第13話 敵

一人ぼっちの私をあざ笑うかのように鳥が目の前で糞を落とし、どこかへと飛び立っていった。




りりかにハブられてから、私は昼休みを非常階段で過ごすようになった。英単語帳を片手に、お弁当を食べるのだ。




ご飯を食べ終わると、持ってきた参考書を読み込み、時間が過ぎるのを待つ。教室はりりかの笑い声が耳に入ってきて、集中できない。その上、推薦組や就職組が多いこの学校では、空気が緩くて勉強できたものじゃない。




非常階段はあちこちが錆び、踊り場の隅には落ち葉や虫、鳥の糞などが塊になって転がっている。けれど、遠くに目を向ければ学校から切り離された社会の日常が目に飛び込んでくる。道路があって、車が走っていて、街路樹があって、家があってビルがあって、働く大人がいて、昼寝をする猫がいる。この景色だけが、最近の私の心の安らぎだ。




 ブオンブオンと鳴く室外機の音を聞きながら、私は世界史の年号を覚えていた。いよいよ始まるコンスタンツ会議。血の日曜日に毒をごちそう。十字組む十字軍。覚えても、覚えてもぽろぽろとこぼれてしまう。正直、世界史の深い中身なんて知らない。おもしろさも感じない。受験が終われば一切の記憶した言葉も年号も消えてしまうだろう。でも、それでいいのだ。良い大学に入れさえすればそれでいい。




 昼休みを終える予鈴が鳴った。赤シートを失くさないように世界史の参考書に挟み込み、重い腰を上げた。




教室に戻ると、また一段とぬめりつく空気が首元に巻き付いた。皆私を見ている。私はそれを気づかないふりしてお弁当箱を片付け、次の現代文の授業の準備を始めた。その時「優紀さん」と私を呼ぶ学年主任がドアから顔をだしている。




「ちょっと、確認したいことがあるんだけど」女っ気のないほぼすっぴんの顔が私に近づく。学年主任の着ているツーピースから防虫剤の匂いがした。


「えっ、でももう五時間目始まりますよ」私は黒板の上の時計をちらりと見て言った。




「すぐに終わるから。それに、現代文の中込先生には言っておくから」なんだか学年主任はいらいらしている。




「はい」と私は手にしていたノートを机の中に置き、立ちあがった。




先生に連れられてきたところは、四階の隅の進路指導室だった。六畳ほどのその部屋には、目が痛くなるほどの赤本と青本が壁際にずらりと並んでいる。部屋の窓には全て緑色のカーテンがかかっていて、ずしりと重たい空気が佇んでいた。




私と学年主任は部屋の中心に向かい合わせになるようにして椅子に腰を下ろした。




最近どうか、とか天気の話とか申し訳程度の世間話をしたのち、「さてと、先生は優紀さんに聞きたいことがあってね」と学年主任は横に置いていた帳簿を目の前に持ってきて、一瞬目を伏せ、再び私の顔を見た。




「はい」と私は返事をする。




「あのね、そんなことを優紀さんがするはずないんだけど」と前置きしたうえで先生はいきなり突拍子もないことを言い始めた。




「カンニングをね、優紀さんがしたんじゃないかって」




「は?」この先生は一体何を言っているのだろう。私は何も言うことが出来ない。




「いや、あのね・・・」と先生は話し始めた。




先生の言うことをまとめるならば、私がカンニングらしき行動をしていたという情報がたくさん来ている。先生は、私が今回のテストで順位がだいぶ上がったから、先生も不審に思う点がある。いいたいことはたくさんあるかもしれないけど、今回の決定事項として、私だけ今回のテストはなかったことに、つまり内申点には含まないことになった。それが学校の方針だから、先生はどうしようもない。優紀さんは不満かもしれないけれど、変えようがない。ということであった。




馬鹿げている。


本当に、馬鹿みたいだ。私は鼻の奥がじくりと痛んだ。




「優紀さんは、今までの成績がいいから、今回のテストを内申に含まなくたって評定はあんまり変わんないわよ」先生はおかしなフォローをしてくる。




「そうではなくて、」そうじゃない。私の頑張りが全否定されたことが悔しいのだ。「そんな、事実か否かも分からずに私を罰すんですか」




「先生も優紀さんがまさかカンニングするだなんて思ってないわよ。でもね、学校がそう決めたことだから」




「教育委員会に訴えます」私は今にも泣きそうだった。




「教育委員会に言ったらあなたの立場が悪くなるわよ。いい大学にいきたいんでしょう?それに、あなたが教育委員会に言ったところで何も変わらないわよ」




 学年主任は面倒くさそうに鼻から息を吐いた。


「そんな、泣かなくってもいいじゃない」




「泣いてません」私は下唇をかみ、何とか涙をこらえた。




「まぁ、そういうことだから優紀さんにお知らせ」




「りりかですか。りりかが言ったんですか」




「先生は知らないわよ。そういう情報があるって言われただけよ。あなたも、授業始まっているから早く教室に帰りなさい」




 先生はそう言って私を進路指導室から追い出し、どこかへと歩き出した。




 私は膝の力が抜け、廊下でしゃがみこんでしまった。




 なんで。なんで。なんで。なんでだ。なんでわたしばっかり。




 どうせりりかだ。りりかのせいだ。




 りりかの親は医者で、莫大な寄付金で学校の理事長と深くつながっていると聞いたことがある。それに、少し前にりりかは推薦で行きたがっていた大学に私も行きたいななんてこぼしたことがある。




それは、「私なりのりりかが好きで、りりかと一緒にいたいな」というリップサービスで本気ではない。でも、それを本当に思って、一人しかない指定校推薦を勝ち取るために私の成績を故意的に下げ、それにむかつく私をもっと痛めようとしたのではないだろうか。




 大丈夫、大丈夫。一般入試に内申点は関係ないんだから。それに先生が言った通り今回の点数が含まれなくても評定は他の人よりよっぽど良い点数なんだから。




今日は、帰ったら精いっぱい自分を甘やかそう。動画を見て、アイスを食べよう。




大丈夫。大丈夫。と自分を慰め、私はよろめきながらも自分の教室へと歩き出した。

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