しんどれらコンプレックス「賢いお姫さまの冒険」

 むかしむかし、あるところに小さな王国があり、そこには小さなお姫さまが一人おりました。この王国は数百年前に大国の革命の余波で独立した国で、独立以来長いあいだ平和な時期が続いていました。35代目の今の王さまとお妃さまの間に子どもが長らく生まれなかったこともあり、ただ一人生まれたこのお姫さまはたいそう可愛がられていました。

 お姫さまは物語を聞くのが好きで、幼い頃には両親をはじめに養育係のじいや達にも様々な物語を聞かせてもらっていました。少し大きくなると大人たちも読んでいるような国中の本を読み始めました。王さまとお妃さまは大喜びでたくさんの本をお姫さまに手渡しておりました。

 九歳の誕生日を迎えたある日のこと、お姫さまは夢を見ました。その夢では喋るカエルが現れ、お姫さまに向かって「冒険に行け」と言うのです。こんなことは初めてだったので不思議に思ったお姫さまは、まずお妃さまに相談することにしました。

「お母さま、今日ね、夢にカエルが出てきて、冒険に行けって言ってきたの」

「冒険なんて! とんでもない!」

 一人娘としてお姫さまを大切に育ててきたお妃さまは、お姫さまの言うことならなんでも聞いてやりたいと思っていましたが、同時に女の子は素敵な王子様と結婚することで幸せになるのだと強く信じてもいました。お姫さまは、お妃さまのそうした考えを聞くたびにどこかモヤモヤしたものを感じていましたが、そういうものなのかなと飲み込んでいました。この時も、カエルの口にした「冒険」という耳慣れないものに魅力を感じていましたが、お妃さまの様子を見るとそんなことは言い出せませんでした。

 数日後、お姫さまはまた夢を見ました。今度は以前のカエルに加え、ヘビとカラスとが声をそろえてお姫さまに語りかけてきたのです。

「お姫さま、僕たちと一緒に冒険に行くよ! 王国を出るんだ」

 お姫さまは、この狭い王国を出るという提案に少なからずワクワクしましたが、動物たちが話しかけてきたことに恐怖をも感じ、今度は王さまに相談することにしました。

「お父さま、今日ね、夢にカエルとヘビとカラスが出てきて、王国を出て冒険に行かないかって誘ってきたの」

「王国を出るだって? さすがにそんなに危ないことは許せないぞ。この王国にいれば安全で幸せなんだ」

 ご先祖さまの代から長年この国を平和に保ってきた王さまとしては、危険な諸外国のなかで唯一安全な国が自分の王国なのでした。また、最近勢力を増してきた隣国の王子の好青年ぶりが聞こえてきており、婿として迎えることでお姫さまの幸せと自国の強化との両取りを考えていたこともあり、冒険ということには賛同ができませんでした。

 王さまとお妃さまの二人ともから駄目だと言われてしまったお姫さまは、数日間冒険のことを忘れて遊んでいました。しかし、この小さな国でできることは限られており、小さな頃からの遊びには次第に飽きてきて、お姫さまは冒険への憧れを募らせていきました。

 そうしている間に三年が経ち、お姫さまは例の隣国の王子さまと結婚することになりました。挙式の前に何度か会う機会がありましたが、王子さまがあまりにも狩りの自慢しかしないので、お姫さまは結婚する前であるにも関わらず嫌気がさしてきてしまいました。一度だけですが、機嫌が悪かったこともあり、「それが実際に何の役に立つのかしら?」と冷たく聞いてしまったこともありました。さすがに礼を失することとして王さまにひどく叱られてしまいましたが。

 そんないきさつがあった為に、王国を挙げた絢爛な結婚式が行われる前日になってもお姫さまの心はいまひとつ晴れませんでした。「本当にあの人と結婚することで幸せになれるのかしら」「お父さま、お母さまは本当に私のことを思って愛してくださっているのかしら」など、そんなようなことがぐるぐると頭の中を巡ります。そのうちにお姫さまは考え疲れて眠りに落ちてしまいました。

「久しぶり、迎えに来たよ。行こう」

 この時、お姫さまの夢の中に思いがけない訪問者が現れました。その声にどこか聞き覚えがあるように思ってお姫さまが振り向くと、そこにはとても素敵な騎士さまが三人、連れ添っていたのです。彼らはお姫さまに向かって手を差し伸べていたかと思うと、ふっと消えてしまいました。

 目を覚ましたお姫さまは、とても懐かしくあたたかい気持ちに包まれしばらくぼうっとしてしまいました。

「お姫さま! お時間ですが起きておられますか?」

 小間使いの声によって白昼夢も覚め、お姫さまは今日が自分の結婚式であることを思い出しました。それからは様々な支度で大忙しでした。

 鐘が12回鳴り響き、いよいよ国を挙げたお姫さまの結婚式が始まりを告げます。大臣たちは皆着飾り、小国ながら絢爛な式でしたが、お姫さまは上の空で今日の夢と冒険について考えていました。

 いよいよ司祭さまによる結婚の誓いが行われようとしていた時です、大きな音がして、宮殿の扉が開きました。参列者は全員揃っていたはず、王さまさやお妃さまが怪訝な顔を見合わせていると、ぴかぴかの甲冑に身を包んだ三人の騎士が入ってきました。

「まあ、夢の時のあの騎士さまだわ!」

 お姫さまは驚きを隠せませんでしたが、幸いにもこの場の全員が突然の闖入者である騎士たちに注目していたため、気付かれることはありませんでした。

 宮殿を沈黙が支配する中、騎士たちは玉座のもとへ歩みを進めます。玉座まであと十歩ほどという所になって、両脇にいた二人の騎士は立ち止まり、中央の一人が玉座へと向かいました。中央の騎士は玉座の下に跪くと、口を開きました。

「王さま、結婚式の最中に失礼いたします。私は夢の騎士。お姫さまの夢のなかでのお告げによってお姫さまを貰い受けようと存じます」

 夢の騎士という言葉に宮殿がどよめきます。夢の騎士とは、古くに伝わるある伝説であり、しきたりなのでした。

「そなたが夢の騎士であると言うのならそれは尊重せねばなるまい。しかし姫はここにいる隣国の王子と結婚するのだ、連れ去られては困る」

依然として困惑している王さまも、この国の主としてなんとか答えます。しかし騎士も譲りません。永遠に続くかと思われた堂々巡りの押し問答にケリをつけたのは、意外にも、渦中にありながらいないもののようになっていた王子さまでした。

「夢の騎士は由緒あるしきたり。彼が姫を冒険へと連れて行くと言うなら私ごときにどうしてその邪魔ができましょうか。王さま、ここは私が身を引こうかと思います」

 実は王子さまは国元に許嫁がおり、お姫さまとの結婚は両親に命じられた政治的なものでした。彼は夢の騎士を理由にすれば許嫁のもとへ帰れると思いついたのです。

 王さまも、王子さまからこう言われてしまってはどうしようもありませんでした。しぶしぶ許可を出し、こうしてお姫さまは三人の騎士と共に冒険へ行くことになりました。

 王宮から外へ出たお姫さまは大喜びでした。このままなら一生出ることはできないかもしれないと思っていた王宮から出て冒険へ行くだなんて! 王さまやお妃さま、大臣のおじいたちと別れることへの寂しさもありましたが、それよりも独り立ちの喜びが勝っていたのです。

 王宮を出てしばらく行くと、騎士たちの体が次第にもやに包まれ、気付くと彼らはカエル、ヘビ、カラスという動物へと変わってしまいました。そこでお姫さまは結婚式の日に見た夢の騎士と、その三年前に冒険へ誘った動物たちの正体が同じであることに気付き、驚くとともに笑い転げました。小さな動物たちが自分を連れ出すために騎士となっていたことに愛おしさが溢れてしまったのです。

 さらに歩くと、小さくこぢんまりとした農家を見つけました。お城から出たことのなかったお姫さまはそろそろ歩き疲れていたこともあり、少し休ませてもらおうとそのお家をノックしました。

「ごめんください! 旅の者ですが少し休ませてもらえませんか」

 お姫さまはこういう時には身分を明かす必要はないということを本能的に心得ていました。ノックに応え中から出てきたのは、瘦せこけ衰えたおばあさんでした。

「まあ、ようこそこんな所へ……何もないけどそれでよければゆっくり休みなさい」

 お姫さまが家に入ると、家には家具などがろくに無く、どこか荒らされたような形跡も見え隠れするようなひどい状態でした。そのことについておばあさんに聞くと、「少し前から森の奥に魔女が棲み付いてねえ、ここら辺のもんはあいつに困っているんだよ」ということでした。

 充分に休息を取ったお姫さまがおばあさんに感謝してそのお家を出た時、お姫さまの心には魔女というものへの興味と憤慨の気持ちが芽生えていました。

 ずんずんと森に向かって歩いて行くと、潰れかけた小屋の前にしゃがみ込んで呆然としている男を見つけました。

「こんなところでどうしたの?」

 もしかしてこの男の人も魔女の被害者なのではないか、と思ってお姫さまが男に尋ねると、まさにその通りなのでした。

「魔女が、魔女が……森の奥の魔女に女房を呪い殺され、その上うちを潰されたんでごぜえます……」

「やっぱり! そんなことは許されないのに!」

 お姫さまは、王さまによって平和で幸せだった小さな王国が魔女によって壊されかけているということに我慢がならなくなりました。それからは脇目もふらずに森を進んでいき、魔女が棲んでいるとされた森の奥へと向かいました。道中に、いつ崩れたのかも分からないような、大木で作られた門の残骸を通り抜けましたが、お姫さまはそのことに気付きませんでした。

 鬱蒼とした森のさらに奥深くに、その魔女の家はありました。この家は、森の奥深くにあるにも関わらず、小さな王宮ほどもの絢爛豪華さを誇っていました。

 お姫さまは、どういうつもりでこの国の民を虐げるのかを、魔女に問いただすつもりでした。そのため、門の前に立つと大きな声で呼ばわりました。

「魔女よ、門を開けなさい! 私はこの国の姫です。お前に聞きたいことがあります!」

 お姫さまはこういう時には身分を明かした方が効果的なのだということを本能的に悟っておりました。しばらく待つと、門は音も立てず自然に開きました。お姫さまとその一行は、魔女の館の中へと入っていきました。

 不気味なほどの静けさに支配された長い廊下を歩いて行くと、突然視界が開け、そこには一人の美しい女が座っておりました。この女こそが魔女なのでした。

「いらっしゃい、お姫さま。我が館に何用でしょう?」

 魔女の声は不思議に低く、果たして男なのか女なのか、一人なのか二人以上いるのか、そもそも人間なのかどうかすら判別の付きかねる蠱惑的なものでした。お姫さまは見たことのない生物を見てしまった驚きに駆られていましたが、勇気を振り絞って口を開きました。

「ここに来る途中であなたに全てを奪われた民を見ました。王、そして私のいるこの国でそのようなことは許されません! なぜそのようなことをしたのですか」

 なんとか応対している風のお姫さまに対して、魔女には余裕があります。何もなかったはずの虚空から煙管を取り出し、くゆらせながら答えました。

「なぜと聞かれると……うーん、愉しいからとしか答えられませんわ。————こちらからも一つ聞かせてもらおうかしら。王さまが尋問なさるならまだしも、何の権利もないあなたになぜわたくしが糾弾されなければならないのでしょう?」

 彼女の言うことももっともでした。現状お姫さまは王さまとお妃さまの間の子であるということ以外になんの権力も持っておりません。お姫さまはしてやられたことに気付きました。同時に、自分が今までいかにこの国そのものに向き合ってこなかったのかも。

「————分かりました。また会いましょう、魔女よ」

 お姫さまはまた暗く静かで長い廊下を通って、魔女の家から出て行きました。魔女に自分が無力であるということを痛感させられたお姫さまには、宮殿に帰ってやらなければならないことが山ほどあったのです。冒険はもうおしまい。

 しかし、世界はそれほど甘くありませんでした。

 ほんの少しのやり取りでしたが、それでも魔女は、お姫さまの聡明さに気付きました。純粋で正義感の強い彼女には自分の魔法が効かないであろうことと、そしてこのまま真っ直ぐに育てば必ず、自分の邪魔をする存在になるだろうことにも。

 そこで魔女は、お姫さまが館を出るとすぐに、王宮へと移動しました。そして彼女は、まさにこれが自分に与えられた天分であるとでも言う様に満面の嗤いをたたえながら、宮殿に入る人々に次々と魔法をかけていき、あっという間に玉座の前にまで辿り着きました。

 王さまと対面した魔女は、先ほどのお姫さまの持っていた精神力と王さまのものとを比較して、面白く思えてきてしまいました。王さまはお姫さまを愛してこそいましたが、先祖代々続く平和に慣れきっており、理想も目標も持ち合わせていない、空っぽな人物だったのです。この様な人を魔法にかけるのは、魔女にとって非常に簡単なことでした。

「王さま、わたくしは森の魔女でございます。心血を注いで王さまに尽くさせて頂きますわ」

 魔女が魔力を込めて王さまを見つめ、こう言うと王さまはたちまちに魔法にかけられ、魔女の言いなりになってしまいました。

「魔女よ、頼りにしておるぞ」

 とろんとした顔で王さまはこう述べました。

 そこからの魔女の行動は迅速でした。王さまの脇にしなだれかかり、自分にとって都合の悪いことを、あることないこと言って次々に処理していきました。お姫さまの帰りを心配していたお妃さまは、上手く魔法をかけることができなかったので、大臣と姦通していたという噂を王さまに吹き込み、処刑させました。その他にも、お姫さまの養育係を務めていたじいやや、口うるさい大臣連中もまとめて処刑されました。

 ひと月も経たない間に、王国には、魔女の言うことに逆らったら殺されるという暗くて重い空気が充満していました。

 一方その頃、お姫さまは森から出ることができずに苦労していました。どんなに歩いても森から抜けることができないのです。お姫さま一行は、どんどん疲弊していきました。

 疲れたお姫さまが地面に座り込んだ時です。突然ぎゃっという声が響き渡りました。お姫さまが地面を見るとそこからは、小さな腕が一本飛び出していました。驚いたお姫さまが地面を掘り返すと、「助かった!」という声とともに小人が出てきました。

「いやー、魔女に閉じ込められちゃって。人間だけが解除できる呪いだったから一生解けないかと思った! おや君は————そうか、君もこの森に閉じ込められたんだな? この呪いは……どうやら僕とならここを出られそうだぞ。よし、行こう!」

 お姫さまが早口の小人に圧倒されている間に話はどんどん進んでいきます。しかしお姫さまも疲れていたこともあり、小人の言うことを素直に聞きいれました。

 小人と手を繋いで数歩歩くと、来るときにお姫さまが見逃した例の古い門に出ました。

「よし、出られたぞ」

「————本当に?」

 半信半疑だったお姫さまですが、さらにしばらく歩くと見覚えのある王国の光景が広がり、森から脱出することができたのだということを実感しました。

「まあ、本当に出られたのね! どうお礼をすればいいのでしょう……ひとまず宮殿へと行きましょうか」

「宮殿ってあの宮殿かい? ずっと憧れてたんだ」

 お姫さま一行と小人は、森から抜けられた嬉しさで、王国が様変わりしていることに気付きませんでした。森は魔女の呪いによって時間の流れが変えられており、お姫さまたちが脱出した時にはもう三月が経過していました。つまり、国内は既に魔女によって掌握されていたのです。

 お姫さまたちが宮殿に到着すると、たちまち黒い鎧に身を包んだ騎士に囲まれ、捕縛されました。お姫さまがどんなに自分の身分を訴えても、聞く耳を持ってはもらえませんでした。

 そして、カエル、ヘビ、カラスと小人はそれぞれ牢屋へ入れられ、後ろ手に縛られたお姫さまは玉座の前に引き出されました。久しぶりに故郷の宮殿に戻ったお姫さまの眼前に広がっていたのは、どんよりと暗い雰囲気の玉座の間と生気を失って昏い目をした王さま、そして我がもの顔に振る舞う魔女の姿でした。

 魔女はあの時と同じように煙管をくゆらせながら、お姫さまに語りかけました。

「また会いましたね、お姫さま」

 お姫さまは、俯きながら言いました。

「私の負けってこと……?」

「そうですね」

 魔女は薄く微笑んでいます。

「私が悪かったの?」

「そうとも言えますし、そうでないとも言えます。私はね、あなたが怖かったんですよ」

 お姫さまは唇を嚙みました。王さまが助けてくれないことは明らかでした。お妃さまも出てこない様子を見ると、王さまと同様に魔法にかけられたか、殺されたかなのでしょう。聡明なお姫さまは自分にできることは何もないのだと悟ってしまいました。

「……殺しなさい。私を、殺して」

「あなたの娘がこう言っておりますわよ、我が君」

 魔女は王さまへと矛先を向けました。あくまで自分が手を下すつもりはないのです。

「そうせよ」

 王さまは、何も見えていないかのような昏い目で、そう言いました。魔女が合図をすると、黒鎧の騎士がやって来て、お姫さまを連れて行きました。

 それから三日もしないうちにお姫さまは処刑されたといいます。捕らえられたカエル、ヘビ、カラス、小人も、お姫さまと通ずる謀反人だとして、次々に殺されていきました。

 小さくも平和で幸せだった王国は、数か月の内に魔女に支配される独裁国家となりました。魔女は数年王さまを操って好き放題した後、飽きたと言って生き残っていた者を全員殺して別の国へ行ったと言います。

 しかし魔女の虐殺をなんとか逃れた一人の吟遊詩人が、この王国の命運を哀れに思い、歌に残しました。その歌によって我々にもこの王国が滅んだ経緯が伝わっています。



  むかし 平和な国と 幸せな王族あり

  姫 冒険に赴くも 魔女と遭遇せり

  魔女 姫を危険視し 王を誑かせり

  魔女と狂王の手により 諸人 殺され

  小国 たちまちに滅べり

  なお 姿を消した魔女の行方 未だ不明なり

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