墓前にて
生徳寺の境内に人影はほとんどなく、高齢の住職が竹箒で掃除をする音に蝉の鳴き声が重なって響いていた。
松山大佐は住職に頭を下げた後、本堂の裏へと延びる石畳を歩いていった。照良はここで漸く、この散歩の終着点がどこなのか見当がついた。
本堂の裏には、山の斜面を拓いて創られた墓地が広がっている。萩原市で生まれ育った人々の多くはここに埋葬されることとなる。
萩原市産まれではない松山家の墓は此処には無い。ここで松山大佐が訪れる墓があるとするなら、それは照良の知る限りでは一つだけだ。
夏の光の中に静かに立ち並ぶ墓石。松山大佐は迷うことなく墓地の小径を進み、大きさだけは立派な古い墓の前に辿り着いた。その墓石には、こう記されている。
“朝倉家之墓”
照良の両親、そして松山大佐の友人の眠る朝倉家代々の墓である。
松山大佐は静かに手を合わせて黙祷を捧げ、照良もそれに倣った。
風そよぐ音の中に、プロペラが空を打つ音が混ざり込み、次第に大きくなっていく。照良が顔を上げてみると、大空に巨大な鋼鉄の蛾が己の腹を見せつけるかのように夏空を飛んでいくのが見えた。
灯華軍・狭霧型駆逐艦。灯華軍が運用している駆逐艦のうち、機動性を重視した型である。
萩原市上空を飛行する為に艦底側の対地上砲の砲身や機銃の銃身は水平に上げられている。
あの高度を飛んでいるということは、このまま近隣の群島空域まで飛んでから基地に戻るのだろう。そんな事を照良は考えていた。
「昨日に
ぽつりと松山大佐が呟くように言った。ついに来たか。一体、どんな話が出てくるのか。照良は腹に力を入れて、身構えた。
「『祥風』を
「あの“浮舟の儀”ですか?」
照良の疑問に松山大佐は頷いた。
“浮舟の儀”とは灯華皇国皇族が成人(満十八才)を迎えた際、国祖・燈火守ノ尊から連なる歴代皇王を奉る神洞神宮に参拝し皇家の存続と、国の益々の繁栄を願うという儀式だ。
儀式が終われば新聞やラジオ放送、ニュース映画などで国民に伝えられるので、灯華国民であれば知らない人を探すほうが難しいだろう。
「おかしくはないですか?瑞風型は一番新しい“黒風”でも建造から十五年は経っています。“浮舟”は新造艦を選ぶのが慣わしだったのでは?」
照良の記憶にある前回のー角島院向日葵殿下の“浮舟の儀”では、当時の新造艦であった重巡空艦が浮舟として儀式に御されていた。艤装から既にニ〇年以上経っている『祥風』が選ばれることがあるとは思えなかった。
「その認識は間違いだ。正しくは、“一度も実戦を経験していない艦船から選ばれている”、なんだ」
松山大佐の答えは照良に新たな疑問を抱かせた。
「それならば、尚の事変な話です。『祥風』歴戦の戦艦です。“浮舟”に選ばれるとは考えられません」
『祥風』は二つの戦争―五つの会戦を戦い抜いた歴戦の名鑑である。特に灯錻戦争(ヴァスコニアとの戦争の灯華での呼び方)の際に起きたラドロア軍との会戦である“”における活躍を知らない者は灯華中探しても見つけることはほぼ不可能だろう。
「選ばれるとすれば、『
晴空型戦艦『凍空』
山嵐型戦艦『大嵐』
共に次期主力戦艦として設計された新型艦である。その中でも、この二隻は建造中の設計変更や 会戦での損害による整備計画の大幅な変更により、就航が遅れた事で実戦に投入されなかったのだ。
『凍空』にいたっては、艦内の幹部会議室がヴァスコニアとの休戦協定締結の場として使われたのだ。
他にも戦後に建造された艦船は多いが、そのどれもが駆逐艦や巡空艦、工作船などであった。先々代の皇王の弟君から始まった 院が“浮舟の儀”に重巡空艦を御されたということで、現皇王の御息女であられる長須院竜胆殿下の“浮舟”が戦艦となるのは納得できるのだが、何故、『凍空』や『大嵐』ではなく、『祥風』なのかという疑問は残ったままであった。
「竜胆殿下直々の御指名を賜ったそうだ」
「殿下直々、ですか」
大半の灯華国民と同じように、照良は竜胆殿下の人となりなど全く知らない。当然、面識など無い。しかし、ニュース映画などで御姿は目にしたことはある。映像の中の長須院竜胆殿下は物静かな印象を与える女性のように照良には思われた。
その印象に引っ張られている事を自覚した上で、照良は内心で首を傾げていた。軍の艦船に関心のある女性がいてもなんの問題もない。現に照良の士官学校の同期には艦長に就任した女性士官もいるくらいだ。
それでも、今回の御指名は、映像から受けた長須院竜胆殿下の印象とかけ離れたもののように感じられた。
尤も、あの映像が女優を使った再現映像でなければ、の話だが。
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