第11話 願いの継承

 魔法使いが100人いたら、治癒魔法を扱えるのはその中の1人と言われている。

 このあたりは十二神の洗礼によるものらしいけど、シルデと違って魔力のない私には、あまり関係のない話だ。


 貴重な能力に目覚めた妹が、寡男やもおとなって塞ぎ込んでいたお父様の寵愛を受けるのはまだわかる。

 魔法が使える妹への愛着は次第に無力なニンゲンへの嫌悪に変わり、お父様は悪魔に取り憑かれたように人が変わってしまった。お母様だって、ニンゲンだったのに。

 お洋服や食事に明らかな差が出た時も。メンタルハーブ臭い悪魔から「無能な無魔ムーマはすぐ死ぬから、お前は屋敷から出るな」と理不尽に閉じ込められた時も。そんな風に諦めるしかなかった。


 でも、感染病を発症したニンゲンを下水に押し込めるのは違う。絶対に。


「お母様、どうか私に知恵と勇気をお与えください」


 外から鍵をかけられる監獄のような部屋に自室を移されてから、優秀な薬師だったお母様の遺品でもある研究資料に向かって、毎日そう祈っている。


 専門用語で埋め尽くされたそれを理解できる境地まで、私は到底及んでいない。

 教えを説いてくれる薬師も、もう街には一人としていなかった。ニンゲンを差別するお父様のやり方に愛想を尽かして出て行ってしまったから。


 私が作れるのは、幼い頃にお母様が教えてくれた痛み止めの丸薬がんやくだけ。

 甘い花蜜が練り込まれた、子ども騙しの家庭薬。

 冷遇された長女を不憫に思った執事長に手引きしてもらって、それを下水に住まう人々へ配っている。もちろんお父様には内緒で。

 こんなのは偽善に過ぎない。効能なんてほとんどないこともわかってた。



『どうか良くなりますようにって願いながら練るのよ。その思いが一番の薬材になるんだから』



 そんな母の言葉を思い出して、涙が頬を滑り落ちる。


「願うだけでは、だめでした……」


 思いがなければ良い薬は作れない。でも、思いだけでは命を助ける薬は作れない。

 丸薬を嬉しそうに受け取るマヒナも、いつかシグル病を発症してその命を散らす。


 堅実な知識が欲しい。

 彼女たちを救える技術が欲しい。

 お父様の愚行を正せる勇気が欲しい。


 ――でも、どうやって?


「……落ち込んでる場合じゃないわ。もっと勉強しないと」


 お母様の残した関連書が積み上がった監獄で、独りペンを執る。


 もう何日も眠れていない。食事の席に呼ばれなくなってからパンの欠片とミルクだけで過ごしてきたけど、あの下水の地獄を想うとそれすら喉を通らなかった。きっともう嫁の貰い手もいないくらいやつれているわね。


 そうまでして私を突き動かすものが使命感なのか、罪悪感なのか。もう自分でもよくわからなくなっていた。


 そんな時。


 ――ガチャン!


 普段は誰も近寄らない自室の扉が、勢いよく開け放たれた。

 驚いて椅子から飛び上がった私へ真っ直ぐ歩を進めるのは、キャスケットから薄紫色のたっぷりとした三つ編みを溢す可憐な少女。


 廊下から吹き抜けた風に乗って、懐かしい薬草の香りが漂う。

 これは、お母様と同じ――。


「キルデ」


 水面に落ちる澄んだ一滴のように凛とした声は、私の胸に真っ直ぐ届く。


「あなた、お母様のこころざしを継ぐ覚悟はある?」




 * * *




 部屋に閉じ込められていたキルデを連れ出してやって来たのは、邸宅の離れ。

 そこは亡くなったボンの奥さんが製薬に使っていた作業部屋だった。


「お姉様っ!」


 涙ながらに抱きついたシルデを、キルデが弱々しく受け止める。

 双子の姉妹がこうして顔を合わせたのは、半年以上前の年明けの儀が最後だとか。

 マヒナほどではないにしろ、キルデも明らかに健康を損なっていた。


 涙を浮かべる姉妹から、入り口付近で縮こまる父親へ視線を移す。


「ツグワーズ殿。テンガン領で悪事を働いた者がどうなるかご存知か?」

「法などという生温いものは存在しない。全ては竜の獄炎が浄化してくださる。欠片も残さずな」

「消し炭なのじゃ! ワン!」


 未だ小人族の使用人と喋る犬に徹する旅の仲間たちが、私の憤慨を代弁するかのように詰め寄る。ボンは余りの恐怖に震え上がり、その場に崩れ落ちた。

 テンガン様は滅多なことがない限り獄炎を吹いたりしないけど、今回の件はどうなるかわからない。イズモがどう報告するかにもよるけど。


「わ、私、街の人にもお姉様にも、何もしてあげられなくて……ッ! ごめんなさい! ごめんなさいっ……!」


 一方、すすり泣くシルデの痛々しい懺悔が私たちの鼓膜を震わせる。

 差別の旗印のように扱われ、実の姉すら自分のせいで虐げられて。

 彼女を傀儡かいらいに変えた父親の悪意とは、どこまで醜悪だったのか。


 弱者は強者の言いなり。折られた心は簡単には元に戻らない。

 自分にも覚えのある絶望に、人知れず唇を噛む。

 ……私の場合、手酷く折られたのは角だったけれど。


 そんな妹の手を、痩せこけて骨ばったキルデの手が包んだ。


「昔から何でも半分こだったでしょう? 今回のことも、あなた一人に背負わせたりしない」

「お姉様……」

「私、お母様のような薬師になりたい。あなたと一緒にたくさんの人を助けて、アダンテを元通りにするの。それが私たち家族がすべき償いよ」

「……はい!」


 妹と瓜二つな小顔に座す萌黄色もえぎいろの瞳には、強い光が宿っている。

 母親譲りの茶髪に薄っすら混ざるプラチナ、それに丸い耳。

 シルデと違って彼女の中に眠るエルフの血は薄いけど、果敢に病魔と闘ったニンゲンの母親と同じ、高潔なこころざしを秘めている。


 そこへタイミングよく、銀のトレーを持ったイズモと執事長が現れた。


「ユニファが言った通り、鮮度を保つ時のまじない付きで大量に保管されてたぞ」

「奥様が生前、製薬に備えて蓄えていらっしゃったのです。ようやく日の目を見ることができるのですね」


 そう言って作業台に並べられたのは、ツルグモの針、ロニカ露草、シュメロの実、トラジスト天然石。

 どれもシグル感染病の予防薬に必要な薬材ばかり。


 ボンの奥さんが病死したのは、私が予防薬を完成させる1年前。

 彼女もシグル感染病に立ち向かい、志半ばでその命を食い荒らされた。


「二人のお母様は、とても優秀な薬師だったのね」


 残された研究資料から察するに、予防薬の完成は間近だったはず。

 作業台を挟んで向かい合った双子の姉妹は、私の言葉に再び瞳を潤ませた。


「キルデには予防薬の調合を徹底的に叩き込んであげる。性別、年齢、体型だけでも300を超える配合式を全てそらんじられるようになってもらうから、覚悟してね」

「はい、ユニファ師匠せんせい!」

「……師匠せんせい?」

「だって、薬学は師弟の口伝で紡がれるのでしょう? ならユニファさんは私の師匠せんせいです」


 そんなつもりはなかったのだけれど。

 あまりに嬉しそうに破顔するものだから、否定の言葉が喉奥へ引っ込んでしまった。

 すると、積極的な姉に負けじとシルデが声を上げる。


「ああっ、抜け駆けなんてずるいです、お姉様! ユニファ師匠せんせい、私には何ができますか?」

 

 シルデは薬師ではなく白癒びゃくゆの巫女なので、正確には弟子ではないのだけれど……まぁ、やる気があるのは良いことだわ。


「これでアダンテも救われるな。ユニファが一緒に来てくれて、本当によかった」

「……うるさい。気が散るからボンたちを連れて出てってよ」

「えぇっ!?」


 悪の根源を華麗に成敗した黒竜の威厳はどこへやら。

 たじろぐイズモの背中をぐいぐいと押し退ける。


 そんな純粋培養の高輝度な金眼で見つめられていたら、全身穴だらけになっちゃうわよ。


 すると、私たちの様子を微笑ましそうに眺めていたシルデが言う。


「本当に仲の良いご夫婦ですね」

「「それは違うから!」」


 そう言えばそんな設定で小芝居してたんだっけ。

 妹の天然発言に二人で言い返すと「息がぴったりですよ、お二人とも」と姉がしたり顔で微笑んだ。

 この弟子たち、生意気……! 


 ままならなくなった私は「ち、違うというのは客観的に誤解であって俺の本意ではないとかそういうことではなく」とかなんとか言ってるイズモを、得意の突進で吹き飛ばしたのだった。

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