024


 妖しく心惑わす月光の静かな微笑みを受けた鈍色の塊は、同じく毛先まで輝かせた金色の彼へと向かって途方もない速度を伴って地面を駆け出した。全てが孔から顕現しており、伸びてゆく間にも我先にと続々生まれていた。生まれた一本が二又に分かれ、二又が四又に分裂し、四又が八又へと叫びながら悠然と立っている青年を呑み込まんばかりに開いた。相も変わらず金色の青年はポケットに手を入れ、腹部へ風穴開け斃れる最中の柚乃下を見下ろしながら、ワンワード呟いた。

「退け」引き裂かれた口から絶対的な意味を籠めて放たれた言葉は、彼を覆わんと広がった鉄塊を退けた。「粉微塵になれ」無数に広がった鈍色の塊が、。正しく鉄粉。青年は一歩近づき、フィードバック現象によって新たな疵を追うことになった柚乃下を見た。くすりと獅子が嗤う。「成程。仔兎オマエが出した物体を破壊すると、躰のどこかしらに甚大なダメージが伴うのだな。いやはやすまないな、獅子オレは加減しているつもりなのだが。おやおや成程。気丈な目でこちらを睨むなよ愚民風情が」グリーディは更に歩を進める。「この世の中で獅子オレが唯一絶対だ。世界の法則を全うできぬ奴は人に非ず、そうは思わんか」途端。前屈みとなり睨みつけていた柚乃下の右肩から先が、水風船が割れたような音を鳴らして弾け飛んだ。激痛なんてものではなかった。咄嗟に声すら出ないほどの衝撃。蛇口が莫迦になったような勢いで鮮血が月光に照らされ、妖しい反射を生み出していた。「獅子オレ仔兎オマエのような奴には左程興味がない。だが、仔兎オマエが胸に埋めてある鉱石には用がある。なにせ元々は獅子オレが所有するハズだった代物だからな」悪いことはいわん、とグリーディは続けた。一気に血を失った柚乃下は、酷い眩暈を感じ、肩を押さえつけるどころか、空いている片方の手を軸にして、地面へ蹲った。「弱者が持ったところで、どうしようもない。その力は獅子オレに必要なものだ。この獅子オレが王道楽土を建設するために」

「――――くたばれ」形状変化の著しい銀色の液体が、柚乃下の失った腕に対応するように噴き出した。溢れるだけに留まらず、先端は指先のようにきちんと五指を伴って、真っすぐにグリーディへと向かった。対してグリーディは言葉を発する。またしても水飛沫をあげて弾け飛んだ銀色の液体は、大地へと零れ、柚乃下が小さく、あ、と声を出した頃には青年は続けて言った。「四方八方に爆散しろ」急激に自らの禍力が膨大に膨れ上がることを柚乃下は理解した。直後、ぱん、となんとも間抜けな音がひとつ森閑としたこの場所で響き、それだけだった。柚乃下潤を象っていた肉体の凡そが薄赤色の肉片となり、周囲五メートルに亘って飛び散った。小さく藍色の鉱石が地面へと落下する。薄赤色の液体が鉱石の表面を妖しく照らし返していた。

 グリーディは視線を少し向こうで項垂れている少女へと与え、少女が音に気付いているのかは不明ではあったが、こちらに対して一切の反応を示さないことを理解した。ふむ、と彼は息を吐くと、無造作に歩を進めた。最早誰に対しての警戒心すら抱いてはいなかった。黄金の君臨者は、煌びやかな黄金を揺らしながら鉱石を拾い上げた。指先で弄び、漆黒とも表現できるスーツの胸ポケットへ仕舞い込む。

「――――この程度か、獅子オレが遣うまでもない」王道楽土を築くために手にした力の《一言ワンワード》。世界に十しか存在し得ない力のひとつと聞いていたこの藍色の鉱石が、想像を絶する手ごたえのなさに微かな違和感を覚えた彼。さて、と彼は口にする。「モガミは戦闘不能にまで追い込まれ、どこぞで肉片になっていたな。カマツミイチゴはあの小僧に食べられ、残るは……仔兎オマエだけになってしまったなァ」青年は躰の向きを項垂れた格好のまま、ただただ赤い髪の毛をだらりと垂らした少女へ向ける。少女は華奢な躰をぴくりとも震わせることなく、小さく啜り泣いている。

仔兎オマエには散々働かされているからなァ。甚振る趣味はないが、少なくとも今回の労働に見合う対価を要求しなければな――――躰を爆発させろ」

 赤い少女の躰が何の予備動作もなく胸のあたりから火を噴きだして後方へ斃れた。爆発は一度ではない。二度目は少女の右腕が、三度目は少女の頭が、四度目は少女の左足が、五度目は、六度目は、と計二十回ほどの爆発音を発生させながら、躰を前後左右へ何度も繰り返し衝突させていた。硬いな、と青年は胸中思案する。常人であれば、四肢を飛び散らせ、内臓が吐き出される衝撃である。土煙のなかで蹲る少女の外傷を見るに、精々掠り傷程度、あとは少しばかりの火傷程度の結果だった。更に青年は続けて言った。「獅子オレが良いというまで爆破されていろ」土煙のなかでこちらを見上げていた少女の眼が大きく見開いた。小さな口が何かを発するために歪み、それだけだった。連続して轟音が少女の肉体を包み込んだ。上へ何度も打ち上がったと思えば、次は下へ急降下。地面に叩きつけられ、顔面が爆破しありえない角度へ躰が曲がる。休むことなく爆発音が華奢な矮躯へ次々と繰り出され、紅い髪の毛が宙に舞い、微量ながら血液も青黒い夜空に星屑のように撒き散らされた。

「いくら仔兎オマエが硬かろうが、千度も肉体を爆発させてやれば死ぬだろう。好都合だ、《思想訫惢カジュアルスーツ》のみならず、仔兎オマエの持つ《オーバースペック》すらも持ち帰るとしよう」青年は決して下品には嗤わない。取り繕い、ながらも口許を真横へ引き裂いた。

 絶対強者としての余裕だった。

 人間、余裕を感じ、慢心しているときこそ失敗をする。

 彼に関しても、例外なく世界は不平等にそのチャンスを与える。

 胸元へ違和感があった。もっといえば、左胸の外ポケットが急激に膨らみ、確かな質量を以て、グリーディの胸を深く貫き、背後の地面へ深く突き刺さった。咄嗟のことで声が出ない。小さく浅く呼吸を続けるグリーディは、微かな力を籠めて、背後を振り返った。

「――――

 一糸纏わぬ姿の少年が立っていた。躰を銀色に妖しく照らしながら、指先に何かを掴んでいた。

 ――――あれは、なんだ。

 グリーディは自らの肉体から切り取られた、酷く脈打つ赤黒い物体を視界に収めた。

 どくん、どくん、と絶え間なく赤黒い液体がどろりと地面に滴り落ちていた。青年の視界がぐらりと傾く。世界がかぶいたのではなく、自らが膝をついたのだと認識する頃には、呼吸すら満足にできぬほどの致命傷だと認識した。

 ――――認識を改めなければいけない。

 柚乃下は想像する。

 自らの肉体の形を。

 自らの肉体の色を。

 自らの衣類の形を。

 そして、瞬く間に彼の想像通り、形が成形され、色を取り戻し、衣類が生えた。

「―――ずるいなんて言わねえよな。殺し合いに不意打ちもなんもねえもんなあ」彼は掌で弱々しく鼓動する心臓を、力いっぱいに潰した。彼の予想では、楔石は肉体の最も重要器官である心臓に宿るものだとしていた。濃く重い血液が零れ落ち、掌を開き、確認した。

「――――良い反逆だった。革命とは言えずともな」ぽつりと邪悪の煮詰めたような声音が彼の耳へ届いた。背骨の真中へ氷柱が立てられたような悪寒が、全身を駆け巡る。急激な禍力の増幅を眼前に感じた。反応ではなく、反射だった。柚乃下は右腕を槍のように変化し、距離にして二メートルもないうつ伏せに斃れているグリーディへと振り下ろした。

ひと言呟いた青年の言葉は、世界へ対して新たな命令を下す。「回復したのち、獅子オレが上位存在となる」蒸気が青年の胸元から噴き出すことと、柚乃下が振り下ろした槍の穂先がグリーディへと接触するのは、瞬きひとつほどの間隙しかなかった。宛ら鋼鉄に激突したかのような激突音。繰り出した彼が心底ぞっと心を冷やしたことと、黄金の彼が次の言葉を吐き出すのもまた、同時だった。「爆散しろ」またしても柚乃下の躰が一瞬の回避行動すら起こす間もなく肉片となり、辺りへ飛び散る。しかしグリーディは追撃の手――――言葉を止めず続けた。「肉片が見えなくなるまで爆発、この世から消え去れ」柚乃下の頭がごろりと地面を舐める。眼だけを動かし発生しない爆発に痛みの中疑問符を浮かべた。

 ――――できないこともあるのか……。なら、ちょうどいい。

 一瞬さえあれば肉体は修復可能だった。意識さえあれば西城と同格の再生能力ともいえる力を発揮する。《思想訫惢カジュアルスーツ》へ禍力を流し込み、飛び散った肉体を捨て置き新たな肉体を創造する。

「成程成程」鈍色の骨が生成され、重い神経が骨の上を這い廻り、液体の無機物が骨と神経の間で蠢く。グリーディはシニカルに笑みを浮かべた。「仔兎オマエ、死ねないのか」

「あ? 知るかよ」半ば再生途中の彼だったが、次なる一手は先ほどまで飛び散っていた嘗ての肉片だった。《思想訫惢カジュアルスーツ》の真骨頂は無機物の操作にある。己の質量さえも超える物体を操作でき、質量保存の法則なんてものを軽視することができる異形の力。柚乃下は蠢く肉片を操作し、その全てを四方八方からグリーディへと向けて無数の針として射出した。

「であれば、殺すのではない方法を遣うしかあるまい」下らん、と彼が言い放ち、無数の針は彼に接触するほんの数センチ手前で固定される。グリーディは嘆息した。もう一度彼は、下らん、と吐き捨てる。「仔兎オマエを滅することは獅子オレにも難しそうだ。サテ、どういう呪いなのだろうなア」反転、射出、とグリーディは命令する。彼へと向けられていた無数の針は彼の意のままに今度は柚乃下へと向けられた。身を庇おうと腕を交差させたときには、自らが放っていた針は凄まじい勢いを生み出して彼の躰のあちこちを貫通させていた。ほぼ無限に再生が可能な柚乃下だが、貫かれる痛みを感じ取れるほど人間を辞めてはいなかった。当然ながら貫通した箇所は痛み、熱さえ持つ。いくつかの針が内臓を酷く傷つけ、喉元から込み上げる鉄臭い液体を吐き出さずにはいられなかった。交差した腕の隙間から見えるグリーディは、掌を顔面へ被せ、大仰に天を仰ぎ見ていた。呪詛の如く呟いている言葉の質そのものは理解できない柚乃下は、想像を駆使して肉体の再生を図り、次なる一手を繰り出そうと思いを馳せ――――やめた。両脚をしなやかな銀色へと変化させ、ほぼ真後ろへ向かって。彼の辞書に敵前逃亡の文字はきちんと明記されている。敵わなかったら逃げる、生物としての本能だった。対してグリーディは背中を向けて逃げ出した柚乃下へ一瞬呆気に取られるものの、すぐさま《一言ワンワールド》を使用し、彼の肉体を破壊する言葉を次々へ繰り出した。腕が飛び散り、再生させ、足が捥げれば、再生させ、頭の半分が吹っ飛べば、再生させ。正しく堂々巡り。痛みの輪廻から抜け出せない地獄絵図だった。構わず柚乃下は吹き飛ぶ躰を再生させながら、とある地点で斃れている少女目掛けて走っていた。躰中を酷く損傷させながら、柚乃下は焦げ臭い少女の矮躯を抱き抱え、禍力を脚へ集中させた。突如として土煙を巻き上がらせて跳躍した柚乃下は、躰中から血液を流しながら森の奥へと脱出した。



 夜風が髪を靡く。鼻孔を擽る土の匂いに瞳を閉じ、遠く離れつつ少年を瞼の裏で思い描く。何度も矮小な躰を破壊した。楔石というものは、肉体的、精神的に向上するものではない。たったひとつぽっきりの予め決められている能力を得る、ただそれだけの便利アイテムであった。故に先ほどのような暴走状態になることも屡々報告にあった。グリーディ自身も嘗ての仲間が安易な気持ちで、資格もないのにも関わらず強欲に手中に収めた力を傲慢に遣った際に、少年のように意思疎通もできず、やがてグリーディの手によって滅せられることとなった。彼にとっては拭い難く、そして苦い思い出のひとつだった。眠気を噛み殺すために欠伸をひとつ。猛獣のような視線を周囲へ這わせた。少年が暴走した際に出来上がった地面へのダメージ、グリーディの力をまともに受けてどこかへ飛んで行ってしまった肉片、カマツミイチゴという少女の血溜まり、自らの部下の亡骸。

 ふむ、と黄金の彼は煌々しい言葉を吐き捨てる。

「いつまで死んでいるつもりだ」言ったあと、彼は少年を仕留めるために歩み始めた。カマツミイチゴの血溜まりから少し離れた場所には、がくりと力をなくし仰向けに事切れていた西室の亡骸があった。一瞥も寄越すことなく彼は柚乃下が残して行った血痕を追う。ひゅ、と小さく呼吸音のようなものが後方十数メートル離れた場所から聞こえ、続けて何度も大きく咳き込む音も聞こえた。耳障りだと彼が胸中吐き捨て、行動となり舌打ちで返した。幾重も咳き込む。やがて間隔が離れてゆき、そして、わあ、と大声を上げた。

「死んでました! ちゃんと! 助けてくださいグリーディさま!」

「――――煩い」

「もう何度目かわかりませんが! グリーディさま! 日本では三途の川というものがあるらしいですよ! 故郷が日本だからなのか、土地に引き寄せられたのか……しっかりと初めて三途の川を渡っていましたよう!」

 矢継ぎ早に興奮している状態のまま彼女――西室さいかは言葉を発する。くたびれたスーツに身を包み、まるで手入れされていない髪の毛をそのままに立ち上がった彼女は、がくがくと生まれたての小動物を彷彿とさせる足取りのまま、血痕を見下ろすグリーディの背中へと飛び込んだ。

「――――死ね」

「はう」と言って、西室は糸が切れた人形のように、抵抗なく地面へと斃れた。暫し血痕の行方を見やった彼は、再度蘇生させるつもりの西室へ、どのように作戦を執行するか、どう説明すれば死に戻りの西室へ状況を理解させられるか。

 考えただけで頭が痛くなる。

 絶対王者と銘打たれている彼にも弱点はある。

 深く眉間へ皺を寄せた彼は、どこかの少年のように、大きく、長く、億劫なため息を吐いた。

 アア、と彼は前置きした。「仔兎オマエに頼まれていたものがあったのだった」何かを呟くと、彼の前に黄金の扉が顕現し、いた。直接受け取ることはせず、彼はへと命じ、命じられたままは軽い調子で斃れている西室の顔近くへころりと石を投げ捨てた。重く扉が閉じられ、彼は短く蘇生の意を示す。ひゅぅ、という呼吸音。

「――――申し訳ございませんでした我が主」覚醒した彼女は、素早く平伏す恰好となり、頭を下げた。対して彼は謝罪に対しての返答をしないまま言う。「仔兎オマエが欲しがっていた能力だ」くれてやる、と言った彼は新たな椅子を作り出した。自然な挙措で腰を下ろし、絶対王者は命じた。

獅子オレは一刻ほどここで待つ。それまでに楔石の回収を命じる」

「――――は」短く言った彼女は、足許に落ちている絆石を拾い上げ、無言のまま踵を返して足早に向かった。

 短く息を吐いたグリーディは瞼を閉じる。先ほどまで自分相手に大立ち回りを披露した少年のことを思い出していた。暴走状態からの復活、能力が効かなかった理由、恋染初姫という少女の厄介な能力、【Nu7】のなかで巨大な組織を運営しているとはいえ、楔石に関しての知識はそれほど多くはない。そして柚乃下が楔石を手に入れたときに感じた謎の焦燥感、あれがきっと争奪戦の始まりを告げるものであることを、彼はなにゆえか本能に近い感覚を元に理解していた。瞼の裏で再生される戦闘、脳内で保有している楔石に関する情報、西城もがみというイレギュラーを元にした改造人間の情報。それら全てを思い出し、情報整理するには、先刻では足りないのかもしれない。グリーディは口許を歪ませ、愉しそうに微笑んだ。

 じゃり、と音がした。薄く目を開くと、確かにこの場を去った西室が指同士をこすり合わせるような挙措を披露し、ちらちらと彼を見ていた。

 そのまま彼女はグリーディが目を開いたことを理解し、えへ、と愛想笑いをした。

「えっとぉ、えへへ……どこ行ったんでしたっけ……?」

「――――――」

 想像を絶する阿呆さ加減だった。謎の疼痛を頭を振ることで振り払う。時間の無駄だと認識した彼は黙って、くい、と顎先で地面に残る血痕を指した。

 暑いのではない理由での汗を流しながら、西室は指し示された血痕を見て、わあ、と大袈裟に声を上げた。

「さ、さっすがグリーディさま! じ、じゃあ……いって、きまあ……す」

 こちらの様子を伺いながら、西室はパンを拾うように血痕を辿って行った。

 彼女の後姿が完全に見えなくなるまで彼は見届け、最後に大きなため息を吐いた。

 燃杭にとりを蘇生させるべきだった、と痛む頭へ手を当てながら、彼は再度思考の海へと潜ってゆくのだった。

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