012

 現在化け物と形容すべき存在から逃亡中の西室は、やっとの思いで身を潜められそうな森で停止した。護衛のためにつけていた男性たちの大半は、西城の驚異的な膂力と、引力の力と斥力を操作する《天地を繋ぐ鎖リパルアトラ》によって斃されてしまった。あらかじめ準備していた西室は、効かないとわかっていても懐から片手銃を取り出す。自然と呼吸が乱れ、自分が戦闘員ではないということを強く理解させられてしまう。くそ、と彼女は短く唾を吐いた。

 ————こんなはずじゃなかった……というか、アレは規格外すぎる。計算したのが無駄になってしまっている。

 護衛の部下を見捨て、囮として利用した彼女は現在ひとりだった。残っている戦闘員たちは現在進行形で攻撃を行っていることだろう。先ほどから森の奥で爆発音や木々が倒れる音が聞こえている。西室の為すべきことは、今、どうやって西城を戦闘不能にするかという無理難題へ対する挑戦だった。幾度と脳内で作戦を立てては却下する。自然と意識が音のする方から離れる。これもまた驚異的な集中力だった。自分ひとりでは成す術がないことは彼女自身も深く理解している。だからこそ、協力者が必要だった。ぽん、と肩を叩かれた。咄嗟に片手銃を突き出すが、銃身を向ける前に制される。

 ————あ。安全装置上げてない……。

「……この対処はまともですよ。私だってそうするでしょうね」銃身を片手で払ったのは燃杭だった。彼女は煤塗れの衣類を軽く払いながら西室と合流した。味方だ、と安心した彼女はどっと汗が噴き出したのを認識する。鼓動音が耳にまで届きそうだった。冷静な表情で幾度と激戦を潜り抜けた燃杭は、「状況を教えてください」と言った。少しでも動悸を抑えるために二度三度と深呼吸した西室は、ええ、と前置きして言った。「現在進行形で手も足も出ません。個人的には逃げたいです」「……敵前逃亡は協定違反です」「っしゃ! 今から血祭りにあげてやるぜ! ひゃっは!」「……無理をしないほうがよろしいですよ。似合っていませんから」どうやら自分はまだ動揺しているらしい。再度深呼吸をした。「ええ……すいません。アドレナリンが出て変なテンションになっちゃってます」「理解はできます。……あれと対峙するだけで逃げ出したくなる気持ちも、わかります」深夜の森で哄笑を上げながら孤軍進行している西城を想像し、ふたりは深いため息を吐いた。それで、と燃杭は言った。「アレに勝てる作戦は、結局のところどうなったのですか」先ほどの奇襲も失敗しましたしね。続けた燃杭は肩を上下に揺らす。「あれは挨拶みたいなものですよ……挨拶で大量の同志が死んじゃいましたけれど」「私も気を抜けば死んでいたのですが」ごめんなさいと軽く言った西室は、着崩したスーツの内ポケットに入っていた鉱石をじゃらりと取り出した。燃杭はいくつもの絆石を見下ろし、ほう、とひと言。いいでしょう、と言った西室は言う。「さっきまで一緒にいた同志の分です。化け物を斃すために必要な数には足りませんが……ないよりはマシでしょう」合計五つもの絆石。ひとり最低でもふたつは所持している西室の同志だが、あの戦闘の最中回収できたものはたったの五つだけであった。全員の能力を頭へと記憶している西室だが、組み合わせはまだしも、それぞれの持つ代償に関しては不明瞭である。代償というものは絆石に能力が宿ったタイミングで発生し、次に禍力を流し込んだ人物が強制的に取り立てられるものである。故に能力者でしか知り得ない事実でもある。代償には二通りの法則が存在する。西室は哄笑が微かに聞こえる場所から移動すべく、頭に思い浮かべている地理を想像する。彼女らが次に目指す場所は、遮蔽物が最も多い森の中だった。それでいて高所を位置取れる場所。このあたりで言えば展望台である。いったい誰の為に作られた建造物だったのか、今になっては不明だが、利用できるものは使う。「あなた、傷は大丈夫なのですか。直接確認はしておりませんが、確か西城の攻撃で吹っ飛んでいましたよね」後ろからついてくる燃杭は流血こそしていないが、足元が若干ふらついている西室を心配していた。対する西室は、ああ、と前置きすると、先ほどの五つとは違うひとつの鉱石を見せた。「あなたからいただいたこれで、なんとかなりました。なんでしたかねこれ…………《行ったり来たりブランコ》でしたっけ。なかなか使い勝手がいい能力ですね。ありがとうございました」「早速使っていましたか」なに、と燃杭は言った。「使ってくれればあの少女も浮かばれるでしょうね。して、代償はいったいなんなのですか」「ひみつです」「……深追いは協定違反ですね。私も私の代償は教えたくありませんし」ふたり同時に小さく笑った。《行ったり来たり》の代償に関しては現使用者の西室にさえ、不明瞭であった。代償には二通り存在する。ひとつは現在西室が所有する《行ったり来たり》や西城が持つ五つの能力全てに該当する。絆石へ禍力を注力した瞬間、絆石が代償として『何か』を奪う。それは形容しがたい形のないものであったり、物として物理的に失うことだってある。所謂、常時解放型と呼ばれる能力の呼称だった。そしてもうひとつは燃杭が持つ、《火を見るよりも明らかメプロテウス》のような種類の能力は、暫時解放型と呼称されるものである。文字通りの違いであり、半自動的に能力を展開するものと、自らの認識により能力を解放する方法の差異である。そしてこれらふたつは法則がある。常時解放型の代償は、代償として失うものは、初めの一回目だけであり、逆に暫時解放型は使用毎の支払いを要求されている。西室は自らも作戦の駒として利用している。その認識がある限りは、自らが失う代償になど、彼女は毛ほどの興味すら持たない。だからこそ、失ったものをきちんと認識しないで放置できている。

 さて、と西室は立ち止まり、中途半端に舗装されている展望台の下で燃杭を見た。「早くあの化け物をどうにかしませんと、グリーディさんに怒られちゃいますね」「そういえば、彼はいったいどこに行っているのですか。車で一緒に来ていましたよね……私を迎えに来たときには既にいなかったのですが」「あのひとは自由にさせたほうが扱いやすいのです」グリーディと呼ばれる人間を理解している燃杭にとって、今の発言は心臓に悪かった。大丈夫です、と少し狼狽した彼女を見かねて、西室は笑った。「あのひとが近くにいたら、巻き添えになる……そんなくだらない結末、私が許しません。死んでしまった部下たちに申し訳がないですから」「……まだ死んだとは限らないでしょう」「作戦終了時には燃杭さんの力でこの村一帯を焼き尽くす計画です。現在気絶している戦闘員の方々は、そのままお亡くなりになります。よって、私の計画は完璧ですね」「……民間人はどうするのですか」「え?」「————協定の範囲内です。命令を受諾いたしました」

 西室はひとつ背伸びをしてから、展望台の階段を上る。頂上に到着した際、送受信機トランシーバーを使って話しかける。短くひとつの命令を下した西室は、送受信機の応答がないことを理解すると、満足気に仕舞った。両手いっぱいに絆石を握り締める。見下ろす森は、彼女が想定しているよりも大きな破壊痕が見受けられた。

 ————人員の増加を要請しなければ……ま。死んだ人にはお給料を払わなくても良いので、使いたい放題ですがね。なんてお得なひとたちなのでしょう、便利ですねえ、傭兵という使い捨てカイロたちは。おっと倫理観倫理観。

 ひとつ大きな深呼吸をする。普段ならば自らが矢面に立つことはないのだが、今回に限り、例外とする。両手いっぱいの絆石へ、彼女はありったけの禍力を注力する。動悸が激しく、発汗が収まらない。やけにくらくらとする。喜怒哀楽の落差が激しく、近くに立つ燃杭へ寄りかかった。冷徹な眼差しのなかに、少しの優しさを垣間見た。

「————化け物退治です。あー、ゆー、おうけー」

 直後、ひときわ大きな音を立てて、木々が爆散した。彼女らが立つ展望台より、約五百メートルほど先での出来事だった。


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