第5話 歪(ひずみ)

警視庁情報管理室内に怪しい人影があった。その人影は、若葉だ。若葉にはずっと違和感を感じていることがあった。それは、2年前ある街に侵攻をした時の事。


 「珠寿! おいしかっりしろ!」

 「若…ちゃん…」


若葉が切りつけ、倒れてしまった女性の身体を摩る男勝りの女性を見つめている若葉。そして、切りつけた女性がこちらに手を伸ばし何かを言っているが、詳しく聞き取ることはできなかった。


 「クッソ…。ごめんな…」

 「若葉さん! もうこれ以上は!」

 「え? あぁそうですね。引き上げましょう」


侵攻の統治を任されていた若葉は、部下の言葉をきっかけに撤退をする判断をした。


 「クソ野郎! これがお前らの正義なのか! 望んでいる平和なのかよ!」


男勝りの女性がその言葉を吐いた時、若葉の心は曇り始めた。そしてその侵攻後、葵が警察から去ったことや極楽町で会った万年青の姿、葵の言葉。それらが、若葉の頭に横切り続けていた。そのため、自分が侵攻した際の資料を探しているのだ。


 「あった。これだ、俺が出陣した時の資料…。でも、なんだこれ? それにこれも! 大逆罪…?」

 「誰だ!」


大きな声に驚くあまり、手に持っていた書類を落としてしまう。動揺を隠せず辺りを見渡しているとそこには風間の姿があった。


 「か! 風間さん! いや…ちょっと調べごとを」

 「そうだったのか。すまないなら俺はまた後でにするよ」

 「待ってください!」


部屋から立ち去ろうとする風間を呼び止める。


 「なんだ?」

 「これについて教えてください」


風間に資料を見せると、顔が少し曇った。


 「これは、お前が出陣した時の資料だろ? 俺よりもお前の方が詳しいはずだ」

 「だからですよ。僕が書いた他の資料と違ってこれだけ内容が変わっているんです」

 「変わってる?」

 「はい。死傷者の女性の名前を見てください」

 「福冨朱寿。それが…どうかしたのか」


風間の声は、震えていた。


 「葵の恋人の名前なんです。風間さん…警視総監はそれを知ってて僕をあの場所に出陣させたんですかね」

 「さ…さぁな。俺にはさっぱり分からない」

 「嘘ですね。風間さん」


若葉に嘘を見抜かれたことに動揺は隠せない。風間は朱寿の件を知っていたのだ。紫苑の指示のもと、それを隠蔽するために、死傷者の欄から名前を消していたはずだった。しかしそれは、誰かに直されていたのだ。


 「若葉…」

 「許せない…。僕も…警察も」


若葉の怒りは沸々と湧いていた。


 「確かめに行きます」

 「行くってどこに?」

 「警視総監のところに決まってるじゃないですか!」

 「おい! 待て!」


風間は引き留めようとするもその勢いを止められない。ただその背中を見つめることしかできなかった。

 

 「一体…誰が」


風間には何が起き始めているのか理解が追いつかなかった。自分が捏造したはずの書類が修正されていることそして、それを若葉に見られていること。それはまるで、誰かに仕組まれている様であった。


同時刻、警視総監室で紫苑に異変が起きていた。


 「あぁ! 何故ですか! 何で私をそんな目で見るのです!!」


紫苑は時々、戦時中の同僚や上司の幻覚を見て魘(うな)されることがあった。誰もが、紫苑のことを軽蔑した眼差しで見つめている。その光景は、紫苑にとって耐えがたい苦痛である。


 「紫苑! おい! どうした!」


紫苑の声を聞き、勢いよく部屋に入ってくる夏褌。暴れている紫苑に駆け寄るが、勢いよく突き飛ばされてしまう。


 「あぁ! 触るな! 私の何が間違っているのです! 部下の若葉に友の思い人を殺させたことですか? それとも戦争をもう一度起こそうとしていることですか?!」


紫苑の中には、国の要求と自分の正義という相反するものが入り混じっていた。


 「紫苑! 落ち着け!」

 「ごめんなさい…。ごめんなさい…。私が、代わりに死んでいれば…」


戦後、その場所は春の陽気を感じることができない程、焦燥感に満ち溢れていた。『ザヴン!』という船が海水を掻き分ける音が響き渡る。戦死する仲間が大勢いる中生き残ったことに対する罪悪感。それが、紫苑を襲っていたのだ。

 

 「久しぶりだな紫苑。よく生き残ってくれていたな」

 「そういう光輝こそ。」


夏褌の目に映る紫苑は憔悴しきっており、とても小さく感じられた。ただ、壁にもたれ赤子を抱きかかえているだけで、口数もいつもより少ない。


 「誰ですか? その可愛い赤子さんは?」


しゃがみ込み、目線を合わせ威圧感を与えないように気遣う。


 「恩人の子だ…。俺なんかを助けたばっかりに…」

 「死んでいった仲間も誰もそんなこと思っていません。 考えすぎです。」


戦争は死と隣り合わせ。いつ誰が何処で死んでしまうかそれは、神のみぞ知ることである。誰が生き残ろうとそれを責める資格は誰にもあるわけではないのだ。だが、死んでいった仲間に対し心無い言葉を掛けるものは居た。


 「それにしても、最後の侵攻は本当に必要あったのかよ。あの侵攻で死んだ奴ら犬死だよな」

 「あぁ。あの判断は馬鹿げてたな」


そんな会話がいたる所で聞かれていた。そして、その声は紫苑にも届いた。


 「何だと…」


その言葉を言う紫苑の目を見て、花園は身体中に寒気が走った。なんとも言えない憎悪と絶望に満ちた目がそこにはあった。それからというもの紫苑の横行が始まった。



 「紫苑!」


夏褌は紫苑の静止を試みるが、暴れる紫苑を止めることは難儀だ。結局腕を振り払われ顔を殴られてしまう。その時だった。


 「やっぱり…そうだったんですね。夏褌さん」


振り向くとっそこには悟った様子の若葉がそこには居た。


 「若葉! どうして?」

 「葵の言葉がどうも引っかかって調べました。大逆事件や俺が出陣した時の事全部」

 「そ…そうだったか。それで…紫苑にその真偽を直接聞こうと思ったわけか」

 「はい。それで…説明してくださいますか」

 「外で話そう」

 「今おねが!」

 「外に行くぞ! 杜! 来い!」


夏褌は杜の腕を掴みながら強引に部屋を後にした。2人が居なくなった総監室は扉が『パタン』と閉まると同時に絶望が立ち込めた。


 「はは、ついに…杜にまで気付かれてしまったのか…。すみません…。俺は、間違っているのですか…? 大佐…教えてください。」



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