003
一見不規則にも思われる躰の揺れには、列記とした規則性が存在している。耳を塞ぐ拇程度の音楽再生機からは、まるで春風に押された飛沫巻き上げる激しい旋律が流れている。口許を覆う肉の塊。様々な悪臭が閉じ切った鉄塊のなかで残るとも消え切るとも云えない塩梅で漂っていた。本来は読書をしようと思い立ち、背負う鞄に数冊の古本を投げ入れ、都心の環状線に乗ったのが朝七時。改札を這入ってしまったのが間違いだったし、もっと言うのならば電車のなかで読書をするといった思考の矛先が誤りだった。当然通勤の荒波に揉まれた、ただでさえひと込みを避け続けていたのに、今日に限って、気まぐれの蟲が騒いだからだろうか、とうとう電車に乗ってしまった。当然腰を下ろせるわけもなく、現在吊革の冷たい無機質な部分を握って、背負った鞄を前面へ掛け直し、片手で読書を進めていた。読まなくてもよかったし、読んでもよかったが、曖昧な様子のまま鉄塊の化物の腹のなかで気後れしながらも読んでしまった。目の前にはひとり座席で口腔のなかを曝している中年男性が座している。あわよくばこの男性が到着した駅で飛び起き、出てゆかないものかなと考えざるを得ない。当然そんなことばかり考えているのだから、インクと黄色い紙面に集中できるわけもなく、ただ機械的な手続きの許、様々な表現を頭のなかへ記憶しているだけに過ぎなかった。こうまですると読書ではなく、ただの整理現象だ。愉快な気持ちになることはなく、寧ろ億劫というものだ。何度目からの嘆息。嗅覚を刺激する加齢臭と強い香水の匂い、私にとってどちらも好ましくないものだ。
さらに嘆息を続けていた。漫ろ笑みさえ浮かんだものだ。こうまですると幾分時間が経っていた。座していた中年の男性はひとつの駅の到着予告を聴いて、夢現の狭間から無理やり引き起こされあれよあれよと雑沓掻き分け下りて行った。普段運動をしない自らの運動能力を全駆動させて柔らかい座椅子の感触を楽しむ。脚を組んで胸許の衣嚢から煙草を取り出し銜えたところで思い出す。ここは電車で、しかも様々な人間が私を見ていた、なかには冷罵する学生の姿態すらあった。これだから電車は嫌いだ。最もこの場合は私のみが悪役で、周囲が善なのだろう。これも観測地を変更すれば逆転も然りであるが、子供らしい発想になるため慎む。遮光性の高い布を持ち上げ、外界を覘く。覘かれた外界こそ内界で、物理的な境など存在しない無色の線を空想してひとり冷笑してしまう。丁度電車は大きな河川にかけられた鉄橋を辷っていた。河川敷の緑が少なく、悠揚迫らぬ感情が湧き立つのは無辺際な世界を愉悦する性分からかもしれない。眼に見える命の数など高が知れている。遠くのものは辷る景色のなかでゆったりと移動していた。物体が近ければ近いほど流星の如く線となる物理法則、観測的法則を頭の一隅に押しやる。読書をしなければならない。一冊の古本を取り出して頁を捲る、完全に没入こそできないものの、終点に着する頃には一冊を読了し、腕に巻いた薄っぺらな落ち葉のような時計を見下ろした。時間にして約五十分といった具合。誰にともなく頷く、鞄に入れている古本は少なくともあと五冊はある。短中長編小説、哲学本、宗教本、読了できるまで行ったり来たりを繰り返そう。扉が開き一様に流れ下りる。河川の流水よりも濁っていて、沈下した汚泥よりも臭くって、新芽の如く麗らかな澄んだ濁流だった。頁を捲る、雑音を塞いだ。度重なる震動が心地好くもある。煙さえ摂取できれば他になにも云うことはないのだが。
蕎麦が構内で食せると知ってはいたが体験することになろうとは。味なんてものは非常に曖昧だった。何度目の往復だろうか、群青と橙が交互に折り重なった薄雲を見て読後感のたっぷり詰まった胸中を撫で下ろす。八時間ほどかかった読書なんてものは初見だった。途中電車は事故だったり、遅れであったりと片手で数えられる範疇には停止していた。改札口を出、周囲を瞥見した。目許に疲れを表している会社員や麗らかな表情を浮かべる学生たちで雑沓としていた。私も雑沓の一部だった。気怠く肩が重いと感じた、逆手で痛む箇所を揉みながら歩く。車窓から見上げた群青と橙の色合いは一層強まり、比率は群青が圧倒的に勝っていた。今日の体験を書いてみようと感じた。メモを取る習慣は私にはない。体験したもの、感じたもの、超自然的解釈という感動をできるだけ記憶する。同年代の同職業の彼に一度訊かれたことがあることを思い出す。憤慨や激情といった言葉を好む数少ない友人のひとりだ。対談形式で行われた取材のなかで、就中印象に残っている言葉が、雑沓から逃げ出し鬱屈とした路地裏に踏み入った際、空の落とし物を踏んづけた拍子に再生された。「忘れてしまわないようメモを取ったほうが確実だろう、そんなものを読む読者はさぞ悲しむだろうね、あやふやなものを読ませてしまう罪悪感は全体ないのかしらん」取材者の表情が翳り、曖昧な相槌ばかりを反芻させていた。質問をされた人物はどのように返しただろうか。判然と思いつく限りの言語の羅列を想起するも合致することがなかった。青い塵箱のなかから猫が飛び出す。視線が交錯したのは一瞬だった。熟れた果実のような双眸の向こうには間抜け顔のひとが立っていた。「メモを取ると、忘れてしまうんです」会話文の始まりが瞬間的に閃く。もしかするとこの場で思いついただけの言訳であるかもしれなかった。対談する私は吹かした煙を見上げて云った。「メモを取る行為で満足を得てしまう。これは極自然的な帰結ですよ、メモを取ると忘れない、と云いますが、それは本質に欠くものでしょう。忘れればメモを見れば済むとも解釈できます。ですがそれではいけないのです。満足してしまう自分にまったく満足できない。充足するのではなく充溢したいのです、あなたもきっとそうでしょう。小説を書く、物語を綴るという行為自体になんの意味もありはしない。思いついた出来事、見たことのある光景、経験したことのある思い出、それら全てが混然一体となり、吐き出すことによって自らを証明する。これこそが文学という道筋の大本であると、結論付けています」当時のネットの反応は冷ややかなものであったことも同時に思い出した。当たり前のことを話している、見下している、偉ぶっている、と冷罵された言葉を見て、彼女は些か心配そうに覘き込んでいた。とつおいつと画面を見たり私を見たりと繰り返す彼女を宥め、適当な話をして煙に巻いた。彼はは一様に物事の本質を理解できてはいないのだ、そんな奴らに私は嫉妬も憤怒もしない。文字によって固定化するということは、物事を写実的にではなく、自然的に表すということだ。似て非なる行為の先には破綻しか存在せず、だが世界というものは矛盾を愛し、破綻へ溺れる。私はそのようなことはしたくない。見たままの光景を書き、話したままの会話を書き、結果として存在する事実を書きたい。これは自伝的な話にもなり、世間はこんな私の話など、聞きたくもないのだろう。私も、諸君らの悩みや喜びなど、毫も興味がない。一隅にすら値しない情報だ。入り組んだ路地裏の道中には、剥がれかかった壁が酷く億劫になるほど憐憫さを伴っていた。頤を上げる、屹立とした建物の間から見える濃淡の黝い空。星は下界の光線に燃やされ翳すらなかった。帰宅して湯舟に浸かろうと思いつく、亦は黴臭い銭湯にでも行こうかしらん。いつしか脳裡に浮かんでいた過去は消え、友人の顔も失せた。地面を打つ旋律、なにゆえか私は喜びを感じていた。
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