第2話

 夜は蒸していたこともあって、この北の田舎町でも布団で寝るには苦しいくらいの暑さだった。


 いろいろなことにまだ頭が追い付いていない気がして、私は庭の玄関側、車を停めてある砂利のあたりで星を眺めていた。周りに民家も店もないから星の瞬きがよく見える。星座のことはよく分からないけれど、夏の大三角とオリオン座だけは分かる。


 見たくないときは見なくて済むから夜空はいいなと思った。


 背後で砂利を踏む音がする。


「風連」


「お、すずな」


 彼女は私の隣に来て同じように夜空を見上げる。


「さすが、私たちの故郷だね」


「うん、そうだね」


 中学生のころ、理科の宿題で星座の観察を二人でやったことを思い出す。あのときは星空がニキビみたいだねって言ったら箸が転がるように笑っていたっけ。


「さっき、お寿司ごちそうさま。父にお礼持ってけってお酒くれたからあげる」


「いやぁ、いいのに。お父さんにお礼言っといて。母さんもう寝てるから明日伝えとくよ、ありがとう」


「ううん」


 暗闇でよく分からなかったけれど彼女は眼鏡をかけているようだった。


「夜はコンタクト外すんだっけ」


「うん。こっちのほうがリラックスできるしね」


「そうなんだ。眼鏡したことないからよく分かんないなぁ。そういうこと」


 私は薄い袋が被った一升瓶の首を掴んで彼女のお土産を受け取る。


「おじいちゃん―父とキキョウは今夜一緒にゲームして遊んでるからさ、もし風連が迷惑じゃなかったら一緒にちょっと呑まない?」


「ううん。私もすずなと久しぶりに呑みたかったんだ」


 私はすずなを家に上げると奥の部屋へ座らせ、自分は流しからグラスとおつまみを取って持ってきた。中学の時に読んでいた本や漫画が本棚にはあった。そのいくつかは彼女に貸したことがあった。


「なんだかまた学生に戻ったみたい。風連の部屋に上がるなんて」


 昼間とは違い、口紅を落とし、縁の薄い眼鏡をかけてトレーナーを着ている彼女が言うと本当にそんな気分だ。


「夜にこっそり部屋に上げて、あまつさえ酒まで呑もうとする悪い娘だ」


「私たち、共犯者みたいだね」すずなはまゆを愉快そうに曲げて目を細めた。


 二人分のグラスにお酒を半分ずつ分けて乾杯、と小さな声でグラスを軽く当てるのも、いかにも中学生の子供がやりそうなことで少し滑稽だった。


 辛口の冷たい酒はもったりとのど元を過ぎてゆく。


 まるで家鳴りのようなひそひそ声で日中には語りきれなかった思い出を持ち寄り、また杯を傾ける。封を切ったおつまみはいくつもあったけれど、そちらはペースが遅いのでどれも食べきれないだろう。


 うれしかったこと、悲しかったこと、つらかったこと、驚いたこと。二人で人生の半分を過ごした故郷の昔話は尽きなかった。その大半がすずなと結びついていたから尽きようがなかったのだ。


「私たち、高校から先は別々の進路だったけど、こうしてときどきよく遊んでたよね」


「考えてみたら不思議なものだよね。人数が少なかったとはいえ、学校の同級生で今もやり取りしてるのすずなだけだし」


「えぇ?地元戻って来たのに?」彼女はうつらうつらしながら杯をテーブルに置く。


「正直、同級生でつるんでたのきみくらいですよ」


「ふうん」彼女は理由は分からないけれどなにかに納得したようだった。「まあ、私も今の連絡先知ってるのあなただけですけどね」


「へへっ」


「ふふふ」


 すずなは笑って見せた。まぶたが重そうで先ほどまで赤みの差していたほおが白い。


「ちょっと待ってて」


「あぁん、独りにしないでよぉ」


「すぐ戻るから」


 私は流しに行って二人分のグラスに水を注いだ。茶の間の時計は1時半過ぎを指していた。


 部屋に戻ると彼女がテーブルの前で正座をしていた。


「も、もうびっくりさせないでよ。寿命縮んじゃう」


 反応がない。


「すずな」


 どうやら彼女は座ったまま眠ってしまったようだ。私は彼女に向かい合って座ると、水のグラスを傾けた。


 すずなは地肌がもともと白に近いから、顔から血の気が引くと紙のように白くなる性質だった。少し可哀そうな状態なのに、それでも私はこのまますずなをずっと眺めていたかった。


 いつでも一番近くにいて、それでいて手の中に留めておくことは叶わなかったものを。


「すずな、風邪ひくよ」私はまた立ち上がると押し入れから毛布を取り出して、横たえた彼女の背中に掛けてあげた。


「今日は会えてほんとうれしかった」


 本当は2年前に別れた後だってずっと心の奥底に彼女はいたのだ。


「すずな。きみはまだ運動に関わっているの?」


 彼女が起きてる間中ずっと聞きたかったこと、あと少しだけ聞く勇気がなかったことをようやく私は尋ねた。


「もう、すっかり寝ちゃったか」


 規則正しい吐息は畳に手をつく動作にさえかき消されてしまいそうだった。


 横たえたすずなに向かい合って私も横たわる。私の首元は彼女のおでこあたりにあった。彼女のうなじに手を回すと髪から向日葵の花の匂いがした。


 電気を消そうか迷ったけれど、腕を上げるのさえ次第に億劫になってきて、私も浅い眠りに落ちていった。



 私は夢を見た。


 夢の中で私とすずなは今よりも一回り若くなっていて、私が行くことのなかった大学へ二人で行くのだ。菩提樹の並木を抜けて大きな古い建物へ入って、授業を受けたり、図書館ですずなに書架を案内してもらったり。


 彼女に手を引かれて地下の部屋へ行くと、机や椅子が何重にも積まれていた。周りには数十人の学生もいて、私たちは入ってきた扉に机を積んでいく。どうしてこんなことするの?とすずなに聞くと、これから分かるよ、と返されて曖昧にうなずく。


 やがてサイレンが鳴り、部屋の中が喧騒の渦に巻き込まれてゆく。机と椅子で覆ったはずの鉄の扉が激しく打ち鳴らされて地震のように床が小刻みに震える。間髪を入れず怒号が響き、やがて最後の一撃で脆くも机が崩れ去る。蜂の巣を突いたようになった部屋の中に制服を着た男達が入り、次々と周りの学生たちを捕まえて連れ去ってゆく。


 すずなが連れ去られる。


 私は一生懸命人の渦を抜けようとするけれど、あと少しのところで彼女の手を放してしまう。


 どうしてここにいるんだ?


 気がつくと私は両肩を二人の兄に掴まれていた。二人とも『作戦』の最中に行方不明になったはずだった。


 ここはお前のいるはずの場所ではない。


 お前はこっちに来るんだ。


 すずなが連れて行かれた方とは反対側に連れて行かれる。どんなに叫んでもすずなの名を呼ぶ声は人の流れに飲み込まれてしまう。


 兄たちが私を大学の裏まで連れて行ったときもう日が暮れていた。兄たちが私を地面に下ろしたとき、建物から鋭く白い光が瞬く。凄まじい音とともに地面が大きく揺れる。私が伏せて頭を守っていた体勢からこわごわ起き上がると、年が上の方の兄は肩から先が無くなって血が破裂した水道管のように吹き出し、年が近いほうの兄は無数のガラス片が刺さって顔が赤黒く変色していた。二人とも立っているのがやっとの様子だ。


 お前は何故助かった。


 雅美、お前はここで死んでも不思議ではなかった。


 私は

「風連!」


 おぼろげだったものが次第に輪郭を伴ってゆく。


 すぐ目の前ですずなが私の名前を呼んでいる。


「すずな」


「風連。大丈夫?」すずなが私の頭を抱きしめる。「なして泣いてんの?えぇ?」


 彼女は子供でもあやすように背中を撫でる。私は乱れる呼吸をすずなの胸の中で整えようとするけれど叶わない。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」


 彼女はてのひらで私のほおを撫でると背中にそっとてのひらを回した。


 私が兵役に就く前、すずなが講師をしている大学で立てこもり事件が起きた。彼女を含む立てこもりに加わった教職員が何人も検挙された。しばらくしてからほとんどが釈放されたけれど、首謀者の何人かが自殺をしたり、交通事故で亡くなったと聞いた。野党の政治家や政府に批判的なジャーナリストがしばしば行方不明なることは珍しくない。この国で誰が本当のことなど分かるだろうか。


 ハスのように小さな穴がいくつも空いたアクリルの向こうで抜け殻のようになってしまったすずながどうしてそこまでしたのか、正直言って分からなかった。すずなには日が当たって心地よい風が吹く場所で野の花のように咲いていて欲しかった、それだけだったのに。


「落ち着いた?」


「すずな」


「ん?」


「また、会えなくなるんでしょ」


 眼鏡の奥で小さな光がちらつきを見せる。このとき私は分かってしまった。すずながもう戻れない橋を渡ってしまったことを。


 すずなの手が離れる。


 テーブルに置いてある蓋の無い一升瓶の首を掴むと、すずなは一気に傾けて中身を口に含む。


 呆気に取られていると、彼女は私の手を引いて仰向けに寝かせ、口を押し付ける。くちびるが密着して、隙間から人肌の温もりが注がれてゆく。


 彼女の口が「え」の形を作ると一度離れたくちびるが再び迫ってきて私の呼吸に覆い被さる。


 くちびるの間から温かいみずちが私の口を犯し、脳の裏側に仄暗い熱の尾を残してゆく。


 彼女は勝ち誇ったようにまゆをくしゃくしゃにすると微笑んだ。


「やめてよ!どうしていつもそうやって茶化すの?私の事。ふざけないでよ」


「でも、これが欲しいんでしょ」


「違う」


「違わない」


 肩と足先が急に熱くなってくるのが分かる。


「目がとても綺麗。まるで隼のよう。でもね」すずなは私のおなかにまたがりながら言った。「もう空を飛ぶ必要はないの」


 目の据わったすずなは私の耳を摘むと続けた。


「可哀想に。もう、なにもしなくていいんだよ。まさみ」


 こんなはずじゃなかったでしょ?


 


 部屋の消灯とともに無造作な衣擦れがせっかちに床へ放り出されてゆく。すぐ目の前、濃い霧のような闇の中で黒い微熱が溶けやらない。それはにじり寄ってきて私のうなじを抱えるとゆっくりとキスをする。水音を立てながら互いの柔らかい部分をくっつけては離れてを繰り返した。私たちはまるで一対のくちびるを閉じるように睦合った。


 私は胸が締めつけられるようだった。ずっと飢えていたのに突然ごちそうが用意されて今度はたらふく食べろと言われるのにそれは似ていた。


 強く握ったら壊れてしまいそうな指の柔らかさをシャツ越しに感じる。すずなの指とてのひらが形を確かめるように弄ばれ、頭をその間に埋められる。花の蜜のような甘い匂いを持つ衝動と悲哀に似た安らぎが煙のように私の中で満ちてゆく。一糸まとわないすずなの滑らかな動きが私の中の抵抗力を奪ってゆく。まるで人を殺さない麻薬のように。


 シャツをまくられて少しだけ涼しくなった谷間が凝視されている。


「すずな。もういいよ、来て」と私が言うと彼女は押し黙って肌を食む。


 胸の中で無数の羽虫が飛び回って身体の外へ出られないような居心地の悪さを感じる。ふいにすずなが乳房の先を舌で転がす。思わず喉の奥から吐息とともに声が漏れでてしまう。それを耳にするとさらに胸の中で羽虫が激しく飛び交う。出口の見えない疼きがなにかを思う力さえ失わせてゆく。


「ん、苦しっ」


 おなかにまたがるすずなのふとももの内側を撫であげると彼女は一瞬息を止めた。


 私は甘ったるい苛立ちをすずなに少しだけ分けあたえたくてたまらなかった。わざと当たるか当たらないかくらいの加減で執拗に指でふとももをなぞり続ける。


「いやっ」


 のどに掛かる彼女の声を私の手で転がし続けた。


「っん」


 闇の中で目の中のほんの小さな光が動くと、すずなは手を私のおなかから下の方へやる。下着の中に滑らせた指がとんとんと叩くたびに身体をひくつかせてしまう。くちびるのように閉じられていた足と足の間の柔らかいところはすでに滴っていた。すずなの柔らかい指のはらで時間をかけて優しく撫ぜられたりこねられたりした。


「もっと、ちょうだい。すずな」


 一番感じるところを撫ぜてくれない指がじれったくて、私はすずなが無防備にさらしている身体の底をきゅっとつまんだ。


「あっんん」


 行き場を失った悦楽が声となって口から吐きだされた。彼女は指を止めて腰をくねらせる。つまんだ彼女の小さな突起は、花がほころぶ寸前の蕾のように膨らんで雨降りのように湿っている。


「すずなはやっぱりここ好きだったよね」


 近づいても見えないほどの闇の中で、すずなが少し悔しそうに眉を歪めたのがなぜか分かった。私は気がつかないふりをして甘皮の上から指で蕾を優しく押しつぶしたり転がしたりした。その度に彼女は浅い吐息と甘えるような声を私の胸にぶつけた。


 小刻みに震えるすずなを私の指がこじ開けてゆく。私だけが知る彼女の秘密と一緒に。とどまるところを知らない衝動を私はすずなにぶつけ続けた。


 すずなの指が私の蕾を剥いてつうっと撫ぜたとき、ひりつく感覚が悦びとなって身体中を駆けめぐった。身体の弱いところが一気に熱を孕む。


「風連も結局ここじゃん」


「このメス……」私は吐息を整えながら言った。


「私に組み伏せられてるのに口は素直じゃないなぁ」と言うなりぐちゃぐちゃになった下着に手をかけた。


 そして、身体を反対にしておしりを私の頭のほうにさらけだすと、膨らんでひりひりする私の敏感なところを吸いながら舌を転がした。


「すずな、早いよ」声がうわずる。


 それでもやめないで欲しいと私は願った。


 私はすずなの口から与えられる閃光のような快楽を彼女にぶつけた。最後にしたときよりいくらか大きくなった柔らかいおしりを揉みしだく。つゆがこぼれ落ちる小さな突起を歯が立たないように気をつけながら舌で甘皮を剥いてゆく。仰け反らそうとする腰が逃げないように優しく捕まえて、彼女の口に私の気持ちいいところを押しつける。


 すずなは湿度の高いため息を吐いた。


「じんじんする」


 私はふいに口を遠ざけるとぷっくりしている彼女の核を親指のはらで撫ぜ、きゅっと力を込めたときを狙ってつゆが出てくるところに指をねじ込んだ。すずなに執拗に責められた分、彼女に中指を突き立ててしまった罪悪感よりも私と同じところまで堕とすことができた恍惚のほうがはるかに上回った。


 弱々しい啼き声が指の動きに合わせて伝ってくる。


 なかは狭かったけれど、すずなは少しずつ私の指をくわえていった。必死で殻を閉じようとする貝のようで可愛かった。それが再び罪悪感を覚えさせる。


「せまっ。大丈夫?」


「へーき。キキョウ産んだとき、少し裂けちゃったからお医者さんが余計に縫ってくれたんだよ」


 すずなはこんなときでさえ他愛のない冗談を言ったみせる。誰にでも愛想はいいけれど、自分の心を本当のところではなかなか見せない彼女らしかった。私は彼女のそんなところが嫌いで、それでもいじらしくも感じられた。


「動かすよ」


「ん。もう来ちゃいそう」


 蕾を指で押しころがすとなかがきゅっとさらに狭くなる。すずなが啼くたびに指の間からぬくい清水が少しずつ垂れてくる。


「ほら、しっかり舐めなよ」

 

「うるさい」


 指をもう一本すずなのなかへ入れてゆくと、今度はすんなりと受け入れられる。すずながのどから溢すものはため息とも泣き声ともつかない。


 すずなのくちびると私の指が織りなす闇の中の営みは縄跳びをする子供のようにもの静かな激しさに包まれていた。

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