第13話「故郷」
「それにしても一気に寒くなってきたわ……」
セシリアは肩を両手でさすりながら体を縮こめていた。
辺りは雪こそ降っていないものの、道を進めば進むほど寒さが厳しくなっていく。
どこかで一度温まるべきだろう、と思った矢先、道の先に村が見えてきた。
「あ! 村よ! あそこで一度温まりましょうよ!」
ここは……見覚えがある。
まさか、俺が生まれ育った村なのか。でも俺が小さい頃に消えてなくなったはずだ。
いや、似ているだけで別の村かもしれない。村なんてたくさんあるのだから。
村に入ると、入り口でおじさんに話しかけられた。
「おや、旅人かい? これは珍しいね」
返答に困っていると、
「えっと、レオンハルト君、僕達は旅人に入るのかな?」
とシオンに尋ねられた。
「え? いやどうだろ……」
「どうしたんだい? 調子でも悪い?」
シオンは即座に俺の異変に気づいたようだった。
「確かにそうね。レオにしては元気がないわ。もしかして私と同じく寒いのは苦手?」
「ああ、まあそんなところだ」
とりあえず、俺の生まれ育った村かもしれない、ということは2人には話さないでおいた。話すべきかどうか、そこまで頭が回らなかったからだ。
「で、レオンハルト君。おじさんの質問に答えないと。僕達は何者になるんだい?」
「主人公……かな」
「だそうです」
シオンはおじさんに体を向けてそう言った。
「おや、旅人かい? これは珍しいね」
おじさんは同じ調子で答えた。まるで録音された言葉を再生するかのように。
「この人は……完全にNPCだわ」
「そうだね。となると、この村はこれまでと違って、NPCの村ということになるかな」
真剣な表情のセシリアと冷静に答えるシオン。
NPCに出会うと、妙な緊張感を覚える。明日は我が身なのではないか、と。いやいや、俺は主人公だ。それを忘れない限りは大丈夫なはずだ。
その時、懐かしい声が背後から聞こえた。
「あんた、帰ってきていたの?」
振り返るとそこにはこれまでもこれからも一生目について焼きついて離れない姿があった。
母だった。
「帰ってきていたなら言ってくれればいいのに!」
「母さん……」
「へえ、こちらの女性がレオンハルト君のお母さんなんだ。ということは──」
「ここはレオの故郷!?」
セシリアの驚いた声が寒空の下、乾燥した大地に響く。
「それにしては随分元気がないわね。久しぶりに帰ってきたっていうのに。そんなに寒いのが苦手なのかしら?」
正直なところ、まだ頭の整理が追いついていない。この村は、俺の故郷は消えたはずなのに……。
「今ちょうどお父さんも家にいるのよ! ほら、早く来て! 皆さんも是非いらして!」
俺達3人はテンションの高い母の後についていくことにした。
「私、セシリアと言います」
「あら、ご丁寧にありがとうね」
セシリアに満面の笑みで対応する母は、次にシオンの方を向いた。
「僕はシオンです。レオンハルト君に名前をつけてもらいました」
「いっぱいお友達ができたのね。実はずっと心配だったのよ。ほら、つい一人で突っ込んで空回りしちゃうようなところあるでしょ?」
「確かにそうですね。そこが彼の良さでもあると思いますが」
シオンは微笑みながらそう答える。
「まあまあ! 良いお友達を持ったのね」
母は俺の方に笑顔を向ける。その笑顔に俺は上手に反応することができなかった。
おそらく、引きつった作り笑いになっていたと思う。
やがて実家に着いた。
丸太を積み上げてできたログハウス。そこはあまりにも見慣れた家だった。
家に入ると、
「お父さん! ほら見て、帰ってきたのよ!」
「おお、久しぶりじゃないか! 心配したんだぞ! それにしても、こんな大きくなって……たくましくなったな」
父はそう言ってシオンの方をパンパンと音を立てながら叩く。
「いえ、あなたの息子のレオンハルト君はこちらです」
シオンはレオンハルトの方に手を差し出す。
「はっはっはっ、冗談だ!」
豪快に笑う父。
「寒かったでしょ? ここのところ急に冷えたのよ。今シチュー作るからちょっと待っててね」
母が急ぎ足でキッチンに向かう。何かを思い出したのか振り返って言った。
「待っている間、温泉に入っちゃいなさいよ。まだ時間かかるから」
「温泉というものに初めて入ってみたけど、案外気持ちの良いものだね」
シオンは温泉につかりながら、相変わらずの微笑でそう話す。
家から出てすぐのところに村の温泉がある。露天風呂で周囲は竹の柵で囲まれているものの開放的な作りになっている。男湯と女湯に分かれており、俺の小さい頃によく入ったものだった。
「何か都合の悪いことでもあるのかい? この村に来てからずっと考え込んでいるようだけど」
本当のことを話すべきか俺は悩んだ。しかし、微笑むを絶やさないシオンを見て、根拠のない安心感を覚えた。
「確かにこの村は俺の故郷だ。しかし、俺の故郷は俺が小さい頃に燃えてなくなっているはずなんだ」
シオンは俺の話が真剣なものだと察し、そしてまた周りに聞かれるべきではないと考えたのか、少しこちらに近づいた。
「ここは作られた村と言いたいのかな?」
「いや、それにしては精巧すぎる。父も母も偽物とは思えない。おそらく本物なんだ。あの時、村が燃えずにそのまま残っていたら、こういう村になっていると思う」
「じゃあ、君が昔見た村が燃えたというのは見間違いだった?」
「まさか。俺はこの目で見た。そして、それこそが俺が村から離れてギルドに入った原因だ」
少々考え込むシオン。俺はそのまま話を続ける。
「俺以外は皆NPCなんだよ。俺だけ自分で名前を名乗って主人公になろうとしていたからずっと浮いていた」
「なるほど、通りで君の名前を一度も呼ばないわけだ。実の息子が久しぶりに帰ってきたというのにね」
「でもある時、村が燃えていたんだ。そして、俺は──いやこの話はやめておく。話したくない」
そこで会話が途切れた。温泉が露天風呂に流れ込む音だけが聞こえる。
「君の故郷にケチをつけるのは気持ちの良いものではないけど、もしかするとここには何か秘密があるのかもしれないね。念のため警戒しておくよ」
「ああ、すまない」
俺の表情がやたら暗かったのか、シオンは、
「君はレオンハルトだ。そして僕はシオン。セシリアもいる。大丈夫だ、悪いようにはならないよ」
と微笑みながら言った。
「そうだな。ありがとう」
名前を再確認するだけのシオンの言葉が、温泉と一緒に俺の体に染み込むような気がした。
温泉を出て家に着くと、4人掛けのテーブルに既にセシリアが座っていた。
「おかえりなさい! ちょうどできたところなのよ」
俺とシオンはセシリアにならって座った。母がシチューを持ってくるとおいしそうな匂いが空腹を刺激した。
「おいしそう! ずっと寒かったからシチューは最高ね!」
俺達は「いただきます」と言って食べ始めた。
白いシチューをまとった人参を口に運ぶ。
この味、懐かしい。
母のシチューは何年も食べていなかったが、忘れることなどできない。落ち着く。
「どう? おいしい?」
「ああ、おいしい」
「本当においしいです! ありがとうございます!」
「おいしいですね」
セシリアとシオンは脇目も振らずシチューを食べることに集中していた。
母が俺の正面の席に座る。
「ここでずっとゆっくりしていきなさいよ」
気持ちが揺らぎそうだ。温かい温泉、おいしくて懐かしいシチュー、そして何よりも家族。
このままでは自分がいなくなりそうだ。俺は迷いを振り切るように話を逸らした。
「そういえば父さんは?」
「ああ、さっき出かけたわ。用事ができたって。そんなことより、お布団はもう用意しておいたわ」
俺達はまだ泊まるなんて言っていない、と言おうとしたが、
「本当ですか! 何から何までありがとうございます!」
そのセシリアの発言で、俺は言うタイミングを失った。
結局、俺達は泊まることとなった。明日こそはすぐに出ないと。じゃなきゃ俺は俺でなくなるような気がする。
この村が、俺の故郷が、そうさせるんだ。少しずつ俺の中から俺を抜き取っていくような、そんな作用がここにはある。
「ここでずっとゆっくりしていきなさいよ」
母のその言葉が脳内をぐるぐると駆け巡っていた。
居心地が良いのはわかっている。俺だって嫌いじゃない。
だから辛いんだ。
翌朝、俺達は早々に荷物をまとめて出発しようとしていた。
「じゃあ、俺達はそろそろ行くよ」
「行くって、どこに行くのよ」
真顔で問う母の顔。この村に来て初めて見た表情だ。これまではずっと笑っていたのに、そんな能面のような表情ができたのか。
「いやそれは、俺は主人公だから世界を──」
「何おかしなこと言ってんの。あなたはここで生まれ育ったのだから、ここから出ることはないわ」
「いや、申し訳ない。俺は行くよ。何年も前に決めたことだから、今更変えることはできないんだ」
そう言って俺は多少強引に家を出た。このままいたら俺は変わってしまう。急いで遠くに行かなければ。
しかし、もう遅かった。
「もうどこかに行くのか?」
父の背後には大量の帝国兵が立っていた。
「もしかして皇帝!?」
セシリアは、帝国兵の中で一際目立つ派手な装飾がなされた銀色の甲冑を見てそう言った。
皇帝と呼ばれた者は父よりも前に出て、俺達の前に立った。その顔は甲冑のせいで何も見えない。
「お前らか。この世界の秩序を乱そうとしているのは」
皇帝はシオンの方を向く。
「そこにいるのは魔王ではないか。何をしている? 魔王は魔王らしく地獄の門でモンスターを管理する役目があるはずだ」
今度はセシリアを見る。
「そっちはギルドのメンバーとして帝国が派遣したはずだったが、いつの間にやら勝手に抜け出してこんなところにいるとはな」
そして、俺に向かってガントレットに包まれた腕を突き出し指を指した。
「そして、お前。すべての元凶だ。周囲のNPCをたぶらかせおって。各々しかるべき役割があるのだ。お前如きに邪魔はさせない」
皇帝は俺に手をかざした。その直後、暗転した。
どこからともなく、暗闇の中で声が聞こえる。
「この村で楽しく暮らしていきましょうよ」
俺だけがレオンハルトという名前を名乗っていた。他の誰も名前を持たなかった。父も、母も。
「お前には無理だ」
「主人公なんて早く諦めなよ」
「ずっとこうして生きていくんだ」
皆、ずっとそんなことを言ってきた。主人公になりたいと言うことで、名前を名乗るというだけで、俺は一人になっていった。
このままここで窮屈に生きていくしかないのか、生かされるだけの存在となるのか、毎日そればかりを考え憂鬱になっていたある日のこと。
村を少し離れていた俺が村に戻ると、巨大な火柱が村を包んでいた。もはや村に入ることはできなかった。
その時、俺は解放されたと思ってしまった。もう永遠に自由の身だと思った。
村のことも、父のことも、母のことも、皆を心配するよりも前に、俺は安堵感と高揚感に包まれていたのだ。そんなことを考える自分はとんでもなく腹黒いやつだと認識していながらも、俺はそれをよしとした。
そして、俺は脱獄に成功した囚人のようにその場から走り去った。
しかし自由になることなんてなかった。俺は罪悪感という枷に捕らわれ続けることとなったのだ。
俺は悪魔なんだ。
主人公はもっと元気で明るくて正義感が強くて、周りを照らし人々を導く清廉潔白な人間であるべきだ。俺には程遠い存在だ。
本物の主人公なら、あの炎の中に入って一人でも多くの人を救っていたと思う。
いつから主人公になろうと思っていたんだろう? いつから名前を自分につけていたんだろう?
どれもこれも無駄なことだ。元々俺には主人公になる資格も適性もないのだから。
「気づいたかい?」
シオンの声が暗闇に響き、俺はゆっくりと目を開けた。シオンが俺を覗き込んでいた。俺は地面に横になっているようだ。
「急に倒れ込んだから心配したよ」
「セシリア君は帝国への裏切りということで捕まったよ。さすがに敵の数が多くて、君しか助けることができなかった」
俺は地面に手をつき、その場に立ち上がった。
「悪い、俺は降りるよ」
「降りるって何から?」
「主人公からさ。はなから俺は主人公にはなれない、主人公にはなっていけない人間だったんだ」
「急にどうしたんだい? もしかして、あの皇帝の魔法が原因?」
「違う。あれは単なるきっかけだ。今更思い出して申し訳ない。いや実はずっとわかっていたけど、わからないフリをしていただけだったんだ」
「せっかく君にもらったこのシオンという名前はどうするつもり?」
「そうだな……。忘れてくれ」
それには答えないシオン。俺はもう振り返る気にならなかった。
俺はまた一人になった。
どうして世界を変えようと思ったんだっけ。どうして主人公になりたかったんだっけ。どうして今まで諦めずに頑張ってこれたんだっけ。
それはずっと自分を騙していたからだ。
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