018

 利己主義者エゴイスト同士の戦闘は苛烈さを極めていた。数分前までは大地に根を生やしていた大木も、今や見る影なく、地面に触れていた。上を飛び交う彼女らは、それぞれ対応した能力を以て、相手を抑え込まんとばかりに能力を行使していた。

「――しつけェンだよクソババア」黄金の青年は能力を行使し、躰中に刻まれたいくつもの傷痕を修復させる。肘から先が欠損していた腕は瞬きひとつの間に元の形へ再構築され、割れた頭蓋は疼痛を感じるままに割れた箇所が埋まった。黄金の青年は、ぱきりぱきりと戻った肢体を見下ろし、にんまりと笑みを零す。

 対する西城の姿は、正に絶望的と表現できる恰好だった。骨折や破損といった大きな外傷は受けていないが、その代わり、次々と迫りくる正体不明の衝撃が原因で、内臓のあちらこちらに損傷を受けていた。彼女もまた、人類史に於いて最高峰とされる超速再生といった能力を所有していた。《破戒レザレクション》と名付けられた絆石は、例え心臓を破壊されようとも、禍力を流し込むことに成功すれば、瞬時に修復できるといった怪物的能力であった。だが無限に回復できるわけではない。当然ながら禍力といったエネルギー体を大きく消耗し、常人であれば日に二度といった制限がかかる。世界最高峰の西城といえど、禍力量は精々常人の数十倍。ましてや《破戒レザレクション》だけではない。他にも並列して四つの能力を常時展開しているのだ。もうすぐ禍力の底が尽きる。だからこそ彼女は、致命的な傷以外は修復しないよう、流れ出る血液を無視している。

 ――――久しぶりだな。あたしがここまで消耗するのは。

 眼前で余裕綽綽と立つ青年に、ニヒルな笑みを向けた。直後、西城は《触らぬ神に祟りなしアンタッチャブル》と《愉快な連中フルモンキーズ》を併用し、数十メートル離れていた距離を一瞬にして詰めた。四肢の先で鈍い色を反射している《愉快な連中フルモンキーズ》の装甲が周囲の空気を巻き込みながら炸裂した。丁度青年の腹部真中へと命中した一撃だったが、彼は甚大なる負傷を顧みることなく「壊れろ!」とひと言。それだけのことで右腕の攻防を兼ね備えた鋼鉄の装甲へびしりと亀裂が入った。一匹の猿が西城の肩に顕現すると、猿叫を上げて亀裂が修復された。ほんの一瞬だけ驚愕した青年へ、彼女は構うことなく二の打撃を加えた。一糸纏わぬ恰好のまま、凄まじい速さで旋回。右脚の踵部分を覆っている装甲越しに、青年の右頬を強く貫いた。慣性の法則に従い、受けた勢いをそのままに青年は地面とは水平に飛んだ。打撃時の感触からして、青年の顎骨は間違いなく粉々に砕けたはずだった。「ッてエ……だがまあ、この程度治るがなァ」熱い石へひと雫の水が落ちたかのような、蒸発する音。見れば青年は水平だった体勢から一転、細く褐色な右腕を地面へと蹈鞴を踏ませ、逆立ちをしたかと思えば、勢いを殺すために空中へ舞った。正に驚天動地な凌ぎ方だった。少なくとも西城が過去に相対した人物たちは須らく禍力と能力によって強化された一撃を、きちんと命中させたときには泡食って斃れていたはず。西城は舌打ちを一度した。禍力を両脚へと移動させ、跳躍。銃弾の如き速度で接近したときには、既に青年はこちらを見抜いていた。大きく引き裂かれた口が言葉を紡ぐ。「吹っ飛べ」目視できない一撃が西城の胸元へと突き刺さった。気怠くなるかのような一撃だった。心臓部分が根こそぎ剝ぎ取られたと錯覚するほどに。肺から逃げ出そうとする空気へ一喝。本来ならば躰を反対方向へと吹っ飛ばされる攻撃だろうが、敢えて彼女は「――――ぬん!」と大きく上体を逸らした。力の限り禍力で強化した部位、右腕を青年の首へと突き付ける。「ぎゃは、やるじゃネエかオネエサン」青年はこのまま地面へ着地すれば西城の放つ首への致命傷が命中すると予見した。彼はこれを喰らうわけにはいかなかった。「落ちろ」「――――バカな」ずしんと地面を舐めたのは、西城だった。跳躍していた恰好のまま、感覚に陥り、抵抗できるわけもなく、無動作ノーモーションのまま叩きつけられた。「オオット、良い眺めだなァ。全裸のメスが地面を這う姿って奴ァ、いつ見ても格別だよナアア」青年は無防備にも西城の後頭部を強く踏んだ。これが踏み抜かれるような強い一撃だったなら、一瞬とはいえ西城の反撃を阻止できたのかもしれない。彼女には重力なんてものは突破して然るべき事象でしかなかった。血管が浮き出るほどの重さを一身に受けながら、彼女は短く息を吐いた。刹那、掌を軸に両脚が跳ね上がる。息つく暇もない反撃だった。左足踵を青年の顔面へと直撃させる。くるぶしまで到達する深さの蹴打だった。相変わらず重力は感じており、西城は反撃させる暇すら与えない。腕を遣い逆立ちのまま上へと跳ねた。左足を引き抜き、上下が戻る最中、今度は右脚の甲で青年の頭を蹴り抜いた。ごきりとした感触が甲へと伝わった。先ほどとは違い、綺麗な水平ではなく、地面を何度か舐める形となって、青年は数メートル弾き飛ばされた。着地時にも変わらず重力の影響を受けている。吹っ飛んだ青年を見た。彼はみっともない恰好で斃れていた。ぴくりとも動かないさまを見ると、どうやら決着らしい。西城は大きくため息を吐いた。度重なる戦闘の連続で、綺麗に整えてあった黒髪へ砂埃が付着してしまっていた。帰ったらシャワーくらい浴びるか、と彼女が己の髪を触ったときだった。

「超速再生」ぼそりと呟かれたひと言。黒髪の毛先から一転、西城は斃れていた青年を見直す。潰れていた顔面は疵ひとつなく完治していた。戦闘によって生み出された衣類すら初見時の状態に戻っていた。は、と西城は天を仰ぎ見る。

 ――――成程ね、ね。

 首を鳴らしながら涼し気な表情を浮かべ、青年は近づいてきた。

動くなストップ」掌を広げ西城は言う。「一本いいか」と西城が指を立てた。青年はにんまりと口を大きく裂いた。掌をこちらへと向け、促す。薙ぎ倒された大木の上へと腰かけた。そのまましばらく座っていた彼女だが、青年へと顔を上げた。「早く出せよ」「どォやってだよイカれてンのか」「いいから、お前が言ったことを現実に起こせるっていうのは知ってんだよ」いいから出せ、と西城は不遜に言い放つ。青年は不愉快な笑みを浮かべながら肩を竦めた。そして「銘柄はァなンでもいいのかァ」「赤マルソフト」「注文が多いナァ」マアイイゼ、と言った。復唱した直後、青年の掌にはすっぽりと銘柄さえ合致した煙草が収まっていた。西城は、はん、と息を吐く。びりびりと包装されたものを乱雑に破き、青年がまず一本取り出し咥えると、一服目を呑みながら軽くぽんと投げた。くるくる回転する最中に飛び出た一本を指先で受け取った西城を見て、青年が「火ィやろうか?」と気遣ってくる。本来であればその好意ともいえる言葉を素直に受け止めるのが常識的人間ではあるが、あくまで利己主義者エゴイストである。「うるっせえ」超高速で放った右拳を先端へ掠らせ、発火現象を生み出す。口内へフィルター越しの煙を含み、ある程度溜まったあと、ゆっくりと肺へ送り込む。躰に良かろうはずもない物質が脳の快楽中枢を刺激するのに、そう時間はかからなかった。二度、三度、と吞んでいた彼女は、続きを話した。「こんなにあたしが苦戦するとは思わなかったよ。そんじょそこらのヘボに負けるほど、落ちぶれちゃいねえと思ってたんだが……考えが変わった」咥え煙草。はあ、とため息を吐いた。「来る歳には敵わねえな……やだねえ、トシは取りたくねえモンだ」

「潰れろ」

 青年が言うや否や西城の躰が少しずつ歪に変化をしようと――――しなかった。

「タネ割れてんだよザコが」瞬間的に禍力を放出し、締め付ける力を破る。ふん、と彼女は息を吐いた。「格下狩りはできても、格上には効きにくいんだろ」「――――テメェ」「その能力はあたしもってるんだが……」手足の装甲以外全裸の状態だが、彼女は隠すこともなく大股を開いた。煙草を弾いて灰を落とした。脳裏に過る光景は、嘗て【Nu7】の研究施設に配属される前の出来事だった。西城もがみは【Nu7】に所属するよりもずっと前、二十歳のときに禊石争奪戦に巻き込まれたことがあった。この世の地獄と揶揄され、その国では何万人もの戦死者及び犠牲者の骸が積み上げられていた。大学まで通わせてもらっていたときの西城は、今とは違い、がさつな笑い方もしなければ、今もこうして全裸で大股開いているような大胆不敵さ、もしくは淑女であれば顔から火が出るような行動など起こせなかった。すらっと長身で、誰にでも微笑み、豪快に笑うことはなく口許に手を添えるような大和撫子そのものであった。彼女ら家族が旅行として選んだのは、北極圏に近く、住んでいる人種もまばらで、所謂煉瓦れんが造りの家がぽつりぽつりと並ぶような街だった。旅行の目的は母の念願であったオーロラの鑑賞である。そしてオーロラ鑑賞会が開かれるパーティに参加する前夜、彼女ら家族は引き裂かれた。父親とはそのときに音信不通となってしまい、【Nu7】で活躍し世界中で有名な人間となったあとにも連絡が取れなかった。母親は争奪戦の犠牲者だった。まだ小学四年生だったふたりの弟妹ていまいを庇い、病院などの施設が崩壊していたこともあり、手遅れとなってしまった。西城もがみという女性は、こうして争奪戦に参加することとなった。両親の言いつけもあり、絆石を持つことすら許されなかった彼女は、争奪戦のさなかにその類稀なる才能を以てして能力を顕現させた。そして数人の争奪戦参加者を撃退したとき、相対した人物こそ、黄金の青年が持つ「言ったことを現実にする能力」だった。

 西城は額に血管を浮かせた青年へ視線を向けた。

「……そんな危ねえモン、どうやって手に入れた?」言いつつ紫煙を呑む。「あたしが知ってる所有者は、もう少しだけだが、理性的な男なんだがな」

「――――ハ」嗤う。「獅子オレが今の所有者ってェことなンじゃねエの」

 莫迦言うな、西城の足場が爆ぜた。驚異的ともいえる速度で放った一撃は、ほんの少しだけ油断していた青年の腹部へ刺さった。熱い液体が貫いた装甲を覆い、ぬるりと月明かりを妖しく反射していた。「――――テメ」え、とは言えなかった。西城は貫いた腕とは反対の手を使い、大口開けていた青年の口腔へ拳を叩き込んだ。掌を厚く覆う装甲は、青年の口よりもはるかに大きく、結果として青年は歯のほとんどを折られてしまうこととなった。まるで蛇が獲物をむような恰好だった。くすりと西城は笑う。

「言ったろ。あたしはその能力をってるって」つまりよォ、と彼女は続けた。「言わせなけりゃあ発動できないってことぐれえ、看破してるってことよ!」

 ごきりと響いた音は、夜の風に掻き消された。青年は拳を作り、西城の脇腹を左右から殴りつけた。児戯のような殴打に抵抗することなく、西城は言う。「お前が現在の楔石保持者だあ? はん、候補者は他にいなかったのかよ。前の所有者だったグリーディのほうが随分とマシな人格者だったように思えるぜ」拳を引き抜き頬をわしりと掴んだ彼女は、力任せに放り投げた。時速数十メートルという速度で放たれた人体は、上下左右がわからぬなか手入れされていない雑木林に突っ込んだ。またしても蒸気機関車のようなしゅうという音が聞こえた。西城は《愉快な連中フルモンキーズ》を総動員させ、待ち構える。藪から出てくるのは蛇が鬼かと神経を張り巡らせていると、ぽつりと腰まで伸びている雑草が喋った。「さっきのはどういう意味だ?」数秒後に掻き分けて現れた青年は、綺麗なまでに疵口を元に戻していた。「――――なんだ。随分と呆気ない登場の仕方をするんだな英雄ヒーローさん。矢でも槍でもどんと来いって感じで待ってたのによ」左右へ腕を伸ばしながら西城は続けた。装甲や眼鏡といった場所から彩り様々な猿が顕現し、皆で仲良く肩を組んでいた。「はっきり言って。お前程度の奴が楔石保有者だとしたら、世界も早く平和になるかもなあ。なんせあたし如きを斃せないレベルなんだろ? はっは。世界最強と名高い鉱石が、まさかこの程度なんてな。やっぱり欲しがらなくてよかったぜ」

獅子オレがグリーディだ」 彼は続けて言った。「仔兎オマエがどこの誰と勘違いしてるノかはシラネエがな。《一言ワンワールド》の所有者はこの十年、獅子オレダ」

「――――なに言ってんだ?」西城は冷たく言い放つ。「ショッテンパード=グリーディって奴は、あたしも知ってる。なんせ元チームメイトだからな」だけど、と嘆息交じりに彼女は零した。「あの莫迦は傲慢で不遜で黄金だけれど――――そんな弱っちい禍力量じゃなかった。常人であれば近づくのすら億劫になるほどの存在感がある」

獅子オレ仔兎オマエを知らねエ」

「――――はあ。だから言ってんだろ。お前はグリーディじゃねえ。只の雑魚キャラだよ」

 話は終わりだと言わんばかりに彼女は全身へ禍力を纏わせる。周囲の大気すら揺るがすエネルギーは陽炎の如き物体の境界線を朧気にした。眼前のグリーディと名乗る青年は、呼応するかのように同量とはいえないまでも、濃く、存在感のある禍力を放出した。

 決着は近く、そして結果は明らかな戦いだった。


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