024
妖しく心惑わす月光の静かな微笑みを受けた鈍色の塊は、同じく毛先まで輝かせた金色の彼へと向かって途方もない速度を伴って地面を駆け出した。全てが孔から顕現しており、伸びてゆく間にも我先にと続々生まれていた。生まれた一本が二又に分かれ、二又が四又に分裂し、四又が八又へと叫びながら悠然と立っている青年を呑み込まんばかりに開いた。相も変わらず金色の青年はポケットに手を入れ、腹部へ風穴開け斃れる最中の柚乃下を見下ろしながら、ワンワード呟いた。
「退け」引き裂かれた口から絶対的な意味を籠めて放たれた言葉は、彼を覆わんと広がった鉄塊を退けた。「粉微塵になれ」無数に広がった鈍色の塊が、まるで世界の法則だといわんばかりに弾け飛んだ。正しく鉄粉。青年は一歩近づき、フィードバック現象によって新たな疵を追うことになった柚乃下を見た。くすりと獅子が嗤う。「成程。
「――――くたばれ」形状変化の著しい銀色の液体が、柚乃下の失った腕に対応するように噴き出した。溢れるだけに留まらず、先端は指先のようにきちんと五指を伴って、真っすぐにグリーディへと向かった。対してグリーディは言葉を発する。またしても水飛沫をあげて弾け飛んだ銀色の液体は、大地へと零れ、柚乃下が小さく、あ、と声を出した頃には青年は続けて言った。「四方八方に爆散しろ」急激に自らの禍力が膨大に膨れ上がることを柚乃下は理解した。直後、ぱん、となんとも間抜けな音がひとつ森閑としたこの場所で響き、それだけだった。柚乃下潤を象っていた肉体の凡そが薄赤色の肉片となり、周囲五メートルに亘って飛び散った。小さく藍色の鉱石が地面へと落下する。薄赤色の液体が鉱石の表面を妖しく照らし返していた。
グリーディは視線を少し向こうで項垂れている少女へと与え、少女が音に気付いているのかは不明ではあったが、こちらに対して一切の反応を示さないことを理解した。ふむ、と彼は息を吐くと、無造作に歩を進めた。最早誰に対しての警戒心すら抱いてはいなかった。黄金の君臨者は、煌びやかな黄金を揺らしながら鉱石を拾い上げた。指先で弄び、漆黒とも表現できるスーツの胸ポケットへ仕舞い込む。
「――――この程度か、
「
赤い少女の躰が何の予備動作もなく胸のあたりから火を噴きだして後方へ斃れた。爆発は一度ではない。二度目は少女の右腕が、三度目は少女の頭が、四度目は少女の左足が、五度目は、六度目は、と計二十回ほどの爆発音を発生させながら、躰を前後左右へ何度も繰り返し衝突させていた。硬いな、と青年は胸中思案する。常人であれば、四肢を飛び散らせ、内臓が吐き出される衝撃である。土煙のなかで蹲る少女の外傷を見るに、精々掠り傷程度、あとは少しばかりの火傷程度の結果だった。更に青年は続けて言った。「
「いくら
絶対強者としての余裕だった。
人間、余裕を感じ、慢心しているときこそ失敗をする。
彼に関しても、例外なく世界は不平等にそのチャンスを与える。
胸元へ違和感があった。もっといえば、左胸の外ポケットが急激に膨らみ、確かな質量を以て、グリーディの胸を深く貫き、背後の地面へ深く突き刺さった。咄嗟のことで声が出ない。小さく浅く呼吸を続けるグリーディは、微かな力を籠めて、背後を振り返った。
「――――連中は、俺を死なせてはくれないみたいだ」
一糸纏わぬ姿の少年が立っていた。躰を銀色に妖しく照らしながら、指先に何かを掴んでいた。
――――あれは、なんだ。
グリーディは自らの肉体から切り取られた、酷く脈打つ赤黒い物体を視界に収めた。
どくん、どくん、と絶え間なく赤黒い液体がどろりと地面に滴り落ちていた。青年の視界がぐらりと傾く。世界が
――――認識を改めなければいけない。
柚乃下は想像する。
自らの肉体の形を。
自らの肉体の色を。
自らの衣類の形を。
そして、瞬く間に彼の想像通り、形が成形され、色を取り戻し、衣類が生えた。
「―――ずるいなんて言わねえよな。殺し合いに不意打ちもなんもねえもんなあ」彼は掌で弱々しく鼓動する心臓を、力いっぱいに潰した。彼の予想では、楔石は肉体の最も重要器官である心臓に宿るものだとしていた。濃く重い血液が零れ落ち、掌を開き、確認した。
「――――良い反逆だった。革命とは言えずともな」ぽつりと邪悪の煮詰めたような声音が彼の耳へ届いた。背骨の真中へ氷柱が立てられたような悪寒が、全身を駆け巡る。急激な禍力の増幅を眼前に感じた。反応ではなく、反射だった。柚乃下は右腕を槍のように変化し、距離にして二メートルもないうつ伏せに斃れているグリーディへと振り下ろした。
ひと言呟いた青年の言葉は、世界へ対して新たな命令を下す。「回復したのち、
――――できないこともあるのか……。なら、ちょうどいい。
一瞬さえあれば肉体は修復可能だった。意識さえあれば西城と同格の再生能力ともいえる力を発揮する。《
「成程成程」鈍色の骨が生成され、重い神経が骨の上を這い廻り、液体の無機物が骨と神経の間で蠢く。グリーディはシニカルに笑みを浮かべた。「
「あ? 知るかよ」半ば再生途中の彼だったが、次なる一手は先ほどまで飛び散っていた嘗ての肉片だった。《
「であれば、殺すのではない方法を遣うしかあるまい」下らん、と彼が言い放ち、無数の針は彼に接触するほんの数センチ手前で固定される。グリーディは嘆息した。もう一度彼は、下らん、と吐き捨てる。「
夜風が髪を靡く。鼻孔を擽る土の匂いに瞳を閉じ、遠く離れつつ少年を瞼の裏で思い描く。何度も矮小な躰を破壊した。楔石というものは、肉体的、精神的に向上するものではない。たったひとつぽっきりの予め決められている能力を得る、ただそれだけの便利アイテムであった。故に先ほどのような暴走状態になることも屡々報告にあった。グリーディ自身も嘗ての仲間が安易な気持ちで、資格もないのにも関わらず強欲に手中に収めた力を傲慢に遣った際に、少年のように意思疎通もできず、やがてグリーディの手によって滅せられることとなった。彼にとっては拭い難く、そして苦い思い出のひとつだった。眠気を噛み殺すために欠伸をひとつ。猛獣のような視線を周囲へ這わせた。少年が暴走した際に出来上がった地面へのダメージ、グリーディの力をまともに受けてどこかへ飛んで行ってしまった肉片、カマツミイチゴという少女の血溜まり、自らの部下の亡骸。
ふむ、と黄金の彼は煌々しい言葉を吐き捨てる。
「いつまで死んでいるつもりだ」言ったあと、彼は少年を仕留めるために歩み始めた。カマツミイチゴの血溜まりから少し離れた場所には、がくりと力をなくし仰向けに事切れていた西室の亡骸があった。一瞥も寄越すことなく彼は柚乃下が残して行った血痕を追う。ひゅ、と小さく呼吸音のようなものが後方十数メートル離れた場所から聞こえ、続けて何度も大きく咳き込む音も聞こえた。耳障りだと彼が胸中吐き捨て、行動となり舌打ちで返した。幾重も咳き込む彼女。やがて間隔が離れてゆき、そして、わあ、と大声を上げた。
「死んでました! ちゃんと! 助けてくださいグリーディさま!」
「――――煩い」
「もう何度目かわかりませんが! グリーディさま! 日本では三途の川というものがあるらしいですよ! 故郷が日本だからなのか、土地に引き寄せられたのか……しっかりと初めて三途の川を渡っていましたよう!」
矢継ぎ早に興奮している状態のまま彼女――西室さいかは言葉を発する。くたびれたスーツに身を包み、まるで手入れされていない髪の毛をそのままに立ち上がった彼女は、がくがくと生まれたての小動物を彷彿とさせる足取りのまま、血痕を見下ろすグリーディの背中へと飛び込んだ。
「――――死ね」
「はう」と言って、西室は糸が切れた人形のように、抵抗なく地面へと斃れた。暫し血痕の行方を見やった彼は、再度蘇生させるつもりの西室へ、どのように作戦を執行するか、どう説明すれば死に戻りの西室へ状況を理解させられるか。
考えただけで頭が痛くなる。
絶対王者と銘打たれている彼にも弱点はある。
深く眉間へ皺を寄せた彼は、どこかの少年のように、大きく、長く、億劫なため息を吐いた。
アア、と彼は前置きした。「
「――――申し訳ございませんでした我が主」覚醒した彼女は、素早く平伏す恰好となり、頭を下げた。対して彼は謝罪に対しての返答をしないまま言う。「
「
「――――は」短く言った彼女は、足許に落ちている絆石を拾い上げ、無言のまま踵を返して足早に向かった。
短く息を吐いたグリーディは瞼を閉じる。先ほどまで自分相手に大立ち回りを披露した少年のことを思い出していた。暴走状態からの復活、能力が効かなかった理由、恋染初姫という少女の厄介な能力、【Nu7】のなかで巨大な組織を運営しているとはいえ、楔石に関しての知識はそれほど多くはない。そして柚乃下が楔石を手に入れたときに感じた謎の焦燥感、あれがきっと争奪戦の始まりを告げるものであることを、彼はなにゆえか本能に近い感覚を元に理解していた。瞼の裏で再生される戦闘、脳内で保有している楔石に関する情報、西城もがみというイレギュラーを元にした改造人間の情報。それら全てを思い出し、情報整理するには、先刻では足りないのかもしれない。グリーディは口許を歪ませ、愉しそうに微笑んだ。
じゃり、と音がした。薄く目を開くと、確かにこの場を去った西室が指同士をこすり合わせるような挙措を披露し、ちらちらと彼を見ていた。
そのまま彼女はグリーディが目を開いたことを理解し、えへ、と愛想笑いをした。
「えっとぉ、えへへ……どこ行ったんでしたっけ……?」
「――――――」
想像を絶する阿呆さ加減だった。謎の疼痛を頭を振ることで振り払う。時間の無駄だと認識した彼は黙って、くい、と顎先で地面に残る血痕を指した。
暑いのではない理由での汗を流しながら、西室は指し示された血痕を見て、わあ、と大袈裟に声を上げた。
「さ、さっすがグリーディさま! じ、じゃあ……いって、きまあ……す」
こちらの様子を伺いながら、西室はパンを拾うように血痕を辿って行った。
彼女の後姿が完全に見えなくなるまで彼は見届け、最後に大きなため息を吐いた。
燃杭にとりを蘇生させるべきだった、と痛む頭へ手を当てながら、彼は再度思考の海へと潜ってゆくのだった。
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