マッチョ芭蕉
鈴木怜
この歌には、下の句は合わないですね
松尾芭蕉の弟子、
「ししょー! 最上川が氾濫して渡りの船が出せないそうですー!」
出先から宿屋に戻るやいなや、己の師に対して曾良はそう伝える。
後の世に、『奥の細道』として語り継がれる旅。芭蕉と曾良はその旅路の途中であった。
「氾濫、ですか」
指たて伏せをしていた芭蕉は自らの顎を撫でながら、考えるように言葉をひねり出す。その間も指立伏せは途切れない。片手指立伏せ。それが芭蕉の鍛練であり、体作りであり、日課であった。
「困りましたね……」
「困りました、でいいんですかししょー! 足止めですよ足止め!」
「しかし、通れないのであれば進みようがないではありませんか」
片手で指立て伏せを続けながら、芭蕉はそう返答する。
江戸の世には、現代日本と比べて、治水事業が進んでいなかったところも多くあった。最上川もその一つであった。
「しばらくこの宿でゆっくりするとしますかね」
「それがですねししょー、今は梅雨でしょう? いつ氾濫が終わるか分からないんですよ」
暦にして五月の終わり。当然、これは旧暦の五月である。梅雨の真っ盛りであるのは明らかであった。
「ふむ、なるほど……」
そうして、芭蕉は、曾良の耳を疑う言葉を発したのだった。
「では、渡ってしまいましょうか」
「へ?」
_____
松尾芭蕉が奥の細道と呼称した、あの長い旅路を歩き通せた理由は、芭蕉本人が筋肉の鍛練を怠ることのなかったマッチョ芭蕉であったからであるというのが定説である。
(民明書房刊『本当はこうだった日本文化史』より引用)
「ししょー! 本気ですかあ!?」
「当たり前ではないですか」
ごうごうと音を立てて渦巻く最上川を前にして、芭蕉は服を脱ぎ捨てた。
瞬間、鍛え上げられた肉体が露になる。
「ぬぅ、ん!」
――それは、まさしく芸術であった。
丸太のような腕、鉄板が入っているなかと見紛うほどの胸板、六つに割れ、それぞれが盛り上がった腹筋。そして、それらを支える大黒柱とも思えてしまうようなごんぶとの足が二本。
曾良が惚れた肉体が、そこにあった。
「とぅ!」
後世では、オリンピック選手も参考にしたとさえ言われるほど、無駄のない、それでいて美しい入水であった。
「優れた歌人であるためには、すべてを研ぎ澄ませねばならないのだ!」
芭蕉のスタンスであった。よい歌は、よい体からしか生まれない。センスも磨かねばならない。
その極地が、ボディビルと呼ばれるものである。
そして、芭蕉は、現代のボディビルダーと遜色のない肉体を作り上げていた。
木材すら流れてくる最上川。その姿は自然の凶器そのものだとも言えた。だが、芭蕉はそれをものともしない。木材が当たっても、石が流されても、魚がエサと勘違いして肉体を喰らいに来ても、すべてをはね除けて、芭蕉は進んだ。
「こんなところで、儂は終わっておれんのじゃ!」
芭蕉が吼える。同時に、その体が水面から跳ねた。
月まで届くのかと曾良が思うほど長い跳躍だった。
「ふう。ぬるいわ……いかんいかん、口調が」
芭蕉は、最上川を渡りきった。
「曾良さん、私と同じようにして渡ってくださーい!」
曾良は叫んだ。
「そんなことできるか!!」
____
翌日、奇跡的に最上川は乱れず、曾良は船で渡った。芭蕉からは鍛えるようにと指示され、あそこまでやらなきゃいけないのかとうなだれたのは言うまでもない。
そして、芭蕉が一人で夜を越した際に詠まれた歌が『五月雨を集めて早し最上川』である。なお、『それを越えるは
「この歌には、下の句は合わないですね」
マッチョ芭蕉 鈴木怜 @Day_of_Pleasure
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