締めるべきか、否か

「二十万か・・・」

と姉が言った。高田氏が提示した代価である。幸に彼を締めさせることへの報酬が、二十万円。

 考えさせてください、と伝えて即答は避けた。ただでさえ、慣れない商売でどんな問題が起こるかもしれないと、びくびくしながらやってきている。こんな、いかにもトラブルの種をはらんでいそうな提案には、乗りたくない。しかしやはり報酬の金額に魅了されている事は否めなかった。それだけあればアパートの家賃が五か月分まかなえる。

 幸の引き取り手は、ずっと探してはいるものの、よい返事がもらえたことはまだ無い。「飼えなくなった爬虫類のペットを引き取ります」とサイトに書いている爬虫類カフェにも連絡を取ってみたが、幸の大きさを聞くと、「今、大型のケージをこれ以上、用意できない状況でして。しばらく後でしたら、また状況が変わるかもしれないんですが」という返答だった。

状況が変わるとはどういうことなのかと聞いてみると、要するに、今いる大型の蛇が死んだら、ということらしい。それを聞くとなんだか物悲しくなった。死んだ蛇の代わりに、空いたケージに入れられる幸。一日も早く、厄介者とさよならしたいと思っているはずだったが、そんなところに幸を送り込みたくないとも感じる。自分でも自分の感情がわからなくなった。

ひょっとして、そのカフェの経営者が大変な爬虫類好きで、幸をこれ以上ないほどかわいがってくれるのであれば、随分気は楽になるだろうとは思うが。

引き取りの打診は、全く手ごたえが無かったわけではない。もらい受けたいという連絡が、実は一件来たことがあった。しかし、蛇を飼ったことがあるか、設備はあるのかと聞いてみると、どちらもないようで、具体的にどう飼うつもりかという考えもはっきりしていない。まずは色々とお調べになった上で、また連絡をくださいと伝えたが、その後は音沙汰がない。このまま行くと、幸の寿命が尽きるまで世話をしなければならないかも知れない。気が遠くなる。

 ネットで探してみると、野生のアナコンダが人やペットを絞め殺して食べた事件は何件も起こっている。しかし、誰かが襲われたことに気付いた人達がアナコンダを攻撃すると、それ以上獲物に執着したり、人々に対し反撃したりすることなく、獲物に巻き付けていた胴をほどいて逃げていく。だから高田氏が助けを求めたらすぐに、幸を引きはがしにかかれば、それ程危険なことはないのではないかと思わせた。

 うまく行けば、二十万だ。やってみる価値はあるのではないか。

 同時に、警戒警報も自分の中のどこかで鳴っている。私は二十万に釣られて判断能力を失っているのではないか。

「ねえお姉ちゃん、小唄って知ってる?」

と声をかける。姉は、

「いきなり何?」

と笑いながら、

「三味線を弾きながら歌うんでしょう。宴席とかで?」

と言った。姉が知っているのはその程度らしかった。もちろん私も大して知識があるわけではない。

「前に、小唄のパンフレットを英訳するのを頼まれたことがあって」

「へえ」

「その中に、『貧すりゃ鈍す 二つ玉』っていう歌詞があってね」

 翻訳している時に、参考にするため小唄の師匠が歌っている動画を見た。覚えている節回しでその部分を歌ってみせる。

「どういう意味?」

「貧乏すると、頭の働きも鈍くなるっていう意味。ヒンとドンはセットなんだという意味」

「ふうん。まあ分からなくもないね。生活に汲々としていると、目先のことしか考えられなくなるっていうことでしょ。皮肉が効きすぎてるよね」

「そうね。でも、今、そうなってるんじゃないかと思って怖いんだよね。二十万のことで」

 姉は考え込む顔つきになる。

「結局、危険性がどのくらいあるかってことだよね。二十万に浮かれて、危険に目をつぶるのがまずいってことでしょう。高田さんに危害が及ばなければ、ちょっと変わった嗜好の人を満足させてあげて、こちらは報酬をもらえて、WIN-WINでいい話ではあるんじゃない」

 姉の言葉を聞いて、それに影響されたのか、私の考えもだんだんと固まっていった。

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