第7話 青春違い
すり抜けてゆく風は光を帯びながらカーテンを揺らしている。
昼休み後の五時限目。クラスメイトは満たった腹と暖かく柔らかな光を引き連れて睡魔と戯れている。
今日は、梅雨時期に珍しい晴れの日だった。
自習とでかでかと書かれた黒板を後ろに、生物担当の中村先生は教卓の上で厚い文庫本じっと読んでいた。時々目の脇をポリポリとかき、中指で黒縁眼鏡をくいっと押し上げている。
クラスメイトは眠そうにしながらも、最後の数学のテストのためにせっせと問題を解いている。
私はというと、昨夜夜遅くまで勉強をしていたせいか、脳みそがぼうっとして勉強が身に入らないでいた。顎に手を当て、肘を机につき、目線を前に向けながら黒鉛の擦れてゆく音をぼんやりと聞いていた。
意識が薄まってゆく。表皮で体を包まれ、この世界から遠のいてゆく感覚に襲われる。
その時、後ろからシャーペンの先でつつかれた。グイっと胸ぐらをつかまれたように一気に現実世界に戻される。振り返ると、笑みを浮かべたりりかが小さな紙切れをひらひらさせていた。
私はそれを受け取り、前に向き直って開いた。
「ゆあっちへ
シャーペンずっと動いていないけど大丈夫かい?
わたしはもうオワッタ。数学無理。
晴美は完全に寝てるし(笑)
あのね、突然だけどゆあに一つお願い事があるの。
私、今日吉田に告白しようと思ってるの。ラインよりやっぱ直接が良いかなって思ってて、それでさ、ゆあが吉田に代理で告って欲しいの。
今日さ数学終わった後、早帰りで皆帰るじゃん?その時に吉田をちょっと引き留めて言ってくれない?私、まってるからその後結果を教えてー
ゆあっちが、一番信用できると思ってるから。
大親友のりりかより♡」
ルーズリーフに丸っこい字が綺麗に並んでいた。
代理告白?そんなの無理だ。
私はそろりと振り返って、目をらんらんとさせたりりかに小さく横に首を振った。
「無理だって」小さな声で私は言った。
「そんなことないって、大丈夫だから」
「りりか本人が直接言った方がいいって」
「いやー、私は無理。緊張で吐いちゃう。だかね?お願い」
「いやいやいや、私も無理だって」
その瞬間「おいっ」という声がした。
素早く振り返ると、中村先生が本から顔を上げ、こちらを見ていた。
クラスメイトの視線もささる。
私は「すみません」と小さく呟き、問題を解くふりをした。後ろの方からりりかの「お願いね」という声が聞こえてきたが、私は知らぬふりをし、シャーペンでノートの端をぐるぐると塗りつぶした。
私は教室を掃いていた。
箒は、長い間使い続けられたせいか、毛の部分がずいぶんすり減り、抜けてしまっていて随分と使いにくい。手を動かし、掃除をしているが頭のことにあるのは、さっきのりりかの告白のことばかりだ。
数学のテストもあまりできなかった。どうして、こうもりりかは自分勝手なのだろうか。りりかのグループによって得られる恩恵もあるが、同時にこんな面倒ごとにも巻き込まれることになる。
りりかが好きな吉田君は机の上に座り、同じサッカー部の仲間と大きな声でしゃべりながら、窓を新聞紙で懸命に拭いている安岡君を馬鹿にしていた。
「安岡って童貞?童貞だよな」と言いながら笑う声がこちらまで聞こえてくる。掃除時間に掃除しない、逆行を行く俺、かっけぇとでも思っているのだろうか。どうしてりりかはこんな奴が好きなんだろうか。
彼女にとって、彼氏というものはブランド品と一緒だ。彼氏がいるというラベル、そしてその彼氏がかっこいいというラベル、大学生と付き合っているというラベル、サッカー部のエースと付き合っているというラベル。
付き合うということ自体がポーズで、本当の話などそこには存在していない。ラベルを見せびらかすことに命を懸けている。
それなら、勝手にやってくれればいいのに私を巻き込んでくる。どうせ、付き合うことが出来たとしても数か月の恋人ごっこなのだ。まったく、くだらない。私は小さく呟き、掃く手をはやめた。
やっとのことで先生の長ったらしい話が終わった。
君たちは若いからとか、将来に向けて今のうちにとかなんとかかんとか。毎日そんな話ばかりしてきて疲れる。
学級委員長が起立、と声をかけ、私は椅子から立ち上がった。
そして、礼、の声と共に踏み出した。吉田君はサッカー部の仲間を連れていつもすぐに立ち去ってしまうから、早く声を掛けなきゃいけなかった。
学校という境界線を越えた高校生は放課後の空気を身に包み、皆顔を緩ませている。ざわめきに紛れながら一番後ろの窓側という特等席に座る吉田君に声をかけた。
「吉田君」
「うわぁ、びっくりした。優紀さん?どしたの?」吉田君は目を大きく見開いた。
「ちょっと、時間ある?」
「どうして?」
「少しだけ話したいことがあってさ」
「いいけど、何?」
「いや、二人っきりがいいんだけど」
私がそう言うと、音が切れ、次の瞬間にはおぉーという声がたった。サッカー部の連中がいつの間にか私たちのことを囲んでいた。
「えっと、まぁわかった」吉田君は私の眼と合わせずに、代わりに胸のリボンを見ていった。
告白?告白?吉田、よかったじゃん。おめー。と小さな声で周りがはやし立てる。
「と、いうわけでおめーら先に帰ってて」
告白を察してか、にやけ顔の吉田がサッカー部を追い払うように手をひらひらとさせた。
ひゅー。カップル達成じゃん。よっかたな、吉田。という声を置き、彼らは帰っていった。
りりかを含むクラスメイトの女子が私に目線を投げかけてきたような気がするけど、私はそちらの方向を見ることができなかった、
私は、非常に嫌な予感がして背中にじっとりと嫌な汗をかいた。
物事が悪い方向に傾いているのを感じる。しかし、いまさらなかったことに出来るはずもなく、私は「じゃあ、空き教室にでもいく?」と吉田君に向けて言った。
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