014
本日二度目の逃走となってしまった柚乃下、釜罪、恋染の三名は現在、部室棟がある校舎へと身を潜めていた。彼らが潜伏に選んだのは、夕刻釜罪がいた陸上部の女子更衣室だった。「やはは。危なかったね! あいつほんと容赦ないんだから」恋染は椅子に腰かけたまま朗らかに笑う。振り回されたふたりは緊張の糸を緩めることはできず、警戒態勢に入っていた。少女は続けて言った。「どこか痛いところとかない? 本当にぎりぎりだったから、最初からフルスピードで走ったからね。鞭打ちとかない?」「いや大丈夫だ。何度もありがとな」「私も問題ないわあ。ありがとう姫ちゃん」釜罪はみっつの眼球を既に展開している。それぞれの眼球はひとつは更衣室の出入り口を、ひとつは小窓を、ひとつは釜罪の肩あたりで浮遊している。「これがいちごの能力なの?」「そうよう」釜罪はひとつの眼球を自らの胸元へ移動させた。「さっきは言いそびれちゃったけれど、私の能力はふたつあるの。ひとつはこの子達、《
今までそこにいたはずの部室が――――消失していた。
会話のやり取りで気が緩んでいたのは間違いない。現に三者全員が呆気に取られた。柚乃下が瞬きをした刹那の間に、椅子も、ロッカーも、誰かが置いて行ったタオルも、一切合切塵もなく雲散霧消していた。見開いた目で辺りを見渡す柚乃下だが、どうやら消えたのは部室だけではないらしい。見れば彼らが通学を続けていた高校までもが、塵ひとつ残さず消失していた。残ったものと言えば、周囲を見渡す柚乃下と恋染、それに椅子から転げ落ちたような恰好で尻もちを地面についている釜罪――――そして。
「やァっぱこれが一番だよなァ。かくれんぼでも良かったんだがじゃねエし。ファッキンするなら、邪魔なモンは排除しなくちゃなア」
数十メートル離れた場所で、両手を広げ口許切り裂く――獅子の如き青年だけだった。
全身が総毛立つ。先ほど対峙したときとは明らかに纏う覇気が違った。恐ろしく鈍い動きで一歩、一歩と距離をつめてくる青年は、くつくつと嗤った。
「さて。仔兎チャン。退屈で退屈で仕方ねえんだ……」
ぴたり、と青年は歩みを止めた。広げていた腕をだらりと脱力した。柚乃下は震える膝を横から思い切り殴りつけた。痛みなど、今この瞬間にはどうでも良いことだった。未だ尻もちをついた格好で、彼と同じく青ざめている釜罪の服を掴もうと、恋染を押しのけ腕を伸ばす。一歩踏み込み、微かに彼女の衣類へ指が触れた。指先を器用に動かし、やっとのことで端を指先に引っ掛けた。
とりあえず。と。青年は。前。置きし。た。
まるで背骨が氷柱へ切り替わったかのような錯覚。全身の産毛に至るまで総毛立った。
釜罪は引っ張られた感覚を知り、柚乃下へと顔を向けた。恋染は既に彼らの近くにはおらず、青年へと向かって走り出している。柚乃下は釜罪の名前を――――。
「
かくして柚乃下潤、釜罪いちご、恋染初姫の三名は、散り散りにちょうど青年を中心に正三角形を描くように決められた場所へと刹那の最中には吹っ飛んでいた。残像すらも残るような驚異的な速度を保ちながら、彼らは大木や地面へ激突しながら彼方へ消えゆく。
ひとり残ったのは金髪の青年だけだった。だが先程までとは状況が違った。
逃げられた、のではなく。狩りのために、敢えて放ったのである。
猛獣が小動物を狩る際、全力を尽くす。
これはすなわち、そういうことである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます