其の伍
本来であれば、第二陣の一翼を担っている筈の『祥風』が日々野の空にいるのか。それは幾つかの偶然が重なった結果であった。
九月十一日、灯華最端の州である鹿崎州の州都に近郊の基地でヴァスコニア派遣艦隊第二陣第三分隊に編入される艦船が集結しつつあった。
灯華領域内で第一・第二・第四分隊と順次合流し、第一軌道を目指す。その様な計画であった。
ここで、最初の偶然が生まれた。随伴する重巡空艦『
更にこの日、予定されていた伊万里州を通過するルートは、季節外れの天候による気流の不安定化により断念せざる負えなくなった。進路は大幅に変更され、常和州を通過するものが採用された。
その結果、第三分隊は呉嶋州と隣接する常和州の基地に九月十五日・午前十一時三十一分に到着することなった。
突然の寄港であった為に、基地側の受け入れ体制は全くと言っていいほど整っていなかった。基地に駐屯していた予備艦隊の艦をはじめ、巡視船や砲艦、駆逐艦や軽巡空艦、補給艦までも港の外に出し、なんとか第三分隊が停泊するスペースを確保できたものの、港内は鮨詰めの一歩手前といった有様であった。
そうなると、燃料の補給に掛かる時間は膨大なものになる。地上施設では給油器が足りず、補給艦の給油器を延ばせるだけ延ばして効率の悪い補給を繰り返す。いつ終わるのか分からない作業に基地の人員も第三分隊の乗組員達もうんざりとした気分になっていた。
そこに州都・萩原からラドロア軍襲来の報せが入った。その知らせを基地司令・有田大佐と共に聞いた松山大佐はしばしの黙考の後、第三分隊を率いて穂先群島に応援に行くことを有田大佐に伝えた。
その言葉に有田大佐は驚いた。確かに灯華軍の軍規では、緊急事態における現場の裁量がある程度は認められている。しかし、ヴァスコニアとの一大決戦を前にして、反転して穂先群島に向かうという判断を軍令部が許容するだろうか。
せめて軍令部や第二陣の指揮を執る井原少将に確認を取るべきではないか。有田大佐はそう提案した。しかし、松山大佐は頭を横に振った。
長距離通信は時間が掛かる。その間に穂先群島でラドロア軍は勝手し放題だ。一刻も早く穂先群島に戦力を送らなければ、取り返しのつかない事態になってしまう。通信の返答を待っている時間はないのだ。
更に松山大佐は、有田大佐に基地にいる予備艦隊と駐屯艦隊のうち、足の速い艦船を借りることができないかないかと尋ねた。
有田大佐は眉間に皺を寄せた。予備艦隊と駐屯艦隊は有田大佐の采配で動かす事はできる。しかし、旧式の艦船が中心の予備艦隊と練度の低い駐屯艦隊の艦船が戦力になるか疑問であった。
敵は此方が百戦錬磨の兵になってくれるまで待ってはくれません。練度が低かろうと手持ちの兵器が古かろうと、戦わなくてはならない時が来るのです。それが軍人の勤めであり、今がその時なのです。
松山大佐の話を聞き、有田大佐は頷いた。
決定してからは、第三分隊と駐屯艦隊・予備艦隊精鋭の行動は迅速であった。港を出た艦船は進路を穂先群島に向ける。少しでも速度を得るために、第三分隊は爆弾槽内の爆弾を全て破棄した。
最大速度で航行する艦隊は落伍者を出しながらではあったが、『祥風』以下第三分隊・駐屯艦隊・予備艦隊精鋭の乗組員達は日々野の姿を目の当たりにしたのであった。九月十五日午後三時三十九分のことであった。
後に日々野会戦と呼ばれる戦いは、戦闘艇の白兵戦から始まった。第三分隊所属の軽戦闘艇母艦『群雲』・『巻雲』から飛び立った戦闘艇郡が日々野上空のラドロア軍戦闘艇に襲いかかった。地上ばかりを気にしていたラドロア軍は思わぬ攻撃を受け、次々と撃墜されていく。灯華軍の攻撃をかいくぐり、撃墜を免れたラドロア軍攻撃艇は友軍駆逐艦郡が飛行する、空襲により焼けた町の上空へ後退しようとした。
その時、灯華軍攻撃艇部隊が飛来してきた方向と正反対の方向から砲撃が駆逐艦郡に叩き込まれた。直撃を受けた駆逐艦が内部から火を吹き出しならがら落下。島の縁にぶつかり轟音を立てて、そのまま空の底へと墜ちていく。
ラドロア軍駆逐艦群が浮足立った。とにかく、攻撃を受けたのだ。駆逐艦群は更に後退を開始、とうとう日々野の上空から追い出されてしまった。
態勢を整えようとするラドロア軍駆逐艦群であったが、彼らに追い打ちをかけるかのごとく、灯華軍の艦隊が山の影から次々と姿を現したのを目の当たりにし、各艦の連携は困難を極めた。
連帯が取れていれば、何か行動が取れたかもしれない。しかし、彼らが行動に出る前に、二方向から現れた灯華軍に挟まれ、『祥風』をはじめ、戦艦や巡空艦から打ち出された対駆逐艦散弾により十隻程の駆逐艦は瞬く間に宙に浮く炎を上げる無様な鉄塊に変えられてしまった。
突如現れた灯華軍に対応が遅れたのは、駆逐艦群だけではない。ウンゲルン少将ら、国民報国艦隊本体も同様であった。そして、彼らは迂闊であったのだ。駆逐艦群の空襲を見届ける為に、不用意に日々野の島に近寄り過ぎたのだ。
日々野上空からラドロア軍を追い出した灯華軍は二手に別れたまま、国民報国艦隊を両側から挟み込む形で前進。ラドロア軍軍との相対距離はおよそ八〇〇〇。灯華軍の決戦距離を大きく下回る、必中と言っても過言ではない距離である。。
一方、ウンゲルン少将率いるラドロア軍も棒立ちという訳ではない。すぐさま反撃に移ろうとする。
しかし、各艦への指示の伝達が思う様に進まない。
不安定な無線通信と旗信号では、伝達に限界があった。更に砲塔を動かし、砲身の仰角を調整するといった砲弾を打ち出すまでの時間が掛かる。ラドロア軍の砲撃態勢に入るまでに時間を要した。
よって、最初の砲撃は灯華軍から放たれることとなった。
灯華軍の艦船の砲門が次々と火を吹いた。砲弾の表面の金属大気中のウラノシア粒子が摩擦熱で反応を起こし、淡い金色の軌跡を空に引く。
戦艦の主砲から放たれた人間大の砲弾が軽巡空艦の横腹に突き刺さる。衝撃と焔が艦内を食い荒らし、弾薬庫に到達する。瞬く間に爆発が生じ、二つに折れた軽巡空艦が墜ちていく。
重巡空艦はバイタルゾーンにこそ損害はなかったものの、断裂した装甲から黒煙を昇らせている。
散弾が蒔かれ、複数の駆逐艦から炎の華が咲く。
大型艦も無傷とはいかず、対空機銃や艦底観測所、通信アンテナといった比較的脆くなっている部位を損傷していく。初弾であることを考えれば、破格の戦果であった。
ラドロア軍の反撃は灯華軍の砲火と比べると些か勢いに欠けていた。無理もない。灯華軍はラドロア軍を挟んでいるため、火力を中央のラドロア軍に集中できる。一方のラドロア軍は敵が左右に分散しているため、向けられる火力が分散してしまうのだ。
両軍は一歩も引かず、幾度と放火を交えた。その度に立ち昇る黒煙の数は増えていった。
ウンゲルン少将は艦橋で檄を飛ばした。彼は全ての砲門を一方の敵部隊に集中させるように命令した。
このとき、灯華軍にとっての最後の奇跡が起きた。ウンゲルン少将が攻撃を指示した灯華軍艦隊は、旗艦『祥風』がいる艦隊ではなかった。
この時、ウンゲルン少将は『祥風』と同じ瑞風型戦艦『黒風』とを見間違えたとされているが、詳しくは不明である。
ラドロア軍の砲火を受け、黒煙を上げ次々と墜ちていく灯華軍艦。だが、彼らの犠牲がこの会戦の勝機を灯華軍に引き寄せた。
反撃を恐れる必要がなくなったこの瞬間を松山大佐は見逃さなかった。全ての艦船の砲門を重巡空艦と戦艦に集約させたのだ。打ち出された砲弾はそれらの船に直撃し、幾つかの火球を生み出した。
ウンゲルン少将の乗る旗艦『シーラ』艦橋付近に巡空艦の主砲が当たった。それにより、ウンゲルン少将は負傷。更に通信士が倒れた通信機に押しつぶされ、指揮機能を一時的に喪失したのであった。
指揮を受け継いた戦艦『ドゥエリ』であったが、ここで灯華軍の正規艦隊のさらなる増援を発見する。
近隣の州からの掻き集められた寄せ集めではあったが、ラドロア軍国民報国艦隊を超える戦力であった。
『ドゥエリ』はこれ以上の交戦は損害が多くなると判断し、国民献身艦隊との合流を決断。穂先群島からの撤退を急いだ。その間も灯華軍からの攻撃は続き、損傷して動けない艦船や落伍した艦船をそのまま殿とする形で、九月十五日午後四時五十二分、ラドロア軍は戦場を離脱したのであった。
これが、後に云う“日々野会戦”である。
日々野会戦の後、灯華軍はこの戦果を大々的に報道した。これは、一大決戦と意気込んだものの大した結果を得られず、それどころか国民を危険に晒してしまった事態から国民の視線を逸らす事が目的であったとされている。
このような経緯ではあったが、松山大佐、そして『祥風』の名を灯華皇国国民が知ることとなったのであった。
(知恵の泉社 門倉厚著 『指揮官の決断』より抜粋)
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ここまで読んでいただき、有難うございます。
当初の予定より、前説が長くなってしまいました。
軽く世界観に触れたあと、物語が本格的に始まる予定です。
長い旅になると思いますが、最後まで楽しんでいただければ幸いです。
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