022

 彼の四肢が爆発的な増殖を以てして、肥大化したのを恋染は呆然と見上げる他なかった。

 ――――違う、なんでそんなことするんだよう。

 少女が目論んでいた作戦は、この惨状を見るに失敗したと判断せざるを得ない。

 大局を見られる器ではないと自分で十全に理解している。世界中に行き渡っている楔石はその全てに所有者が存在し、十個の楔石が覚醒された瞬間に、それぞれの所有者が争奪戦開始をに察知する。畢竟、現時刻を以てして、第四次楔石争奪戦が幕を開けたのであった。

 少女が願っていたのは、その遥か高みである。

 嘗て自らを助けてくれた、《英雄ヒーロー》のようになりたかった。人類最高峰と名高い西城もがみのような超越者になりたかった。だからこそ少女は救出されたあとも禍力の訓練に身を窶し、周囲からは莫迦にされながらも生きてこられた。途方もない石を積み重ねるような虚無の時間はもう終わりだと認識していた。

 彼岸まであと数歩の柚乃下を捕まえ、その胸に楔石を埋め込むことで開花すると少女は願っていた。少女は知識として持ち得ていたのである。西と。だからこそ、代償に構わず約二年間。少女は世界中を旅していた。方向音痴になってしまう、というような代償ではない。西城が認識していた恋染の代償がそれであるように、少女もまた、自らの代償を完璧には知り得ていない。

 願えば願うほど、叶うことはなく、成就することはない。ひと言で表すなら少女が落としてしまった《長所代償》は、物事が成就しないというものであった。すること成すことが全て裏目に出る、徹頭徹尾お荷物となってしまうような代償。願えば叶わず、されど認識齟齬が生じており代償の本質そのものを感知することすら適わない。

 物事が成就しない代償。

 恋染初姫は願ってしまった。自らが英雄的存在になることを。世界中の楔石を蒐集した暁には、願いななんでも叶うといわれている。三人の英雄が起こす奇跡という論理を信じた結果――どうしようもなく、途方もなく、少女は叶わなくなってしまった。

 恋染初姫が英雄になることは決してない。

 では。いったい。誰が、英雄になれるのだろう。

 眼前で肉体から次々と無機物を生成する柚乃下が咆哮する。悲しいような、怒っているような、喜んでいるような、楽しんでいるような。

 そんな幼児にも似た叫びだった。



 西城は深く息を吸い込んだ。先ほどまで躰を覆っていた掴むことのできない水銀塊は、ぴちゃりと地面へ吸い込まれて消えた。

「――――っは。……ぎりぎり、だった」最終手段を使うほんの一瞬前の出来事だった。彼女は肩で息を吸う挙措をそのままに、眼前で今も尚、膨大な質量を伴って肉体の範囲を増やしている柚乃下を見上げた。「なんだこれ。おい、潤なのか。おい!」見れば柚乃下の近くには西城と同じく彼を見上げる恋染の姿があった。その前には全身から煙を吐いて失った腕を修復しているグリーディの姿があった。黄金の彼は、黒スーツに付着した汚れを手で払いながら、舌打ちをした。「久しぶりだな、グリーディ。とりま今すぐ死んでくれや」跳躍した瞬間には、グリーディの後頭部直前まで彼女の長い脚が届いていた。常人であれば皮膚が焼け爛れてしまう速度だったが、彼女には超再生能力がある。傷つくたびに新しく皮膚や肉が生成される。一種の新陳代謝のようなものだった。後頭部へ足の甲が直撃した――――「――てめ」

「当り前だろうモガミ。獅子オレが鉄塊に閉じ込められてしまった際に、自らへ能力をかけている」グリーディの後頭部へ直撃した足は、同じ威力で弾かれてしまった。空中で二度三度と回転し、西城は着地する。

「なんだか最終回間際の大怪獣バトルみたくなってんなあ。群雄割拠には早すぎるぜ」

彼は意気揚々と得体の知れない生物を見上げて嗤う西城を一瞥し、失笑を零した。心底莫迦にするような、そんな笑い方だった。「いい加減にしろよ、あたしは身内をボコられて腸煮えくり返ってんだ。一挙手一投足の間違いが、死へ直結すること忘れんな」全身へ禍力を纏わせた西城が彼を見据える。どこか、恍惚とさえ見え受けられる瞳には、既にグリーディしか見えていなかった。「西室のことだ、無意味な依頼ではなかったのだろうな。恐らく釜罪を痛めつけたのは、依頼の裏に潜むなにかを炙り出すためだったのだろうよ」

「うるせえ。ンなモンあたしたちには関係のねえことだ、喧嘩ふっかけてきたのはてめえらだろうが」犬歯すら剝き出しで、本能のままに口を開く西城と、理性を携え相対するグリーディ。一瞬の逡巡をしたグリーディは、だが、と前置きした。

「確かにもっときれいな着地点があったのだろう」

「――それ以上口開くなや。ぶっ殺すぞライオン野郎」

「相変わらず沸点が低いなァ。獅子オレが造った獅子オレのようだぞ」

「……やっぱりあれは人工的に創られた人間だったのかよ」

「人工的?」まさか、と彼は大仰に両手を広げた。「仔兎オマエ獅子オレの能力を知っているだろう。獅子オレの能力、《一言ワンワールド》を」

「――――いや。全てを知っているわけじゃねえ、あたしが知っているのは……」

 轟音が蠢く鉄塊から地響きのように大地を揺らす。そうだ、と西城は認識を改めた。今はグリーディと口論をしている場合ではない。釜罪が血塗れで斃れていたのは確認しているが、完全に息がなくなったわけではないのも又、遠目だったが確認していた。僅かながらに上下していた胸は、酸素が取り込まれている証拠でもあったのだ。西城は全ての能力を同時並行で展開する。そして一歩目を踏み出そうと力を踏み締めた瞬間、両者の間を縫って、蠢く鉄塊へと身を翻した恋染がひと筋の影となって先にへと飛び込んで行った。

「《オーバースペック》――三十パーセント解放」硬い物体が激しくぶつかる際の音を、久しく西城は聞いていなかった。聞こえた音が恋染による拳での激突音だと気付いたのは、天高く聳え立つ鉄塊が、ぐにゃりと傾いたことが切欠だった。続く第二波は一度目よりもさらに大きく鉄塊を傾けた。苦悶に陰る少女の表情。その顔を横目で見た西城は、一も二もなく鉄塊へと飛びかかった。鉄塊は無数の手を伸ばすように、次々とありとあらゆる角度から、恋染を捕えるために攻撃を加えた。躱し、撃つ。躱して、撃つ。赫よりも紅い少女は、迫り来る銀色の腕を寸でのところで回避し、隙間を縫うように拳打を幾重にも積み重ねる。異形のものが咆哮した。攻撃の余波にて波打つ鉄塊が、と、面積の大半を使用する形で、真四角の鉄をふたつ生成した。そのふたつの鉄塊が、恋染の左右から凄まじい速度で接近する。一瞬、恋染の反応が遅れた。一瞬遅れれば、その遅れを取り戻そうと次の動作が遅れる。そのさらに次の動作が遅れれば――――。硬い物体同士が激しくぶつかる刹那、西城が間隙を縫うように滑り込んだ。

「はん、ザ・ラスボスって感じの攻撃ね、愛しているよ潤」左右の腕が衝撃の際に骨折したのを西城は認識していた。年齢には勝てないものだ、と彼女は微笑み、《破戒リザレクション》を以てして再生、《愉快な連中フルモンキーズ》の装甲で折れた腕を補強しながら尚も左右から迫り来る壁を、押し退けんと力を籠めた。力がまだ足りない、と西城は、ふっと息を止める。爆発的な禍力の消費が発生する。《触らぬ神に祟りなしアンタッチャブル》を遣って身体能力の底上げを開始する。躰中の血管が千切れるような音が、体内に響いた。力負けしたことは、これまでの人生に於いてそう多くはない。破壊と再生が体内でひとつの渦となり巻き起こる。無意識のうちに歯を喰いしばる。「まったくどうしようもない甘ちゃんだぜ潤、自棄ヤケ起こして癇癪するだなんて、立派な高校生だよお前は」徐々に左右から迫り来る鉄塊を膂力の力で押し出すことに成功する。彼女を見上げる恋染の表情はどこか昏かった。視線が交錯するも、片手間に終わらせられるほど、蠢く柚乃下の力は弱くはなかった。「とりあえず邪魔だ姫っち、さっさと退け」言いながら彼女は恋染を蹴り飛ばす。《触らぬ神に祟りなしアンタッチャブル》の力を行使している西城の力は、中学生ほどの身長しかない恋染を数メートル弾くのには造作もないことだった。土煙を上げながら滑った恋染は、紅い髪を振って小さく、ごめんなさい、と口を開いた。女性らしからぬと声音で聞き返す西城。紅い少女は泣いていた。

「……こんなはずじゃなかった、ごめんなさい。違うんだよもがー……ぼくは――」

「うるっせえ、黙れ黙れぶっ殺すぞ。こんなはずじゃないとかじゃねえんだよ馬鹿野郎。黙っててめえはあたしのために動け」口を開くたび、左右からの壁は迫ってくる。膂力を強化しているとはいえ、連戦状態の西城にとってみれば最悪のコンディションなのは間違いない。禍力の残量さえ、過去一、二を争う水準レベルで少ない。死への恐怖を今まで体感したことがあまりなかった西城だが、こうも連戦続きだと嫌気が差す。呻くようにごめんなさいと続ける少女へ西城は怒号を続けた。「我儘言っていいんだよ姫、人間らしくなるって言ってたじゃねえか。あたしのようになりたいって言ってくれたじゃねえか、だったら、今謝るのは違えだろ」大きく呼吸をし、西城は言った。「ンなモン、全部が終わったあとで殴って愛してやる。だから今は、お前のせいでこうなった現状を受け止めて、潤の奴を止め――――」痛い、と思う時間すら西城には感じられなかった。瞬きをひとつばかし落とした程度の一瞬だった。さっきまで両手を広げて力の限り押し留めていた壁が、西のだった。それでもまだ壁は進んできた。

「――潤の野郎」西城が血塗れの表情でシニカルに口角を上げた瞬間、腹に響くような轟音を立てて、壁がひとつになるべく速度を上げた。全身を貫いた鈍色の棘に抗いながらも西城は膂力の総てを発揮するが、その行動を最後に、壁は合わさりひとつの大きな箱となった。ふたつがひとつになる間際、狭く暗い銀色の間隙から聞こえたのは、恋染も良く知る西城の言葉だった。



 グリーディは眼前で行われる一連の光景を酷く冷めた眼で見つめていた。彼にしてみれば西城もがみという人物の消失にまったくの興味もなかった。世間で騒ぐのは、せいぜい【Nu7】の顔色を伺う《八方美人コメンテイター》だけだった。彼は自然保護の観点や、人類の宝などという小奇麗な言葉や思想は持ち合わせていない。彼が彼たらしめるのは、一切無駄のない、自らが定めた王国を建立することだった。夜風に靡く美しい髪を掻き上げて、グリーディは王道楽土のために何を為すべきかを取捨選択する。第一の目的であった禊石の回収に関してはほとんど完了しているようなものである。死んでしまった部下たちには悲しいという感情は湧かないが、決して同情的な気持ちになることはない。彼らは自らの選択で以て彼が率いる組織へ身を窶したのだ。死んで本望ではないのだろうが、恨み言を言われる筋合いは彼にしてみればなかった。ふん、とグリーディは冷笑した。見れば鈍色の四角形の前に、みっともなく泣き喚きながら同一とされた四角形をこじ開けんとしている恋染の姿が見えた。下らない、とグリーディはひとり思った。なることは楔石所持者の誰もが既知としている事象だった。恐らくは楔石――《思想訫惢カジュアルスーツ》と名乗っていた鉱石と、所有者である少年の相性がすこぶる悪かったのだ。楔石は誰も彼もが扱えるような贋作とは違い、にしか所有することが赦されない、禁忌の力である。醜く膨れ上がった鉄塊は天を喰らわんばかりに聳え立ち、節々から手を伸ばしてその存在を世界へ轟かさんばかりであった。

 彼はこの現象を嘗て参加した前回の争奪戦で文字通り、見識を深めている。自分にも嘗ていたと呼ぶべき人物が、正にこの現象に直面しごく自然のようにして燈火を消した。彼にしてみれば忌まわしいと表現すべき出来事だった。グリーディは体内の禍力を練り上げた。絢爛豪華な椅子へ腰かけたまま、彼は肘をつきすらりとした脚を不遜に組み直す。

 さて。果たして彼は何を想い、何を呟き、何で世界を確変するのだろう。

 彼の心中はきっと、彼にしか解からない。



 西城もがみが全身を砕かれ瀕死の最中、彼女は自らの超回復によって一命を取り留めている。躰は完璧ともいえる真四角の鉄格子の中で潰されてはいるが、脳が破壊され心臓が破裂し、血管が弾け飛んだとしても、彼女は死に絶えることができないし、人生半ばで諦められるような性分でもなかった。彼女はいつも傲慢であり、世界の基準点として、この世と呼ばれる輪廻の渦から祝福されているのかもしれない。だが、西城もがみという人物は今現在、瀕死の重体であることに変わりはない。

 恋染初姫は自らが持つ特異性の化身、《オーバースペック》の力を存分に遣い、真四角の鉄塊をこじ開けようと、大粒の涙を零しながら尽力している。矢継ぎ早に流れる言葉は支離滅裂の極みに達しており、少女自身何を言っているのか恐らく理解できていない。現状の結果を生み出したのは、紛れもなく少女であり、弁明の余地すら介入できない。少女は只、憧れを強く抱きすぎただけなのに。嘗て救ってもらった人物への恩返しとしてこの身を捧げただけなのに。どうして、そう、うまくいかないのだろう。少女にはきっと、この先知る由もないのだろう。

 


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