祭壇と写真と懐中時計
照良は何度目かの溜息を付いた。教何度目、ではなく帰路何度目かの、だ。
照良の予想通り、突然の休暇中止の報告を受けた兵卒達からの抗議が殺到したのだ。
照良は『祥風』の幹部達に頭を下げて周り、自体の沈静化に駆けずり回った。
松山大佐や長老組に協力していただき、なんとか事態の終息に迎えたのが今日であり、『祥風』が萩原を出港する前日であった。
本当はこのまま兵舎の自室でベッドに横になりたい気分であったが、照良には寄りたい場所があった。
日の光に茜色が刺しはじめ、道をゆく人々の進行方向が朝とは逆になり始めた頃。照良は住宅街の中にある静まり返った平屋の前に佇んでいた。
古く傷んだ表札には「朝倉」と書かれている。
照良の生家であった。
前に帰ったのはいつぶりだったか。そんな事を考えながら、照良は玄関の引き戸を開けた。
久方ぶりの実家は黴と埃の匂いがした。
照良が萩原基地の兵宿舎に住みこむようになって以来、実家はほとんど空き家となっている。
家の管理を母・明美の弟に頼んでいて、定期的に簡単な掃除や換気をやってもらってはいる。それでも埃は溜まるし黴もそこそこ繁茂する。
誰か人に貸したらどうだ。これまで叔父の提案に首を立てに振らずにいたが、いよいよ考えどきかもなと照良は思った。
「ただいま帰りました」
誰もいない家の中に向かって照良は声をかけた。当然、返事はない。
家に上がった照良はきしむ廊下を歩いて、そのまま凡教の祭壇がある部屋に向かった。ややガタが来てている襖を開けると、照良の両親の位牌と写真のが乗った慎ましい祭壇が目に入った。
照良は祭壇の前に座ると静かに手を合わせた。この部屋だけは黴や埃の匂いとは縁がなく、お香の香りをかすかに感じる。月命日に叔父が線香を上げてくれたのだろう。
「父さん、母さん。明日から特別任務になります」
祈り終わると、照良は祭壇の写真に向かって語りはじめた。照良は任務で萩原を離れる際に、こうして祭壇の両親に話しかけることが習慣となっていた。
話題は前に帰ってきた日以降の出来事だ。
『祥風』が”浮舟”に選ばれたこと。
成人なされる皇族の方が艦長に就任される事になること。
そのために、松山大佐が艦長の職を解かれたこと。
”浮舟の儀”の予行練習の為に、乗組員全員の休暇を切り上げることになったこと。
色々と苦情が殺到したこと。
明日、皇都・弥生の最寄りの基地である栄島基地に向けて出港すること。
それ以外の小さな出来事の話など、語ることが無くなるまで照良は語り続けた。
写真の中の両親は微笑んだままだ。写真を目にする度、豪快に笑う父が微笑んでいるというのは、違和感が拭えない。母親に関しては、照良はこの写真以外記憶にないので、なんとも言えなかった。
「では、そろそろ門限がありますのでお暇させていただきます。あと、今回も懐中時計、お借りしていきます」
照良は立ち上がると、祭壇に向かって右手で敬礼をした。灯華軍において、右手の敬礼は亡くなった人に対して行うものであった。
数秒間の沈黙の跡に敬礼を解いた照良は同じ部屋にある箪笥の引き出しの中から懐中時計を手に取った。
父の遺品として、萩原基地の事務職が持ってきたものだ。
灯華軍には回収がほぼ不可能になる遺体の代わりに、生前本人が用意した物を輝命等星勲章と共に遺族に渡す決まりがあり、時良はこの懐中時計を指定していた。
照良は士官学校の実技訓練中に死にかけて以来、お守り代わりとして、任務の際には必ずこの懐中時計を携帯することにしていた。そして、帰ってきたら箪笥に戻すのだ。この行為自体が”必ず帰ってくる”という願掛けになっていた。
じっと懐中時計を見る。かなり古い物だ。なんでも維新前にグロリアで流行ったデザインらしい。
我が朝倉家が没落する前、政府の外交団としてグロリアに赴いた照良の曾祖父が現地で購入したものだという。
我が朝倉家に代々伝わる唯一のものだ。大切にしろよ。きっとお守りになる。時良の遺書にはそう書いてあったが、そう思ってたなら、自分が持っとけよとなんとも言えない気持ちになった。
そもそも、曾祖父が時計の蓋の内側に”暁は未だ沈まず”という文字と倶語数字の羅列、壺と天秤の様な絵を深々と刻んでいる辺り、そんなに大切なものでは無かったのではないかと疑っている。
何故、文字を刻んだのが曾祖父だと分かるのかというと、しっかり銘が刻んであり、それと全く同じ名前が朝倉家の家系図に曾祖父として記されているからだ。
何かあった際にはちゃんと護ってくださいよ。御先祖様。
そう思いながら、照良は懐中時計をポケットに突っ込んだ。
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倶語
グロリア語。グロリア連合王国のモデルがイギリスなので、倶語は作中世界の英語だと思っていただければ幸いです。
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