フロリダ沖海戦①

 すでに「第三次南北戦争」と呼ばれているこの戦争において、合衆国海軍大西洋艦隊が果たす役割は限定的なものになるはずだった。

 南部諸州との戦いは陸上において決着がつき、海軍の役割といえば、せいぜい南部人の艦隊が何らかの行動を開始した場合にその阻止行動に出るだけ――そのはずだった。

 

 しかし、南部諸州を一年以内に降伏させるはずの「アメリカン・パトロール作戦」が開戦数日で頓挫。

 さらに対日戦線で太平洋艦隊の奇襲が日本海軍の返り討ちに遭ったことが状況を変えた。

 

 対日戦線での失敗の責任を取って辞任したハート大将に代わって作戦部長に就任した、アーネスト・J・キング大将は、中長期戦を前提とした作戦計画――つまり合衆国海軍の伝統的な作戦プラン「カラー・プラン」に沿ったものに切り替えた。

 

 カラープランには、対南部戦を想定した“グレー”、対英戦を想定した“レッド”、対日戦を想定した“オレンジ”などがあり、南部諸州、イギリス、日本を一度に相手にする場合を想定したものは“レインボー”のコード・ネームが与えられていた。

 

 “レインボー”では合衆国軍はまず早期にパナマ運河を占領し、南部と日本の連携を阻止することになっていた。

 

 合衆国軍はレインボー・プランに沿ってパナマ運河の占領を決断した。

 当初は南部人のいる大西洋側ではなく、太平洋側からの攻略を計画していたが、日本海軍の襲来に備える必要があるとして、太平洋艦隊が作戦に難色を示したため、大西洋艦隊が担当することとなった。

 

 こうして一九四二年三月四日一一時頃、合衆国海軍大西洋艦隊は、大西洋を南下し、フロリダ半島沖に差し掛かろうとしていた。

 

 戦艦“ユタ”、旗艦“ワシントン”、さらに“ウェストヴァージニア”、“オクラホマ”、“オレゴン”、“デラウエア”、“ニューハンプシャー”と続く。

 その左右にそれぞれ八隻の重巡と五隻の軽巡。巡洋艦群の後ろには駆逐艦群が続いている。

 戦艦と巡洋艦を主力とする水上打撃群の後方には二隻の空母と一隻の軽空母とそれを護衛する駆逐艦部隊、さらにその後方には補給部隊が続いている。

 戦闘艦だけで七〇隻を超える堂々たる大艦隊である。

 

 艦隊は完全に南部諸州の「領海」に入っており、すでに何度か南部諸州海軍の潜水艦による襲撃を受けている。

 沈没艦こそないものの、戦艦“ウィスコンシンと軽巡一隻が被雷して、艦隊を離脱している。

 昼夜分かたぬ襲撃に乗員の精神は張り詰めていた。

 

 さらに忌々しいのは、陸上から飛来すると思われる偵察機である。

 迎撃機と対空砲火にもひるまず、こちらを追尾し、位置を報せている。

 

 以上のような理由から大西洋艦隊の乗員たちは、敵艦隊と雌雄を決する前に、精神的にも肉体的にも疲労させられつつあった。


 「我々が庭先を我が物顔でのし歩いてるってのに、何で連中は出てこないんだ」

 

 すでに何機目かも分からない南部人の偵察機が逃げ去っていくのを双眼鏡で見ながら、参謀の一人が呟いた。

 旗艦“ワシントン”の艦橋である。


「おそらく、それが敵の狙いだろう。ぎりぎりまで引き付けて、我々を疲弊させ、可能な限り戦力を削った上で叩く――」


「ならば、それに乗せられるわけにはいかんな」

 

 別の参謀が応えるのに被せるようにして、落ち着いた声が響いた。

 大西洋艦隊司令長官ハズバンド・E・キンメル大将である。


「敵の意図が我々を苛立たせ、疲弊させることにあるのならば、今の諸君らの有様はその成功を物語っているのではないか?」

 

 途端に周囲に控えていた参謀たちが、新兵のように一斉に気を付けの姿勢を取った。


「心配はいるまい。いくら我々を誘い出す作戦であるとしても、まさかメキシコ湾まで案内する気はあるまい。我々も索敵機を飛ばしている。遠からず、敵艦隊発見の報が届くであろう」

 

 キンメルは海軍省、作戦部などの合衆国海軍の中枢を歩んできた、合衆国海軍の選良とも呼ぶべき人材だった。

 ルーズベルト前大統領に重用されていたことが災いして、フーバー政権下では実戦部隊の指揮官に留まっていたが、サムライ・ソード作戦の失敗による海軍の大人事異動によって、キング大将の後任の大西洋艦隊の司令長官に任命された。

 

 彼は今、合衆国海軍が理想とする高級指揮官のあり方を体現して、浮足立とうとしていた部下たちを収めたのだった。

 

 合衆国海軍の提督たる者、いかなる苦境にあっても動揺してはならない。

 苦境の中にこそ勝機を見つけ、麾下の将兵を力づければならない。

 彼自身の内心がどのような状態にあったとしても。

 

 その時、艦橋に見張り員の声が響いた。

 二時の方向に編隊!機種は零戦ジーク、それに九七式艦攻ケイト!南軍機です!」


 


 南部連合海軍航空隊のノーラン・アトキンソン少佐は、敵艦隊から直掩機が上がってくるのを認めると、無線を手にして麾下の零戦隊に伝えた。


「いいか、お前ら!こっちの雷撃隊に魚雷を撃たせるまで、死ぬ気で守り切れ!全機散開!」

 

 そう言ってアトキンソンが操縦桿を倒すと、彼の零戦は彼が思ったように機動してくれた。

 日本で慣熟訓練を受ける間に、身体の一部のように馴染んでいる。

 

 アトキンソンとその部下たちが操っている零戦は、日英南防衛協定に基づいて供与されたものだ。

 一九三七年に結ばれたこの協定は、加盟国間の軍事協力が謳われており、軍事技術の相互提供や軍事物資の相互融通などが定められていた。

 

 ちょうどイギリスのイラストリアス級空母を参考に初の本格空母を建造したものの、本格的な空母を保有する合衆国海軍との対決を想定する南部連合海軍は、満足のいく艦載機を手に入れられずにいた。

 そこで防衛協定を利用し、同じく空母大国であった日本海軍機の採用を決定。

 九六式艦戦や九七式艦攻、九九式艦爆のライセンス生産権を得ていた(その見返りとして、南部連合からは戦車技術が提供された)。

 

 零戦は開戦直前に日本の翔鶴級空母――艦名“ペガサス”ごと南部連合に供与されたものだった。

 

 突撃してくる南部人たちの艦攻隊を阻止すべく、合衆国の直掩機――F4Fが襲い掛かる。

 アトキンソンは二機の僚機とともに編隊を組んでいたが、それに対して三機のF4Fが挑んできた。

 アトキンソンは、僚機に他の二機を片付けるように命じると、真ん中の一機に狙いを定めた。

 すれ違うと見せかけて、直前で急上昇。さらに小回りの利く性能を活かして、宙返りで相手の後ろについた。

 

 文字通りの瞬く間に相手の後ろを取ったアトキンソンは躊躇うことなく二〇ミリ機銃の引き金を引いた。

 四散、爆発。

 それだけだった。

 

 曲芸師も真っ青な飛行をしたにも関わらず、アトキンソンは同じく敵機を片付けた僚機と合流し、次なる獲物を探し求めた。

 

 この、短い半径で旋回のできる機体特性、それを活かした各当選こそが零戦最大の武器だった。




「どうだ、僚機は付いてきとるか?!」


 南部連合海軍航空隊カール・C・ゲスト大尉は、三座のうちのいちばん後ろに座る機銃手に怒鳴るようにして訊いた。


「ええ、二機ともぴったり後ろにいます!」

 

 機銃手のペレ三等兵曹も負けずに怒鳴り返す。

 傍目には喧嘩でもしているように見えるが、彼らは互いを憎しみ合っているのでは無論ない。

 自機のエンジンと敵の対空砲火が生みだす音が、ハリケーンの時の雨風より大きく響く中では、必然的にそうなってしまうのだ。


「よーし、今から敵の懐に飛び込むからな、覚悟しろよ!」

 

 そういうと、ゲストは愛機の九七式艦攻の高度を海面ギリギリまで一気に下げた。 

 幸い敵の直掩機にこちらの護衛機は優勢に戦っていたから、こちらの艦爆と艦攻はほとんど損害なく、敵艦隊に取りつくことができそうだ。

 だが、対空砲火はどうしようもない。

 可能な限り接近した上で、ペラ(プロペラ)が海面を叩きそうな低空飛行で魚雷を打ち込むしかない。

 

 敵の対空砲火を避けるためとはいえ、危険な操縦である。

 それを少なくとも表面上は事もなげにやってのけるのは、ゲストが海軍入隊以来、ほぼ一貫して操縦桿を握り続けた叩き上げであることと無関係ではない。

 それが証拠に彼の部下たちが操る僚機は、ゲストほど高度を下げてはいない。

 

 中でももっとも経験の浅い操縦士が操る三番機は他の二機と比べて明らかに高度が高かった。

 

 敵艦に近づくにつれて、対空砲火の音はますます激しくなる。

 

 ゲストの小隊が狙うのは艦隊の中ほどを進んでいる艦。

 艦型からコロラド級――“ウェストヴァージニア”と分かる。

 コロラド級はロンドン海軍軍縮条約に基づき合衆国が建造した戦艦で、かつて「十二使徒」と呼ばれた世界最強の戦艦のうちの一隻だった。

 軍縮条約が失効し、各国でポスト条約艦が次々に就役した今となっては、旧式化した感が否めないが、それでも大西洋艦隊の中ではもっとも新しい戦艦であるし、その戦術的価値は依然として大きい。

 

 大物を喰える喜びを攻撃機乗りとして噛みしめてもよいところだが、今のゲストはそれすら忘れていた。

 余裕がないのではない。

 ただ、今の彼は意識の上で機体と一体化し、ほとんど忘我の境地にあった。

 

 どんどん大きくなる敵艦の影。少しでも確実に当てるため、一フィートでも近づいて魚雷を撃ちたかった。

 自機の安全と魚雷の必中のバランスを絶妙に保つ距離を見つけたその刹那、ゲストは叫んだ。


「投弾!」

 

 それに合わせて、投弾手のマイク・コルビオ一等兵曹が魚雷を放つ。

 一瞬にして機体が軽くなり、ふわりと風に持ち上げられて浮かんだような感覚に見舞われる。

  

 無事に任務を果たしたことを意味するその感覚を味わう暇もなく、ゲストは愛機の操縦桿を倒して、すかさず逃走に移った。

 ちらりと僚機の様子を確認する。

 二番機がゲスト機と同様に闘争に移っていた。

 三番機は、見当たらない。

 一瞬何かに耐えるように表情を歪めた。


「これより逃走に移る」

 

 後席の部下たちにそう告げると、ゲストは同じように低空飛行で、今度は猛烈な勢いで敵艦から離れていく。

 

 ある程度の距離を取り、上昇した後、彼が魚雷を放った“ウェストヴァージニア”を確認すると、左に傾いでいるのがはっきりと見て取れた。

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