第13話 一角乙女は純情黒竜の隣で眠る

 その日の夜。

 正気を取り戻したボンの計らいで、俺たちは邸宅に泊まることになった。

 熱心な弟子たちに付き合うユニファは、日越えしても戻って来ない。

 シデ村にも急がないといけないし、時間は限られている。彼女の教鞭にも熱が入っているのかもしれない。


 キンギンとオキサキが寝台に転がっていびきをかいている横で、文鳥フミドリに託す手紙を書きながらユニファの帰りを待つ。

 手紙の宛先は、父上からテンガン領の舵取りに関する全権を譲渡されている長兄カーネリアン。


「……これを読んだら、兄上は何とおっしゃるだろう」


 兄姉の中で唯一の純潔竜。

 テンガン領の建国にも立ち会った黒竜の正当な後継者は、ニンゲンとの合子あいのこである俺を認めてくれるのか。兄弟としてではない。、だ。


 不安はあったが、勇気を与えてくれたのはユニファの存在だ。


 彼女が安心して紙袋を脱ぎ、角を出して歩ける。テンガン領ここをそんな国にしたい。

 多種多様な種族が寄せ集まったテンガン領だからこそ、黒竜の威光に頼らずともお互いを尊重し、自分らしく生きられる希望を見出せるようにならなくては。

 終戦宣言の地に築かれた、あの『ダイバーシティ』のように――。


 そんな決意を密かに募らせていると、客間の扉が開く音がした。


「イズモ、まだ起きてたんだ」


 疲れ切った様子のユニファが寝台へ歩を進める。

 覚束おぼつかない足取りのまま倒れ込むように寝転がった彼女が心配になって近づくと、ある違和感を覚えた。


「ユニファ、その角……」


 治りかけていた一角が、再び根元からごっそり折れていた。

 言葉を失う俺に、紺碧の瞳を伏せたままユニファが答える。


「一角を浸した水でアーミヤの薬茶を沸かすと、体内に残る魔力量が多くなるの。それに気づいたスークスが研究を打ち切っちゃったんだけどね」


 いつもより多い言葉数が、却って彼女の疲労感を物語る。

 必要な情報を淡々と組み立てる聡明さは抜け落ち、駆け足で言葉を紡いだ。


「だけど、シルデが治癒魔法をかけてくれたからだいぶ楽よ。おかげでこんな時間まで授業しちゃった。熱心すぎる弟子も困り物ね。でもこの調子ならきっと――」

「俺は、君を犠牲にするために一緒に来てほしいと言ったんじゃない!」

「……イズモ?」


 重たいまぶたが開き、急に声を荒上げた俺を不思議そうに見上げる。

 痛みで発熱した目元は赤く蕩け、なぜ俺が憤っているのかも理解できていない。


 ユニファは聡明で優秀な薬師だが、どうしようもないほど愚かだ。


「だって、マヒナたちを救うにはこれしか……」

「そう言って、また誰かのために角を折るのか!? 一角で全ての疫病を祓えるなんて驕った考えはやめてくれ!」

「な、何でそんなこと言うの……? これからキルデとシルデは本物の巫女になって、たくさんの命が救われるのよ? だから、私っ……」

「君の角を捧げなければ救われないような世界なら、どれだけの命が助かろうとそこは地獄だ!」


 錯乱するユニファの肩を寝具に押し付ける。

 ビリビリと肌を叩く威圧が抑えられない。こんなに感情が波を立たのは、生まれて初めてだ。


 すると、容易く手折られそうなほど細い喉がひくりと上下した。


「も、もう、勝手にこんなことしない……だから……ごめんなさい、お、怒らないでっ……!」


 折れた角を手で隠し、小さな体が震え出す。

 普段は気丈な彼女の振る舞いからは考えられないほど弱りきった姿に、怒りはどこかへ消え去ってしまった。


 竜の覇気に当てられて怯んでしまったのか、それとも過去の凄惨な出来事を思い出してしまったのか。どちらにせよ俺の失態だ。

 一角獣ユニコーンは邪心だけでなく、怒りや悲しみのような負の感情にも敏感な生き物であると、失念してしまった。


「ごめん……ユニファ、ごめんな」

「イズモ……もう、怒ってない……?」

「最初から怒ってない。悲しいんだよ、俺は」


 涙を限界まで溜めた大きな瞳に見上げられ、胸が張り裂けそうになる。

 折れた断面を庇う手をそっとどかして、ありったけの慈しみを込めて撫でた。

 もう二度と、こんな痛みを背負わせてなるものか。


 拒まれるかと思って恐る恐る撫でていると、ユニファは安心しきったような顔で瞳を蕩けさせる。しかも自分から頭をすり寄せて……。


「やっぱり、イズモの傍って安心する」


 甘えた声でそんなことを言うものだから。

 真夜中に咆哮を轟かせなかった俺を、誰か褒めてくれ。


「ゆ、ユニファ、俺はどうすればっ……」

「抱き枕」

「へ?」

「抱き枕になって」


 小さな寝台の奥に詰めたユニファが、空いているわずかなスペースを叩いて俺を呼ぶ。

 し、死ねと?


「……嫌なら、別にいいけど」


 拗ねたように頬を染めた美しいかんばせがフイッとそっぽを向く。

 はわ、はわわっ……!


「イヤジャナイデス」

「何で敬語?」

「シツレイシマス」


 この一角乙女、初物が好きなクセに初物について何もわかっちゃいない。


 一人用の寝台が二人分の体重を受けてギシッと余計な音を立てた。

 やめろ、変な雰囲気作りをするな! 俺はただのメンタルセラピー抱き枕なんだっ!


 煩悩を振り切るように、ユニファに背を向けて横になった。


「変なイズモ。……でも、ありがとう」


 背中にぴとりと添えられた額と指先の体温を過敏に感じる。

 ああ、今夜はこのまま眠れそうにない。


 そんなことを思ってふと視線を上げると、向かいの寝台からこちらを見て「ニチャァ」と粘土の高い笑みを浮かべるキンギンとがっつり目が合った。ああもうっ、シーツで目隠ししてやればよかった!

 オキサキに至っては瞳を三日月のように細めて『が・ん・ば・れ・♡』と口の動きだけで伝えてくる始末。


 未経験者には高難易度な耐久戦、その始まりの鐘が頭の中に鳴り響く。もちろんユニファの知るところではない。




 * * *




『ユニファちゃん。私ね、今日で5なんだ』


 生気が失せた顔でそう言った彼女は、屈強な双頭の番犬オルトロスに引きずられるように連れ出され、そのまま二度と帰って来なかった。


 研究所ここでは捕えた一角獣の角薬材が毎日のように行われている。

 角を壁に突き刺して動きを封じ、石斧で叩き折られるの。


 私は一本目の時の痛みが忘れられなくて、毎晩震えていた。

 角なんてもう生えてこないで。痛いのはもう嫌。


 だけど、研究を牽引する魔女の薬はとても優秀で。痛みもすぐに引いて、角の再生も抜群に早い。

 一角獣ユニコーンが命を糧に作り出す5本の限界なんて、すぐに訪れた。


 彼女が5本目の角を失って絶命した次の日。

 今度は私が双頭の番犬オルトロスに引きずられる番だった。


『やだ、やめて、おねがい、やだぁっ……!』


 敏感な角を無遠慮に掴まれて、顔を強引に上げさせられる。

 酷い臭いがする獣の舌が、涙で濡れた頬を興奮気味に舐めた。


『そそるねぇ、一角ちゃん。戦争なんて我関せずって顔で草原を駆けてたお前らの泣き叫ぶ表情、最高に興奮するぜぇ』

『おい、さっさと済ませるぞ』

『あいよ、兄弟』


 もう一つの首に急かされた犬の魔物が、私の髪を掴んで頭を壁に叩きつけた。

 何十、何百という角が突き刺された鋼鉄の壁。ぴくりとも身動きが取れなくなり、同胞たちの血痕が残る地面に向かって涙の雨が降る。


『ぁ……やめ、て……おねが、』

『うるせぇ、薬材は黙ってろ』



 角の根元に石斧が叩きつけられた衝撃で、私の意識は遠くへ飛んだ。





 2本は研究所で奪われ、1本は黒竜イズモを助けるため、そしてもう1本は薬学キルデ治癒魔法シルデが手を取り合うために捧げた。


 私に残された角はあと1本。だけど、後悔はしていない。

 ……イズモに心配をかけてしまったのは、少し反省してるけど。


 朝の微睡まどろみの中で、彼の大きな背中を見つめる。

 実直すぎるイズモは、一晩微動だにせず抱き枕に徹しくれた。

 少しでも邪念が湧いたらすぐわかるのに、その欠片も感じなかった。


 下水に押し込められるニンゲンたち。

 振り撒かれた差別。

 悲しい姉妹。

 そんな惨状に感化されて弱った心が、彼の傍にいるだけで穏やかになっていく。


 一角獣私たちは清らかなものが好き。

 澄んだ泉とか、朝露に濡れる新芽とか、処女の膝の上とか。


 その中でも、イズモは特別。






 そしてアダンテを訪れて5日目の朝。

 ついに、キルデが予防薬の調合に成功した。

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