フロリダ沖海戦②

「敵攻撃隊、撤退。我が方の損害、戦艦“ダラス”小破」

 

 作戦参謀がそう報告すると、艦橋内に歓声が起こった。


「我が方の損害がこの程度で済んだということは、地上からの航空支援が奏功しましたな」

 

 南部連合艦隊参謀長、オズボーン・B・コリンズ中将が、艦橋内の空気を無視するような、冷静な声で、呟くように言った。

 地上航空隊や潜水艦との連携により、合衆国海軍大西洋艦隊の常時監視に成功した南部連合艦隊は、まず航空戦において先手を打つことができた。

 日本から供与された最新鋭の零戦に護衛された攻撃隊は、合衆国の戦艦一隻を撃沈。

 もう一隻を撃沈ないし撃破する戦果を挙げた。

 

 こちらも合衆国側の攻撃隊による空襲を受けたが、メキシコ湾一帯を管轄する南部連合海軍第二航空軍は貴重な戦闘機をかき集めて、当初の予定になかった航空支援を実施してくれた。

 その加勢がなければ合衆国軍の空襲をこの程度の損害で乗り切ることは不可能だったに違いない。

 

コリンズ参謀長がさらに続けて言う。


「長官、これで彼我の水上戦力はほぼ同等となりました。ここは一気に決戦に持ち込むべきかと」


「うむ、無論だ。損傷艦は駆逐艦の護衛を付けて、急ぎ後方に退がらせろ。時間がない、急いで“お客さん”を迎える準備をするぞ!」

 

南部連合艦隊司令長官、ライヒアルト・クラフト大将は銅鑼のように腹に響く声で命じた。

 その声に艦橋にいる全員が、活気に満ちたように動き出した。

 

 イギリス系でスマートな印象のコリンズ中将とは対照的に、ドイツ系で、水兵から密かに「ビア樽」という仇名を付けられるくらい恰幅がよく、提督というより気のいい居酒屋の親父のように見える。

 

 だが、第二次南北戦争以来、軍歴のほとんどを洋上で過ごしたという歴戦の勇将であり、生来の気性と、経験に裏打ちされた明るさで部下を統率していた。

 彼の声は苦境にある将兵にさえ力を与える。

 

 


一九四二年三月四日一五時半頃、南北両艦隊は互いを視認した。

 

 第三次南北戦争における初の水上決戦に臨んだ互いの戦力は、戦艦五、重巡五、軽巡八、駆逐艦一五。

 南部連合側が戦艦五、重巡五、軽巡八、駆逐艦一四。

 海戦史上でも稀に見るほどの拮抗した戦力同士の激突であった。

 

 今少し細かに見ると、合衆国側の主力が“ワシントン”(コロラド級、主砲:四五口径一六インチ(≒四〇・六センチ)連装四基、基準排水量:三万四七〇〇トン、最大速力:二一・八ノット)、“オクラホマ”、“オレゴン”、“デラウエア”、“ニューハンプシャー”(改ウイスコンシン級、五〇口径一四インチ(≒三五・六センチ)三連装四基、三万四八〇〇トン、二〇・六)である。


 コロラド級は言わずと知れた「条約級戦艦」の一隻であるが、改ウイスコンシン級は、合衆国が第二次南北戦争で失ったウイスコンシン級を始めとする旧式戦艦の代替として、ロンドン海軍軍縮条約で保有が認められた戦艦であった。

 建造にあたっては「喪失したウイスコンシン級戦艦の性能を逸脱しない」という条件が付されており、艦齢こそコロラド級より新しいが、性能的には旧式化している感がある。

 

 対する南部連合側は、最新鋭の“ブキャナン”(ブキャナン級、四五口径一六インチ四連装二基+連装一基、四万三〇〇トン、二八ノット)、“リー”、“ジャクソン”(リー級、四五口径一六インチ三連装三基、三万三三〇〇トン、二三ノット)、“アトランタ”、(アトランタ級、四二口径一五インチ連装四基、三万三五〇〇トン、一九・五ノット)、“ニューオーリンズ”(ニューオーリンズ級、四二口径一五インチ(≒三八・一センチ)連装四基、三万二七〇〇トン、二三・五ノット)である。

 

 “ブキャナン”は日英南防衛協定に基づく技術供与で、イギリスのキングジョージ五世級の設計を流用して南部連合が建造。

 現在、大西洋にいる中では最大最強の戦艦の一隻だが、就役してから日が浅く、慣熟訓練もそこそこに実戦投入された。

 そのため、旗艦には選ばれていない。

 

 リー級はロンドン海軍軍縮条約によって、南部連合がイギリスからネルソン級戦艦を購入することを認められ、保有に至った艦である。

 当初は二艦ともイギリスから完成品を購入する予定であったものが、イギリスの海軍工廠に余裕がなかったため、二番艦の“ジャクソン”は南部連合が建造した初めての戦艦となった。

 

 これら三隻と比べれば旧式に属するアトランタ級とニューオーリンズ級は、それぞれイギリスからロイヤル・サヴリン級とエリザベス二世級の中古艦が供与されたものだ。

 

 両軍の戦力を比べると、南部連合軍の戦艦は合衆国軍と比べて直径の大きい(艦砲において「口径」とは銃器とは違い、砲の長さを表す。たとえば「四五口径一六インチ砲」は「一六インチ砲弾が四五個入る長さを持つ直径一六インチの砲」を意味する)主砲を有しているが、砲門数が劣る(四四門対五六門)。

 

 また、合衆国軍が全て二〇年代以降に建造された艦であるのに比べ、南部連合軍には一〇年代に建造された艦が二隻ある。

 “アトランタ”の速力が他の艦より低く、行動上のネックとなる可能性がある。

 

 合衆国軍、南部連合軍、それぞれ旗艦の“ワシントン”、“リー”を先頭に単縦陣を組み接近しつつある。

 

 クラフト大将は、艦隊の速力を二三ノットに増速するよう命じた。

 必然的に最後尾を進む“アトランタ”が置いて行かれることになるが、それでも構わなかった。

 敵ほとんどの戦艦が改ウイスコンシン級である以上、二〇ノット以上出すことができない。

 敵に速力で優ることができれば、頭を押さえることができ、有利に戦える。

 

 さらに命じる。


「本艦と“ジャクソン”は可能な限り“ワシントン”を狙え、“ブキャナン”、“ニューオーリンズ”は敵二番艦。一隻を二隻以上で叩くのだ!」

 

 そして、双方の距離が約二万メートルにまで縮まったとき、“リー”は両軍を通じて、この戦闘における初めての主砲弾を発射した。


 


 南部連合艦隊旗艦“リー”が放った五発の一六インチ砲弾は、目標となった敵戦艦“ワシントン”を飛び越え、五つの水柱を立てた。

 遠弾である。


「初弾命中とはいかぬか」

 

 戦闘中の指揮官というより、ビール片手にベースボールを観戦する観客のような口調で、クラフト大将は呟いた。


「初弾命中というのは理想ではありますが、“理想”は容易に実現されぬから“理想”たり得ますからな」

 

 その隣で同じく双眼鏡を覗きながら、コリンズ少将が彼らしい、いささか皮肉めいた返事を返す。

 並の人間なら気を悪くしてもおかしくない返答であるが、クラフトは大して気にも留めた様子はない。

 相も変わらず、他者から見れば呑気とすら思える様子で、眼前で繰り広げられる祖国の命運をかけた海戦を眺めている。

 

 戦闘に臨む艦隊の司令官と参謀長としては、無責任にも思える態度だが、実際の海戦では艦隊司令官が戦闘開始のタイミングと、基本的な方針を決定してしまえば、実際の戦闘指揮は各戦隊司令官や艦長が執るのであった。

 次に司令官や参謀たちの出番となるのは、「追撃」か「退却」の指示をするとき―つまり勝つか負けるかするときだった。

 

 司令官と参謀長が戦場らしからぬ会話を交わす間にも両艦隊は砲弾を打ち合う。  

 次第に砲弾の飛散範囲が狭まり、砲撃の精度が上がっていく。

 “リー”と“ワシント”は相次いで挟叉弾を得た。砲撃の包囲と距離が正確であることを意味する。

 こうなると命中は時間の問題だ。

 

 艦長のマリオ大佐が眼で問いかけてきた。

 ここで変針すれば、命中を回避できる。こちらも同様であるが。

 

 クラフトは普段の陽気な調子から打って変わった、峻厳ささえ感じさせる調子で命じた。


「進路そのまま、必ず“ワシントン”を撃沈する」


  “ワシントン”も変針する様子はない。

 

 “リー”は、この海戦で初めて九つの砲門を一斉に開いた(挟叉弾を得るまでは、砲弾の節約、弾着観測のし易さ、砲弾同士の干渉軽減などの理由により、砲を半分ずつ撃つ「交互撃ち」が一般的だ)。

 それとほとんど同時に“ワシントン”にも発砲炎が煌めく。

 

 見張員が弾着までの時間を数える。

 弾着。

 途端に“ワシントン”の艦上に発砲炎とは明らかに違う閃光が輝いた。


「三発命中!」

 

 伝令員が観測機からの情報を伝えるのとほぼ同時に“リー”を衝撃と轟音が見舞う。 

 高い位置にある艦橋は、地震のような揺れに襲われた。

 司令官席に座っているクラフトを除き、全員が手近なものに掴まる。


「損害状況報せ!」

 

 マリオ大佐が怒鳴る。

 その間にも第二斉射が放たれた。

 艦の戦闘能力に影響はない。

 

 “リー”と“ワシントン”はその後も命中弾の応酬を重ねた。

 

 “ワシントン”からの命中弾は“リー”の左舷の高角砲や機銃などの対空装備を壊滅させ、水上機発射装置など、装甲に覆われていない部分を破壊した。

 それだけでなく、艦の前方に集中配備されている三基の主砲塔のうち、真ん中のB砲塔は使用不能になっている。さらにいくつかの小火災。

 

 がしかし、二隻の一六インチ砲戦艦を相手にしている“ワシントン”は、さらに深刻なダメージを受けている。

 まず、後方にある二基の主砲塔は完全に沈黙していた。

 ダメージコントロール班の活躍で消し止められてはいるが、すでに何度も火災が発生している。

 

 また、艦隊に直接ダメージは与えなかったものの、いくつもの至近弾を浴びた結果、艦底から浸水し、速度が落ち始めていた。

 

 南部連合艦隊の戦艦四隻はすべて、少なくとも小破以上の損害を蒙っている。

 一方で大西洋艦隊は、狙い撃ちされた“ワシントン”、“オクラホマ”以外はほとんど無傷であるが、“オクラホマ”は大火災を起こして手が付けられない状態になっていた(練度に劣る“ブキャナン”は命中弾を得るまでに時間を要したが、ひとたび命中すると対一四インチ砲の装甲しか有していない“オクラホマ”は大損害を受けることになった)。

 全体的には火力の集中に成功した南部連合軍優位であるように見えたが、まだ決定的な局面に達していない。




「長官、これ以上の戦闘継続は双方の損害が増すばかりで得るものがありません。撤退を進言します」

 

 大西洋艦隊参謀長、トーマス・C・キンケイド少将は、上官に決定的な進言をした。

 

 元々、大西洋艦隊は、南部連合艦隊に戦力で優っていた。まともに正面から戦えば、負けるはずはなかった。

 

 しかし、敵はあえてこちらを誘い込み、まず航空機と潜水艦による執拗な攻撃で、戦力を同等にまで持ち込んだ。

 

 そして、この海域で現に繰り広げられている戦闘でも、足の遅い旧式艦を置き去りにして、速度の不利を克服したこと。

 さらに砲門数の不利は、「複数の艦で一艦を叩く」という火力の集中で補った。

 いずれもリスキーな戦法であるが、敵は見事に賭けに勝った。

 

こちらの失敗は当初の計画を修正せず、愚直に実行し続けたことだ。

 どこかで南部連合艦隊を格下に見ているという驕りもあった。

 が、そんな反省は生きて帰ってから、ゆっくりすればいい。

 今は一隻でも多くの艦、一人でも多くの将兵を連れ帰ることだ――キンケイドはその思いで、逡巡しているらしい、この実直で尊敬すべき上官に向かって、言葉を重ねた。


「長官、この場は負けであっても、敵の主力艦はいずれも損害を負っています。我々は三隻の戦艦がまだ無傷で残っています。上陸船団も無事。であるならば、帰投した後、間を置かずに再度作戦を実施すれば、敵にそれを阻む力はありません。そのためにも今は退くべきです」

 

 キンケイドのその言葉にキンメルも決心がついたようだった。

 迷いを振り払ったように、いつもの自信に満ちた声で、部下たちに命令を発する。


「よろしい、この場は撤退する。軽巡、および駆逐艦部隊は主力の退避を援護せよ」

 

 その命令に応えつつ、キンケイドは思った。

 この人は絵に描いたようなエリートで今まで挫折を知らな過ぎただけなのだ。

 それが裏目に出た。だが、今回の経験で指揮官として一皮剥けてくれる――。

 

 キンケイドの思考はそこで中断された。

 

 水兵が叫んだのだ。


「敵三艦、発砲!」

 

 その数秒後、衝撃と炎が“ワシントン”の艦橋を包み込み、そこにいた人間の意識を永遠に奪った。

 全員が痛みも、自身が死んだということさえ、自覚する時間もおそらくなかった。




「“ブキャナン”、敵一番艦艦橋に命中弾!」

 

 艦橋にいる全員に報告する水兵の声に、“リー”の艦橋は歓声に包まれた。


「期待のルーキーがやってくれたな!」、そんなことを言っている者もいるが、無理もない。

 今の砲撃でおそらく敵艦隊の司令部は壊滅したのだ。

 それは、ほぼ確実にこの海戦の終結を意味する。彼らの勝利によって。

 

 しかし、クラフト大将は厳しい表情を浮かべている。

 いつもの陽気さや豪放磊落さは、そこにはない。

 同じような顔をしているという点では、コリンズ中将も同様だった。

 

 この場は勝った。

 それはいい。

 がしかし、我々の艦隊を振り返ってどうだ?

 無傷な戦艦は旧式の“アトランタ”だけ。

 敵がもし、これに懲りず、即座に逆襲してきたなら、それを防ぐ術はない。

 

 その冷徹な認識がクラフトをして、艦橋に生じている祝祭的とさえいえる空気を打ち消す、雷鳴のごとき命令を発せさせた。


「命令!これより本艦隊は追撃戦に移る。戦闘可能な艦は全て、敵艦隊を追え。生きて帰る敵を一隻でも減らすのだ!」

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