浮舟の儀 其の五


 演舞の際に楽器を演奏していた楽団が演奏を再開する。格式高い音響の中、旗を持った近衛兵が仰々しい動作段を下りて花道を練り歩く。


 照良は松山大佐と共に階段を一段一段踏みしめるような足取りで前を行く旗持ち役の近衛兵の後に続く。事前の段取りでは照良達の後ろに竜胆殿下か続かれて、その後ろに近衛兵二人が横並びで続くことになっている。姿こそ見えないが、自分の後ろに尊い血筋の方がいるという事実が照良の胃を締め上げた。


 灯華の古典音楽の演奏の中、一歩進む度に太鼓の音が鳴り響く。その音に妙な物足りなさを感じた照良であったが、比較対象が『祥風』の主砲の砲撃音であったことに気付いて思わず苦笑しかけた。


 国家にとって重要な儀式の際に笑っている奴がいたら相当目立つだろう。ましてや、今回の儀式の主役たる竜胆殿下の前にいる人物なら、なおさらだ。照良はぐっと歯を噛み締めて正面を見据えた。


 埠頭に停泊している内火艇は戦闘艇よりも一回り小さい。浮遊筒とエンジンやプロペラなどが付いた構造体に船体がぶら下がっている形状をしている。


 内火艇に乗り込むためのタラップの両側を挟むように微動だにしない下士官が二人背を伸ばして並んでいる。よく見てみれば緊張のせいか手足が細かく震えている。その様子を見て、照良はなんとなくではあるが気分が楽になった。


 松山大佐が立ち止まり、下士官たちに敬礼を取る。照良もそれに倣う。見えないが、竜胆殿下や近衛兵たちも同じく敬礼をとられたに違いない。下士官達これ以上無いほど固くなったのが見て取ることができた。


照良達の前を歩いていた旗持ち役の二人は左右に別れて、下士官たちの前に立つ。


 いよいよ、始まる。そう思い、照良は唾を飲んだ。


 最初に照良と松山大佐が内火艇に乗り込んだ。足を踏み入れると同時に船体がグラグラと不規則に揺れた。


 浮遊筒が両舷に半ば埋め込まれている駆逐艦などとは異なり、内火艇は浮いている動力部に船体が吊るされている形である。その構造から乗り降りの際によく揺れるのだ。


「ご乗船の際に船体が揺れるかと思われます。どうか、足元に御注意ください」


 松山大佐は後に続く竜胆殿下や近衛兵達に中尉を促した。


わかりました。竜胆殿下は短く答えると、タラップを渡り内火艇に乗り込まれた。


 そこに風が吹いた。内火艇は先程より大きくゆらゆらと揺れだした。


 船舶に慣れている人間にとっては大したことのない揺れだ。日頃から鍛えている近衛兵達も足や腰に力を入れて揺れを耐えること容易であった。


 しかし、竜胆殿下は大きくバランスを崩された。慌てて手すりを掴もうと手を伸ばすも掴み損なってしまい、何かに躓いたように姿勢を大きく崩した。


 危ない。そう思い、照良は咄嗟に竜胆殿下を支えようと体を動かした。


「お怪我はありませんか」


「…失礼しました」


 竜胆殿下は慌てて照良から距離を取ると姿勢を正すと、気恥しそうに御顔を伏せられた。

 

 竜胆殿下の背後に控えていた近衛兵達の視線が鋭くなる。


 今のは不可抗力だろう。


「安全のため、乗船されましたら直ちに座席にお座りください」


 内火艇の乗組員に注意されたことを幸いに、照良はすっと身を引いて近衛兵から距離をとった。竜胆殿下はその動作を道を譲られたのだと思われたらしく、会釈をしてから船内の座席に座られた。

近衛兵はまだ照良を睨んでいたが、すぐに竜胆殿下の両側の席に腰を下ろした。


 その様子を見ながら照良は周りに聞こえない程度の大きさで溜息をついた。


「気を抜くのはまだ早いよ。朝倉大尉」


 松山大佐に窘められて、照良は姿勢を正した。見れば、近衛兵の一人、髪を後頭部でまとめた女性兵が警戒するように此方を見ていた。


「目をつけられてしまった様だね」


 勘弁してくれ。照良は思わず声に出しそうになった。


 戦艦や駆逐艦のそれと比べれば軽いエンジン音が響き渡る。内火艇が動き出そうとしているのだ。


 照良は内火艇の進行方向に視線を向けた。港の出入り口付近で一隻の戦艦が後方に伸びる煙突から黒煙を上げている。新たな艦長である竜胆殿下の乗船を待っている『祥風』であった。


 今回の”浮舟の儀”にあたり、お色直しを施した船体は仄かに赤みを帯びた黒一色を基調とし、艦橋付近の電探や風速計、翼端灯周辺が金色に輝いている。


 金色の塗装は先の戦争でラドロア軍を退けた『祥風』やヴァスコニア軍と熾烈な戦いを繰り広げた戦闘艇母艦『玄雲』など名だたる艦船にのみ施されるものだ。国威向上のためと言ってしまえばそれまでではあるが、一乗組員として誇らしいものを感じずにはいられない。

 

 タラップを収容し終えた搭乗員の合図を見て、操舵士がベルを2回鳴らす。

 

「それではまもなく出港します」


操舵士がレバーを引くと、頭上から響くエンジン音が更に大きくなる。そこにプロペラの回転音が重なり船内の空気が波打つのが肌で感じ取れる。


 港から軍楽団の演奏が聴こえてきたが、エンジンの唸り声の前には蚊の鳴く様なか細さであった。


 両翼のプロペラが回転数を上げ断続的であった回転音が一つの長い音に変わっていく。内火艇が推力を得るには十分な回転数に達した証だ。


 警笛が鳴り響く。一際大きく揺れた後、内火艇が前に滑り出すように動き出した。次第に舳先が上がり始め、緩やかに上昇し始める。

 

 進行方向とは逆の方法に体を引かれるのを感じながら照良は目を閉じ、心の中で神話における船乗りの守神である風鳴之尊に願った。


 願わくば今回の航空も無事に終わりますように。



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