇に人差し指を当てた。


 一角獣ユニコーンは、清純な乙女に弱いの。それに――。



『この角の力で救われる誰かがいるのなら、それでいい』



 そう言っていたイズモの気持ちが、今は少しだけわかるから。



「――賢くは凛々、」

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