第10話 竜角が暴く罪過

「夫が三日前から下痢が続いて歩くこともできないのです! どうか白癒びゃくゆの巫女様に救っていただけませんか!?」

「あー、腹が痛い、死にそうだー」


 お腹を抱えながら入り口の絨毯の上でじたばたする大根役者の爪先をこっそり捻り上げる。

「いだだだだだっ!」と演技に磨きがかかった。しっかりしてよ、もう!


 ボンの邸宅を訪れた私とイズモの作戦はこうだ。

 アダンテが崇め奉る白癒びゃくゆの巫女に体調不良を装って近づき、直接話を聞く。

 軍師も形無しの正面突破ね。


 そのためにはイズモの正体がバレると都合が悪い。

 私たちは綺麗に取り繕われた白い街並みではなく、その下に隠された罪過を暴きたいのだから。


 だから私は紙袋を脱いで、適当に購入したグレージュの鍔付き帽を被った。

 これで黒竜と紙袋姫のイメージは払拭できたはず。

 そもそも、正体を隠すために被っている紙袋を脱がないと身バレするって、どういう状況よ。


 服飾店の店主から聞いた話では、白癒びゃくゆの巫女シルデはとても気難しく、気に入った患者しか治療をしないのだそう。門前払いされた患者は数知れない。しかも時には報酬以上の金品の要求までされるとか。

 その素行が噂となり、住民たちの間にニンゲンたちへの差別思考が広まった、と。


 その真相を探るべく、こうして足を踏み入れたはいいものの……。


「ご主人様! ああ、どうか死なないでください!」

「貴方様からの寵愛に我らはまだ奉公しきれていないのですぞ!」

「ワンワン、なのじゃ!」


 人形に頭を被せて布を纏わせただけの使用人小人族設定のキンギンが、自在に動く飾り毛を使って仰々しい演技をする。

 オキサキには金剛石ダイヤモンドを隠すために犬の被り物を着せたんだけど……やっぱり外で待機してもらった方がよかったかしら。


 へんてこりんな旅商人(自称)を前に、ボン邸宅の老執事は対応に困っていた。


「突然来られましても、シルデ様の奇跡の術は旦那様の許可がないと……」

「まぁ! では私の夫は道端で野垂れ死ねと!?」

「そ、そういうわけでは……」

「何事だ、騒々しい」


 しどろもどろな執事の背後から声が響く。

 両階段の上を見ると、栄養たっぷりなお腹を揺らす壮年男性の人影が。


 彼が一歩踏み出すごとに、帽子に隠れた一角が激しく痛む。

 酷い邪気だった。街の不浄を全て取り込んだような悪意の塊を前に、身体の末端が震え上がる。


 彼は喫煙パイプを咥えて、私たちを卑下するように見下した。


「ボン様、これは……!」

「見るからに無魔ムーマの余所者ではないか。汚らしい行商人など追い払え! 貴様らのような下等種族など、次はアダンテの門すら通らせんからな!」


 街の代表ボン・ツグワーズは、唾でも吐きそうな勢いでそう捲し立てる。

 後ろへ撫でつけられたプラチナブロンドの髪と、僅かに尖がった耳。エルフの血でも流れているのかしら。


 真っ赤な顔で怒鳴り散らす彼のパイプから漂う青臭い香りはメンタルハーブね。幻覚作用のある規制薬草を、こんな大量に吸って……。


 すると、それまで絨毯の上に転げる演技をしていたイズモがむくりと起き上がった。

 ちょっと、病人の設定が!


「魔力のない者は街にすら入れず、治療を受ける権利もないと?」

「当然! 美しい白亜のアダンテに汚物など不要! 弱者の中の弱者である貴様らのようなニンゲンなど特にな!」

「そうか」


 イズモはターバンの結び目を解いて、はらりと床へ落した。

 豪奢な吊り照明の下で露になった金の竜角を見て、でっぷりとした下あごに冷や汗が伝う。


「そっ、その角と黒髪は……!」

「どうやら俺にはアダンテに踏み入る資格がないようだ。帰ろう、ユニファ」


 竜の金眼が静かな怒りに燃えている。

 私に苛立ちをぶつけないでよ、寒気がするから。


「お、お待ちを! タンザ様の御兄弟とは露知らず、とんだご無礼を……!」


 足をもたつかせながら階段を降りてきたボンが、慌てて両膝を絨毯につく。

 絶対的強者である黒竜を前に、邪悪な気配は霧散していた。

 この態度の変わり様。イズモじゃなくても嫌になるわ。


「黒竜の御一族が無魔ムーマなど、ありえません! 私の目が節穴なばかりに……おい、何をぼうっとしている! シルデを呼んで来い! 黒竜様の治療だぞ、急げ!」

「は、はい!」


 老執事は青い顔で邸宅の奥へと走った。

 イズモが怒っているのは魔力がないと馬鹿にされたからではないのだけれど。

 それすら理解していない彼に、街をまとめる資格はないのかもしれない。


 態度が急変したボンに誘われた応接間でシルデを待つ間、イズモにこっそり耳打ちする。


「ねぇ、正体をバラしてよかったの? あなたの家にも話が伝わっちゃうんじゃ……」

「俺が極東に来ているのはトルジカから噂が広まった時点で筒抜けだ。それに、この角の力で救われる誰かがいるのなら、それでいい」

「角の力で救われる、誰か……」


 その時、応接間の扉が開かれた。


 ボンと一緒に現れたのは、彼と同じプラチナブロンドの髪を編み込んだ美しい少女だった。

 スレンダーな詰襟のロングドレスには腰まで深いスリットが入っていて、そこからボリュームのあるズボンが可憐に零れる。

 この地域特有の純白の民族衣装に包まれた彼女は父親に促されるがまま、ラタンソファに腰かけるイズモの傍に立った。


「娘のシルデでございます。曾祖母がエルフの血縁でして、治癒魔法の才を授かりました。さぁシルデ、黒竜様の具合を見て差し上げなさい」

「は、はい……」


 気弱そうなシルデは顔面蒼白なままイズモの胸に両手をかざす。

 彼女からは父親のような邪悪な気配は感じられなかった。店主が語っていた噂とは正反対で、むしろ怯えているようにも見える。


 業突く張りな父親に担ぎ上げられた傀儡かいらいの巫女、か。

 シルデもある意味、被害者なのかもしれない。


 細い指先から現れたのは光のつる

 イズモの胸や腹部へ巻き付くように伝っていく。


 治癒魔法は体内を流れる魔力に干渉して、傷の修復や抗体の活性化を促す術。薬と違って即効性があり、医療では手に負えない重傷者でも助けられるのが強み。


 一方で『体内に魔力を有している』という前提が必須の、対象者を選ぶ魔法でもある。


「……?」

「シルデ、何をもたもたしている。黒竜様の具合はどうなのだ!?」

「それが、あの……」

「シルデ嬢、もういい」


 イズモは美しい刺繍が施されたソファから立ち上がり、脂汗を滲ませたボンを冷たく見下ろした。


「ニンゲンを母に持つ俺は、生まれつき魔力がないんだ。だから治癒魔法は効かない」

「何ですと……!?」

「魔力のない者は汚物と言ったか? なら俺は間違いなくこの街の汚物だ。下水に押し込まれ、病気の治療もできず、ただ野垂れ死ぬだけの」


 その言葉に、ボンは身体の末端を震え上がらせる。

 全ての悪事を見透かされていると察して、その場に力なく膝を着いた。


 そんな寒々しい父親の元へ美しいシルデが駆け寄り、そっと肩を抱く。


「お父様と仲違いして、街の薬師たちは全員去っていきました。その後にシグル感染病が広まって……でも、私の力では彼らを救えません。どうしたらいいのか、私たちにももうわからないのです……!」


 自業自得としか言いようのない地獄。無力な彼女が憐れにも思える。

 でも、実際に苦しんでいるのはこの二人じゃない。


「あるわよ、あなたにもできることが」


 私の言葉に、涙を浮かべたシルデとボンが顔を上げた。


 彼女が本当に白癒びゃくゆの巫女を名乗る気概を持っているなら。そしてこの場に呼ばれなかったに、その意思があるのなら。


 まだ、救える命はある。

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